第10話 ハゼル、激闘。

「何事ですか!?」


 デッキにあがってきたのは、アデルだった。

 すぐに異常な状況を見て、顔を青くさせる。尋常ではない波動が荒々しい波となり、船を激しく揺らす。


「あれは……神!? なんでこんなところに!」

『そんなの言ってる場合じゃないよ! あいつ、かなり強い! すぐに逃げないと!』

「それは、厳しいですね。海に渦が出来ていて、凶悪に船を引き寄せています」


 アデルは険しい表情を浮かべ、低い声で否定した。


『どうしてよ!』

「魔導エンジンのチャージが完了していません。クラーケンから逃げるために全部使い切ってしまったんです」

『そんなっ』

「補給艦を連れていればもっと早くチャージ可能だったんですけど、さすがに随行はさせられませんでしたし」


 アデルは苦い表情だ。

 確かに、豪華客船を装っている以上、軍艦である補給艦は連れてこれない。


 となると、頼みの綱はフォウしかいない。


 精霊とアデルの視線がハゼルに注がれる。

 今度困った表情になったのは、ハゼルだった。


「おししょうさまは、まだたたかえません。もしたたかえるなら、もうとっくにかけつけてます」


 だが、フォウの気配はない。

 晩御飯を済ませた後、深い眠りに入ったのをハゼルは知っている。


『そんな……じゃあどうしたら……』

「ぼくが、やります」


 覚悟を決めたように、ハゼルが言う。


「ぼくだって神具女かごめですから」

『いや、いやいやいや! 何言ってるの!』

「きょうりょくしてくれるよね?」

『……っ!』


 真っすぐ見つめられて、精霊は言葉を失う。


『分かった、分かったわよ! この私が協力してあげるわよ!』


 やぶれかぶれに宣言すると、ハゼルはその手を取った。


「ありがとう。アデルさん。そういうことなので」

「助かります! 我々も可能な限り協力させていただきます。まだ使える砲弾はあったはずですし」

『そうね。これは総力戦で挑まないとダメなやつね。砲撃もそうだけど、できるかぎり魔法使いを集めてくれるかしら』

「弾幕を形成するんですね? 分かりました」


 アデルはすぐに踵を返すと、船の中へ入っていく。

 見送ってから、ハゼルは揺れる船の中で真っすぐに敵を睨んだ。


 (たしかに、すごくつよい)


 ビリビリと肌に伝わってくる。

 ハゼルは泣きそうになるが、必死に我慢した。今、対抗できるのは自分しかいない。


 (泣いちゃだめだ、こわがってもだめだ)


 体の芯が熱くなる。怯えて震えていた心が、奮えた。


 (おししょうさまみたいに──さいきょうに、ぼくが!)


 強い意志の宿った目。

 刹那、ハゼルの全身から気合いが出る。


『戦意は抜群ね、ハゼル』

「うん!」

『おっけー。相手もそうなるのを待っててくれたみたいだしね』


 見ると、ようやく神が動き始めていた。

 浅黒く、筋骨隆々な肉体は傷だらけで、堀の深い顔には波のような白髭。そしてトライデントを持つ勇ましい様。


 海にまつわる神なのは理解できた。


 加えて、精霊さえも戦慄させる強さ。

 勝ち目はないに等しい。それをこじ開ける何かが必要だった。


『くるよ!』


 精霊の言葉の直後。

 凄まじい勢いでトライデントが振り回され、呼応した海水が刃となって次々と襲いかかる!

 ハゼルは瞬時に全身に紋様を走らせて獣人化、左へ回避する。

 バキバキと木の甲板が砕けながら切り裂かれていく。


 (あんなの、くらったらまずい!)


 背中に走る怖気に抵抗しつつ、ハゼルは敵を睨み付けた。


「《天空の雷鳴、激甚の刹那――響け》っ! 雷轟陣ストライクブリッツ!」


 呪文を展開し、精霊から膨大な魔力を借りる。

 轟音響かせて手のひらから放たれた電撃は、過たず神を穿つ。

 しかし、当然のように効果はない。


「《天空の雷鳴、激甚の刹那――響け》っ! 雷轟陣ストライクブリッツ!」


 それでも、ハゼルは放つ。

 閃光と激音。

 数発叩き込んだところで、また海水の剣が幾つも襲い掛かってきた。自分の身長なんかより遥かに巨大な刃を、ハゼルはアクロバットな動きで回避していく。


 すっかり海水で湿った甲板の上に滑りながら着地すると、船全体に魔法陣が展開された。


 アデルだ。

 理解すると同時に、砲門から大砲が放たれる。次々と着弾し、爆発と水しぶきが周囲に撒き散らされる中、神は微動だにしない。

 全て受けきるつもりのようだ。

 いや、相手にもしていないのだろう。


 (つよい……でもっ!)


 ハゼルは次の手を打つ。

 意識の集中は十分だ。


「出ておいで、宝石神獣カーバンクルっ!」


 ハゼルの意志に従い、二匹の獣が出てくる。

 額にルビーを埋め込んだ獣は、ハゼルの両肩に飛び乗ってから敵に威嚇をする。

 だが当然のように意に介さない。

 神としての格が違うからだ。フォウから譲り受けたこの神は、神具女かごめとしての第一歩として譲り受けた神。ハゼルにも馴染みやすいように配慮されているので、神としての格は低い。


 ――いいかい。ハゼル。確かに神の強さそのものは、神の格によって違う。例えば雷神でも、アダドとトールが戦った場合、一撃の破壊力ではトールが勝る。真正面からやりあえば、トールに軍配が上がることの方が多い――


 蘇るのは、フォウの言葉。


 ――でも、継続的な天候への影響力ならアダドが有利だ。つまり、神だってちゃんと有利を押し付ければ、格上相手でも戦えるのさ――


「おねがい。ぼくにちからをかしてっ!」


 まともに戦わせれば、勝ち目など何一つない。

 ハゼルは手を合わせて声を出す。

 呼応して、二匹の額のルビーが怪しく光を放った。


「《天空の雷鳴、激甚の刹那――響け》っ! 雷轟陣ストライクブリッツ!」


 ハゼルが魔法を放つ。

 直後、電撃は奇妙な軌道を描き、敵の顔面を撃った。

 一瞬だけ敵がのけ反る。ハゼルは見逃さず、電撃を連打した。さらに砲撃が面白いくらい、敵に直撃を始めた。


『――船が、動き出した? 魔導エンジンが動いたのね』


 精霊は敏感に感じ取る。

 敵が生み出した渦のせいで動けなかったはずの船が。


『そうか。対象に幸運をもたらし、または対象の運気を吸い上げる。これが、宝石神獣カーバンクルの力なのね!』


 そう。

 宝石神獣カーバンクルの真髄は、運気を操るという権能にある。つまり、対象の運気を吸い上げ、別の対象に幸運をもたらすというのも、二匹いれば可能だ。


 ハゼルはさらに意識を集中する。


 チャンスは今しかなかった。

 ありったけの魔力をかき集め、ハゼルは魔法を開放する。


「《自由なる旅人、限りなき風怒の顕現。南より来たりし殲滅の閃光》――来迎雷光陣ノトス・フィールド!」


 顕現したのは、複雑な幾何学模様を描く雷の魔法陣。

 緩やかに回転しながら、敵を中心に展開され、周囲に稲妻を放っていく。


 (すごい、今までで一番の出来だ!)


 精霊の力のおかげだ。

 ハゼルは今まで、《魂の言葉》で、周囲に対して呼びかけることで魔法に必要なものの方から体内に入り込ませ、魔法を発動させていた。当然それには限界があって、特に威力を決定づける魔力を集めるのは非常に苦労していた。

 それが精霊の力で解決どころか強化された今、重りから解放された格闘家のようなもので、今まで使えていた魔法が凄まじく強力になるのは当然だった。

 しかも今回は宝石神獣カーバンクルの権能も手伝っている。


「《天空の雷鳴、激甚の刹那――自由なる旅人、限りなき憤怒の顕現!》」


 そんな状態で唱えるのは、最大の《魂の言葉》。


「《荒れ狂え、吼え猛れ、光の鉄槌は世界を焼き払う!》」


 天候が、変わる。

 曇天が周囲を多い、遠目からでも稲妻を蓄えているのが良く分かった。


大風雷神爆雷吼陣インドラスパイクっ!」


 ——ずどぉんっ!

 と、耳をつぶすかのような轟音。激甚ともいえる雷鳴の嵐が、次々と敵に降り注ぐ!


『ひゃーっ! すごいねー。雷の魔法陣で強化させた上での精霊魔術! それにしても、私の集めた魔力をここまで完璧に使いこなすなんてね!』

「おししょうさまのおかげだよっ」

『いや、あんたの努力もあると思うんだけどね。まぁとにかく、さすがにこれなら神でもダメージあるでしょ!』


 精霊が握りこぶしを作りながら言う。

 強烈な落雷が終わる。海水から蒸発の煙が上がり、まるで霧のように周囲を包む中。


 ——敵は悠然と海面に立っていた。


 落ちたのは、沈黙。

 傷ひとつ、ついていなかった。


「そんなっ……?」

『なんで、これは……うっ、この臭い……クラーケンだ!』


 強烈な異臭を感じたか、精霊が鼻をつまんで嫌がる。逃げ回るように飛行しつつ、精霊は声を上げた。


『分かった! あいつ、クラーケン食べたんだ! 胃のなかに入ってたのを吐き出して、私の集めた魔力を拒絶したんだよ!』


 精霊はクラーケンの臭いを嫌がる。だからクラーケンには精霊魔術が通用しない。

 その言葉をハゼルも思い出す。


「そんなっ……でも、どうして今に!」


 混乱しつつ、ハゼルは宝石神獣カーバンクルを向く。

 敵の運気は吸収しているはずだった。なのに、どうして敵にそんな運が向いたのか。

 問いかけようとして、宝石神獣カーバンクルが参ったように伏せの姿勢で怯えているのを見た。


『権能が負けたんだ』

「え?」

宝石神獣カーバンクルの権能は、常に相手に干渉するんだよ。でもその干渉をはね除けられたんだわ』

「そ、そんなっ……うわああっ!」


 愕然としたハゼルを、強烈な揺れが襲う。

 あわててデッキの柵に捕まると、敵はより強力な海の竜巻を発生させ、尋常ではない渦をもって船を再び引き寄せていた。

 船の推進力が負けている。


 (まずい、どうしよう、どうしたらっ)


 左右に大きく揺さぶられながら、ハゼルはどんどんと顔を青くさせていく。

 勝ち目はなかった。

 悟ったとたん、恐怖に心が押し潰され、涙が溢れてきた。


「た、たすけて、おししょうさまっ」


 そう、縋るしかなかった。


「分かってるよ、ハゼル」


 そして、その願いには返事がやってきた。







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