第12話 出来損ないの真実

 ――海の荒神、エーギルの浄化。

 それを目の当たりにしたフェイスは、いったん王国の港へ引き返していた。そもそも攻撃を仕掛けた場所が国境線ギリギリだったのだ。

 深入りすれば、ウェイン共和国の反撃を受ける可能性があった。武装していればいざ知らず、さすがにボートでそれをするのは危険すぎる。


 自分の我は通すが、冷静さは失わない。


 フェイスの信条でもあった。

 もっとも、ストレスが溜まらない訳ではなく。傷つけられたプライドと共に、吐き出す対象は必要だった。


 刑罰の執行。


 大義名分をもって、フェイスは監獄の奥、荒々しく岩盤を削り取っただけの蒸した空間で鞭を振るう。

 空気をしならせた先には、吊るされた支部長がいた。


「うぎゃ、ぎゃああああああっ!?」


 汚ならしい悲鳴があがる。

 魂を削るような声だが、フェイスは表情ひとつ変えずに鞭を振るい続ける。鮫肌のようにざらついた金属の鞭は、簡単に皮膚をズタズタに切り裂き、肉を抉る。


 でっぷりした体つきの支部長であれば尚更だった。


 辛うじて命を拾った支部長は、実刑を食らって実行されていた。

 神具女かごめを他国に流出させることは、それだけで大罪だ。知らないはずがないのに好き放題していた支部長には情状酌量など何も無かった。


「案ずるな。今日はこれで終わりだ」


 フェイスは低い声で淡々と告げ、最後の一撃を見舞う。

 破裂音にも似た痛々しい悲鳴。どうも強烈だったらしく、支部長は泡を吹いてそのまま気絶した。

 その凄惨な有様は目を逸らしたくなるが、フェイスは観察を怠らない。


 ふわり。


 穏やかな光が、支部長を包む。

 加護だ。


「《回復促進の加護》か。あらゆる損傷を周囲の魔力によって癒していく。これがあったからこそ、お前は若かりし頃、最前線で戦果を挙げて今の地位に辿り着いた。しかし悲しいな。今はお前を苦しめるものになっている」


 致死性のダメージからでも生存可能な程に強力な加護だ。

 そこに利用価値は残っていた。


「これから一週間、貴様は一日一〇〇回のむち打ちを食らう。それらが終わった後、その加護は回収してやろう」


 フェイスは覆面の奥で薄く笑う。


「喜べ。貴様はその苦しみから解放される。そして、もはや無用の長物となったその加護も、新しい使い道で活用される。全てにおいて幸せだな?」


 問いかけに支部長は答えない。否、答えなくて良かった。

 フェイスのその言葉に、他者など一切介在しないのだから。

 気分を良くしながらフェイスは天井を見る。蛍光苔の明かりが怪しく照らしている。


「それにしても、出来損ないのクセにずいぶんと頑張るじゃないか。フォウ」


 まぶたに浮かんだのは、かつてのフォウだった。

 幼く、何か全てに対して怯えていた頃の。


「好き勝手やりたいようだが、そうはさせんぞ。所詮お前は失敗作なんだから。大人しく死んでおけ。そしてお前に見せてやろう。本当の最強というものをな」


 どこかで、うなり声がした。



 ◇ ◇ ◇




 夜明け前。彼そ誰時。

 夜露が降り注いできて、空がうっすらと色を染め始める絶妙の時間帯。

 フォウはこっそりと自室を抜け出して、約束の場所に辿り着く。応急処置を施されたばかりの甲板の上──メインマストの頂上だった。


 フォウと精霊でなければたどり着けない場所だ。


 風を纏ったフォウは、緩やかに着地する。速度を落とした船は、穏やかな風を受けていた。

 そこに、精霊は仄かに輝いている。


「どうしたのさ。こんな所に呼び出して」

『二人きりで話がしたかったから。それと、誰にも聞かれたくないだろうし』


 精霊の声は険しかった。


『体内に取り込んだ神は落ち着いた?』

「そうだね。大分痛め付けたってのもあるし、やっぱり強引に召喚されたようだから、そもそもの穢れも強くなかったからね」


 フォウは素直に答える。

 同時に、今回の襲撃は誰かの差し金であるという示唆でもあった。

 精霊はゆっくりと目を細めつつ、フォウの周囲を飛び回った。


『誰の仕業かも知ってそうだね?』

「取り調べしたからね? 予想通り、王国の協会本部から差し向けられたヤツの仕業さ」

『厄介なの?』

「ああ、ちょっと厄介だね」


 フォウはほんの僅かだけ答えを濁らせる。精霊は見逃さなかった。


『何か気まずそうだけど。これから新天地で頑張って、そして落ち着いたら、ちゃーんと私の新しい居住地を探すんだよね? ……ハゼルとの契約は維持するけど。とにかく、その上で障害となる懸念事項があるなら、ちゃんと話しておいて欲しいんだけど』

「えらく強く出るね?」

『必要なことなの!』


 ぷぅ、と頬を膨らませる精霊を見て、フォウは諦めた。

 精霊の機嫌を損ねるのは良くない。


「言うよ。手を出してきたのは協会本部のエリート幹部さ。フェイスって言うんだけどね。王国でも上の地位を盛っている役人でもあって、軍事に大きく関わってるね」

『……それって、王国そのものがフォウを狙ってきたってこと?』

「向こうからすれば、わっちは裏切り者だからねぇ。それに、みすみす戦力を隣国に渡す必要もないからさ」


 フォウは正直に打ち明ける。

 神を使役できる神具女かごめは、有事の際に強力な戦力となりうる。

 もちろん、それはフォウと言った単独でも強力な神を封印できる者に限るが。通常の神具女かごめは極々低級の神々を数匹程度体内に封印させるのがやっとだからだ。


 つまり、フォウは戦力だ。


 支部長はともかく、協会本部や王国は少なくともそう見ていたらしい。それでも最下級だったことを咎めなかったのだが。

 色々と思うところはあるが、フォウは続ける。


「だから、隣国に流れ出るくらいなら、始末した方が良いって話だね。王国は結構物騒だからさ。成り立ちからしてね」

『人間の歴史には詳しくないから、それは信じる。でも、それだけじゃないでしょ』

「と、言うと?」

『連中の狙いはそんな理由じゃなくて、フォウ。あんたそのものじゃないの』


 精霊に真っすぐ見据えられ、フォウは一瞬答えに迷った。


『さらに言えば、その厄介なやつっていうのはあんたを狙う理由があって、あんたはそれを知ってるんじゃないの?』


 そこまで指摘されて、フォウは両手を挙げて降参した。


「ああ、そうだね。その通りだよ。フェイスはわっちを知ってる。といっても、まだわっちが師匠のもとで弟子をしていた頃だけどね」

『つまり、あんたの秘密を知ってるんだね?』

「……ああ、気付いてるのかい?」

『精霊のカンを舐めないでよ。人間の領域を超えた神の収容能力にしては、神を体内に取り込んた時の損耗が激しいのよ。ヘルメスを完全に取り込むのにも時間をかけてたし、エーギルだってまだ使役はできないでしょ』


 精霊の見立ては正しい。

 フォウは黙って肯定する。


『それに。顔色だって化粧で隠してるし、浄化するにも身体に悪影響出るレベルで道具を乱用してるし。明らかに無理をしてるよね? そこから導き出されるのは、穢れの代謝不足。強引に神を大量に取り込んだことの副作用だ』


 フォウはもう何も言わない。


『その上で、魔力に汚染されることのないハゼルを奴隷から解放して育ててる。わざわざ常用外の魔法を教えたりしてるのに、神具女かごめに関しては慎重すぎるくらいに丁寧に、ね』


 精霊はどこか泣きそうな顔になっていた。

 否定して欲しいのに否定されないからだろう、と、フォウは見当をつけていたが、そこに乗っかる必要はない。


『フォウ。あんた……もう寿命がないんだね?』


 吐き出すように放たれた結論に、フォウは微笑むしかできない。


「ああ、そうだね。わっちには残り時間はそう多くない。近いうちに、わっちは殺される運命にあるからね。もう、どうしようもない呪いのせいで」


 初めて、精霊にフォウは哀しそうな表情を向けた。


「わっちは、出来損ないなのさ」

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