第13話 出来損ない、新天地に立つ

 フォウと別れ、自室に精霊は戻っていた。ベッドでは、ハゼルが大人しい寝息を立てている。その安心しきった様子は可愛らしい。


 ――どうかハゼルには黙っていてほしい――


 フォウの懇願を、精霊は初めて見た。


 ――確かにわっちは寿命はそう多くない。でも、ハゼルを一人前にするくらいの余裕は十分にあるから。あの子には心配させたくないから――


 どうして、そこまでハゼルに肩入れするのだろうか。

 疑問は口にできなかった。

 どういう理由であれ、フォウは本当に心からハゼルを大事にしている。厳しくしているが、優しさで溢れている。自分がどんな状態であったとしても、ハゼルが本当の危機に陥ったら、助けに現れる。


 海の荒神、エーギルもそうだった。


 フォウは強引にヘルメスを調伏させ、まだ万全でもないのに駆けつけた。余裕を見せ付けるようにヘルメスを使役したが、切り札で且つエーギルには特攻でもあるはずの戦雷神トールを使わなかったのが理由だ。

 そして、精霊がフォウの異変に気づいたのだ。


『私には、そこまでする存在はいないんだよね』


 ぽつり、と言葉が漏れる。

 ハゼルともフォウともうまくやれている。しかし、それ以上はまだ踏み込めないでいた。


『私は、どうするべきなのかな』


 ふと、隣ですやすやと眠るハゼルを見て、精霊は困っていた。

 自分の目的は住居を見つけることだ。ハゼルには協力し続けるつもりだが。


『誰かと関わるって、難しいんだね』


 精霊は孤独だから。

 声がけをすれば答える同胞はいるが、単純な親密関係に過ぎない。こうして心と心を通わせる仲ではない。


「……ん、どうしたの」


 飛び回っていると、ハゼルが目を覚ました。どうやら羽根から放つ光が少しだけ刺激してしまったらしい。


『大丈夫だよ。ちょっとストレッチしてただけだから』

「ふーん、変なの」

『まだ夜明け前だから寝てなさい。朝、起きれないよ』

「はーい」


 ハゼルは素直に返事をして、また寝始めた。



 ◇ ◇ ◇



 ウェイン共和国、南端港。

 付近ではもっとも大きい港だ。豪華客船も楽々と入れる規模で、賑わいも王国のものとは桁外れだった。


 漁船、貿易船、貨物船、客船。そして、軍艦。


 あらゆる船が行き交い、それでも衝突しない規模だった。

 港から降りた時点で分かる明るい喧騒に、ハゼルは早くも感動していた。


「すごーいっ! おししょうさま、みなとのあんなところにもお店がありますよっ!」

「そうだねぇ。これはちょっと予想以上の賑やかさだね」


 様々な服装をした人々――獣人も多い――が忙しなく行き交い、露店では魚は当然、肉や穀物、フルーツなんかも販売していた。

 もはやただの港ではない。

 物流の中心点ともいえる場所だ。


「ここは大きい拠点でもありますからね」


 船が離れていくのを見送っていたアデルが、誇らしげに語りかけてくる。

 すでに着替えていて、ゆったりとしたローブに白いローブも掛け合わせた役人仕様だ。刺繍も豪華で、一目で偉い人なのだと分かる。

 国のトップである七執政なのだから当然だ。周囲からはすでに注目されつつあった。


「ここでは目立ってしまいますね。ホテルを用意してありますから、ご案内します。入国手続きはもう済ませていますけど、我が国民になっていただく処理が終わっていませんからね。ご足労願ってもよろしいですか?」


 大げさなくらいに仰々しい。

 パフォーマンスも多分に含まれているな、とフォウは見抜いていた。周囲に重要人物であると知らしめるためだ。

 フォウは敏感に気配を感じ取る。

 周囲の喧騒にさりげなく配置されていた守衛たちが注目し、警戒を始めた様子だ。良く訓練されている。


「もちろんだよ」


 フォウは悟られないよう、笑顔で応じた。

 目をきらきらさせながら目移りしまくるハゼルを何度かなだめすかして(結局お昼は露店を見て回ることになったが)到着したのは、ビーチの前に佇むホテルだ。


 見るからに高級だと分かる。


 純白の造りのそれは、彫刻品のようで、しかも案内されたのは最上階スイートだった。正直に破格の対応である。

 部屋に案内されるなり、ハゼルは息をするのも忘れて感動していた。


「わぁっ……」


 部屋に入って正面、リビングにあたるところは、一面ガラス張りだった。そこから雄大な海を望めるようになっている。最上階だけあって眺望はまさに最高。

 寝転がれる大きさのハンモックもあって、居心地は最高だと見るだけで伝わってくる。


『ほえー、すごいね。ここまで透き通ったガラスがあるなんて』

「お、おお、おししょうさまっ。宿なのにお部屋がたくさんありますよ!? ここ、おうちだったりしますか!?」

「しないよ。最上級スイートってのはいくつも部屋があるんだ。専用の風呂やトイレまであるんだからね」

「ほんとうだーっ!? しかもひろーいっ! まどもあるっ!」


 ハゼルはちょこちょこ走り回ってバスルームを見つけ、大騒ぎだった。尻尾もぶんぶんと振れまくっている。

 触発されたのか、精霊もテンションの昂ぶりを抑えられないらしい。


『ちょっと、テーブルに置かれてる果物、すごく良いヤツじゃない? ねぇ、あれって食べていいの? 料金追加で請求されるとかそういうヤツ?』


 興奮気味にアデルへ詰め寄る。

 だが、アデルは涼しい顔だった。慣れているのか、訓練されているのか。


「ルームサービスのひとつですから、料金はかかりませんよ。なんだったらお代わりもありますから、ご自由に」

『ひゃーっ! ふとっぱら! 私、ここに住んでも良いかも……!』

「いやいや。ダメだからね?」


 さすがにフォウが諌める。

 とはいえ、ここまでテンションを高めるのも仕方がない。ハゼルだってこんな豪華な部屋は初めてだからだ。


「まったく。すまないね、慣れてないんだ」

「いえいえ。こちらとしても喜んでもらえて嬉しい反応ですから。むしろ、落ち着いてらっしゃるフォウ様に驚きです。経験があるのですか?」

「まぁね」


 フォウは軽く濁しながら、テーブルのソファに腰掛けた。柔らかい。

 用件を済ませたいという言外の意図が伝わったか、アデルは反対側に腰掛けた。


「それでは、こちらの書類に署名をお願いします。国籍を作りますので」

神具女かごめにも国籍を与えるのかい?」

「国防の一助を担う大事な職業ですからね。当然です」

「なるほど」


 王国とは神具女かごめに対する認識はずいぶんと違うらしい。

 フォウは達筆に署名し、ハゼルの名も連ねる。

 本当は本人に書かせるべきだが、ハゼルはベッドの上でテンション最高潮で、フォウの声さえ届きそうにない。しばらく遊ばせて落ち着かせるのが最善だ。


「はい、確かに。後の手続きは私に任せてください。では、次がこちらですね」


 しっかりと丁寧に確認してから、アデルは次の書類を取り出した。

 ちらりと見ると、神具女かごめ協会への加入書類だった。二枚あるのはフォウとハゼルのためだ。

 テーブルの上に差し出され、フォウは条件を読む。


「――本気かい? わっちを特級に認める? 最高階級じゃないかい」

「はい。神具女かごめの中でも序列第一位としてお迎えしたいと思います。フォウ様の実力なら当然かと」


 アデルの表情は真剣そのものだった。

 そこには、どうにかしてでもフォウを迎え入れたいという強い意志を感じる。


 この待遇には舌を巻いた。


 確かに不遇極まりなかったが、フォウは今まで最下級だったのだ。

 いくらアデルとはいえ、外部から引き入れた神具女かごめを最高階級、しかも序列第一位にいきなり据えるのは問題になるだろう。

 そこを理解できないアデルではない。


「買いかぶりすぎだと思うけどね」

「いえ。我が国としての覚悟ですから」


 堅い口調で言われ、フォウは少し悩む。


「でも、それじゃあ今まで序列第一位だった神具女かごめが納得しないだろう。噂じゃあ、ウェイン共和国の最高階級は相当な実力者だって聞くよ?」

「正直なところを申し上げると、確かにそこは揉めるかもしれません。協会側は納得するでしょうが、本人は不満かと。しかし――」

「そう。納得するはずがないね」


 アデルの言葉を中断させたのは、エキゾチックな声だった。

 瞬間、気配と風が生まれ、誰かが姿を見せる。

 ローブを重ね合わせたような民族衣装に、周囲を浄化する装飾品をぶらさげて現れたのは、オレンジの髪が目立つ美女だった。

 フォウと同じように、目つきは鋭い。


「イリス! 失礼だぞ!」

「失礼なのはどっちだよ、アデル」


 咎められたのをぴしゃりと言い返し、イリスはフォウを睨み見下ろしてくる。


「いてもたってもいられなくてね、駆けつけてきたのさ。あんたがフォウかい」

「ああ、そうだけど?」

「イイ面構えだ。もしかして、あんた、噂の王国にいる最強かい?」

「その通り。出来損ないの最強さ」


 尚も咎める姿勢のアデルを片手で制しつつ、フォウはあっさりと認める。

 イリスの目つきがさらに険しくなった。


「フン。上等だよ。アタシもウェイン共和国じゃ最強なんだ。その座を簡単に渡すつもりはないね」

「じゃあ、どうするつもりなんだい?」

「決まってる! 決闘だよ! 表に出な!」


 イリスは全身から威圧を放ちつつ、親指を天井に向けてタンカをきった。




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