第11話 出来損ない、起きる。

「おししょうさまっ!」


 振り返ると、そこには不敵の笑みを浮かべたフォウがいた。すっかり血色が戻っている。

 ハゼルはたまらなくなって飛びついた。


「待たせたね。今までよくがんばった。ハゼルのおかげで間に合ったよ」


 ハゼルをしっかり受け止めて、フォウはその頭をぽんぽんと撫でる。本当はもっと愛でたいところだが、状況がそれを許さない。

 ぐらり、とまた激しく船が揺れる。

 いよいよとして渦へ本格的に巻き込まれつつあるらしい。


「さて。さっさと終わらせるとするかね」


 フォウはゆっくりと言い、自分の周囲に風を集める。


「まずは船を揺らすのをやめてもらわないとね? おいでませ――北暴風神ボレアース


 言い放った瞬間、周囲に暴風が吹き荒れ、波の渦を中和する。

 敵は即座に渦を強くするが、風の勢いはそれさえも上回った。


 ここにきて初めて、敵の神が目を見開く。


 フォウは風を自分自身にも纏わせ、ふわり、と宙に浮く。

 呼応して、敵もその両手に幾つもの海の刃を纏わせた。フォウはもう相手の正体を見抜いていた。


「海の荒神――エーギル。クラーケンに釣られて出てきた、っていうのは解釈の虫が良すぎる話だね。いったい誰に召喚されたんだい」

『――グゥゥ……っ!』

「ま、答えはわっちの体に入ってから聞くとして。まずは、大人しくなってもらおうかなっ!」


 フォウが手を振りかざした。

 直後、暴風が吹き荒れ、見えない風の刃が容赦なくエーギルを切り刻む! 寸前でエーギルも海水で盾を生み出すが、風が勝った。

 引き裂かれた水飛沫が舞い散る中、風の刃が次々とエーギルの浅黒い肌に傷をつけていく。

 血が飛ぶ。


『――ウアアアアアッ!』


 痛みか、怒りか。

 エーギルは雄叫びを上げながら、海水の刃を次々と繰り出す。おぞましい威力のこめられたそれだが、見えざる風の壁に阻まれた。


 砕ける海水の刃。


 負けじとエーギルはさらに海水の刃を叩きつけ、さらには渦巻く大量の海水そのものをぶつけてくるが、全て弾き散らす。

 そればかりか、逆にその海水をフォウは風で操る。しっぺ返しのようにエーギルは全身を強かに殴られて大きくのけぞらされた。


『す、すごっ……』

「さすがおししょうさまっ!」


 呆気にとられる精霊の隣で、ハゼルが目をきらきらさせる。

 フォウは微笑みながら一瞥し、風を更に繰り出す。

 海水にまみれていたエーギルが反撃を狙うが、暴風にすくいあげられて空中に投げ飛ばされる。


『ゴアアアアアアッ!』


 暴虐にも等しい風に翻弄される中、エーギルが全身から黒い波動を放つ。とたん、周囲の海水が大量に蠢き、次々と武装した戦士を生み出してきた。

 誰もが得物を手にし、好戦的な佇まいだ。その目は赤黒く、不気味に光っている。


 その数は一〇〇を超えている。もはや、一つの海の軍隊だ。


 そんな連中に一気に攻められたら船が持たない。

 フォウもそれは理解していて、させじと自分自身で前に出る。


「エーギルは言ってしまえば、海のヴァルハラだからね。海で戦死した戦士の魂を集めてる神でもある。これくらいはやってのけるさ」


 動揺はどこにもない。

 その泰然さが気に入らなかったか、エーギルが咆哮を上げながら戦士をけしかけ、さらに海水を呼び寄せる。


 完全に船を狙った波状攻撃だ。


 にやり。

 フォウはそれを待っていた。

 風を纏ったまま、新たな紋様を光らせ、神を呼び起こす。


「早速だけど、力を見せてもらうよ。おいでませ――ヘルメス!」


 ごう、とまた風が吹く。

 現れたのは、緩やかなウェーブのかかった金髪の美青年だった。

 翼の生えた靴を履いた神は、光の粒子を残しながら空中を描くように飛び、次の刹那には超高速で落下。一瞬にしてエーギルが呼び起こした戦士たちの合間を縫うように飛び抜ける。

 残ったのは、不思議な魅力を感じる琴の音楽。


『るおおおおっ!』

『がああああっ!』


 すると、始まったのは壮絶な同士討ちだった。

 せせら笑いながら、ヘルメスは次々と戦士たちの合間を縫うように飛び交い、次々と同士討ちを引き起こす。


「伝令の神にして詐術の神。そして音楽と雄弁、か。多才の神らしい所業だね」


 エーギルは怒り猛り、海の刃をヘルメスに向ける。

 だが、ヘルメスは軽やかに回避し、両手に炎を宿すと周囲の海水を蒸発させてエーギルを丸裸にする。


 ぎょ、と、エーギルが目を見開いた時だった。


 周囲からとてつもない暴風が襲いかかり、エーギルの両腕を完全に切断する。

 北風暴神ボレアースだった。


『ゴアアアアアアアアアア――――っ!?』


 エーギルの悲鳴が響き渡る。

 白髭と白髪が鮮血に染まる。直後、その頭をヘルメスの一撃が吹き飛ばした。

 だらん、とエーギルの両足に力が抜け、その場に崩れ落ちる。それでも海水に沈まない辺りが神だ。


「これでいっちょあがり、だね。さぁ、わっちのところへおいで」


 海に倒れ込んだエーギルを、フォウは体内に迎え入れる。

 呼応して、荒れ狂っていた海が一気に沈静化していく。


「ふう。これで終わりだね」


 汗ひとつかいていないのに汗を拭う仕草をするフォウに、ハゼルがまた飛びついた。


「おししょうさま――――っ!」

「おっと、とと?」


 フォウは受け止め損ねて、そのまま後ろ向きに倒れる。


「ちょいと、飛びつきが派手じゃないかい?」

「だって、だってぇっ!」

「あーよしよし。そうだね、不安だったね。ごめんよ」


 泣きながら甘えるハゼルの頭を背中をフォウは撫でて苦笑する。

 しばらく落ち着かせていると、アデルが甲板に上がってきた。


「大丈夫、なご様子、ですか?」


 少し困惑しながらアデルが問いかけると、フォウは苦笑でしか返せず、代わりに周囲を飛んでいた精霊が口を開いた。


『大丈夫だよ。ちょっと甘えたモード全開なだけ』

「そうですか。なら良いのですけれど」


 アデルも苦笑した。

 ハゼルがようやく落ち着いてフォウから離れると、アデルが倒れたフォウに手を差し伸べた。


「お疲れさまでした」

「ありがとね」


 その手を掴んで、フォウは起き上がる。


「それにしても驚きました。まさかあの凶悪な穢れた神をあっさりと封印するなんて」

「わっちは最強のできそこないだからね」

「やはり、そうでしたか」


 フォウがおどけてみせると、確信したようにアデルは言う。


「ああいえ、話には聞いていたのですよ。王国には最強の神具女かごめがいる、って。でも全然表舞台に出てこられないから、本当なのか噂なのか、真偽が確かめられなくて」


 表舞台、というのは協会ぐるみの会合のことだろう、とフォウは推察をつけた。

 国と密着してる関係で、神具女かごめ協会は国ごとに独立した組織だが、情報交換の名目でそれなりに交流もしている。

 ただしそれは上層部であり、最低階級だったフォウには一切関係ない話だった。


「そうだったのかい。それで、その真偽は?」

「言うまでもないでしょう。我が国にも単独であんな凶悪な穢れた神を圧倒して封印できる神具女かごめはいません」


 絶賛してから、アデルは貴族式の最敬礼を行う。


「ベアトリーチェ・フォウ様。並びにジル・ハゼル様。改めて──我がウェイン共和国の神具女かごめとしてお迎えさせていただきたい。もちろん、最強に相応しい待遇は約束します」


 唐突のことに、ハゼルがぽかんとする。

 アデルの態度もそうだが、まさか自分が様を付けて呼ばれるとは思っていなかったらしい。そしてフォウもポーカーフェイスを取り繕っているが、内心で舌を巻いていた。


 物腰や眼光からして、有能な人間だとは思っていた。


 しかし、それでもハゼルまで指名してくるとは思っていなかったのだ。

 名指しをするということは、ハゼルをフォウの弟子というオマケではなく、ハゼル本人を認めたのだから。

 しかも改めて、という勧誘は、評価を見直した証明でもあった。


「もちろん、わっちに断る理由なんてないよ。ハゼルは?」

「はいっ! も、もちろんです!」

「ということで、まぁこれも改めてってことになるけどね」


 ふふ、とフォウは微笑む。


「それでは早速……と言いたいところですが、船の方はダメージ結構受けたみたいですね」

『あー、そうかも』


 ハゼルが踏ん張る間、何度か攻撃を受けている。

 甲板の半分はズタズタにされていた。


「まぁ致命傷は負っていないようですから、応急修理すればなんとか航行はできるでしょう。速度は落ちると思いますが……」

「構わないよ。ゆっくりしたいしね」


 フォウは早くも眠気に襲われていた。ヘルメスの時よりもかなりマシだが、いつまでも抵抗は出来なさそうだった。

 疲労感を隠しつつ、フォウはゆっくりと空を見上げた。


 (とりあえず、環境は整うね、これで……)


 ふう、とため息をひそかにしたタイミングで、精霊がこっそりと袖を引っ張った。

 ちらりと見ると、真剣な表情だ。思わずフォウが身構えるくらいに。


『後で話があるの。夜明け──日の出の頃に。良い?』


 良いも何も拒否権ないだろう。

 とは言えなかった。フォウはただ、ゆっくりと頷いた。











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