第8話 出来損ない、海の上

 ウェイン共和国所有一等級特別船舶――テレジア号。大きめの帆船という見た目だが、中身は豪華客船と言えるほどの設備だった。

 フォウたちは、その中でも一等級室に案内された。


 ことん、とカップが丸テーブルに置かれる。


 湯気の立つその向こうに座っているのは、爽やかな笑顔の青年だった。灰色のローブマントに、黒いベレー帽。鮮やかな緑色の髪はやや癖があって、彼の雰囲気をより高めている。

 どこにでもいるような、親しみやすい青年だ。


「驚いたね。こんな良い部屋に案内してもらって」

「いえいえ、助けていただいたお礼ですから。これぐらいはさせてください。こう見えて、そこそこ規模の大きい商会をやらせていただいているので」


 青年は笑顔を一切崩さない。

 驕りもなければ謙遜もない。穏やかではあるが、芯の強い威風堂々さはあった。


 (なるほど、ね。商人、ねぇ)


 フォウは内心で評価しつつ、またお茶を飲む。

 しっかりと品質の高い紅茶だ。その隣では、ハゼルが美味しそうにスコーンを頬張っている。小動物を思わせる可愛さに思わず頭を撫でてしまう。


「それで、ウェイン共和国にはどのようなご用件で? 観光ですか?」

「いや、移住をしようと思ってね」

「移住、ですか。それはまたどうしてです?」

「簡単な話だよ。王国の神具女かごめ協会から追い出されちゃったからさ」


 あっさりと言うと、アデルは一瞬だけぴくりと反応した。

 当然、フォウは見逃さない。


「言っとくけど、スパイでもなんでもないよ。わっちは王国の手先じゃないし。ただ事実を述べただけさ。わっちは神具女かごめで、この子は弟子。そして、新天地を求めてウェイン共和国へ向かっている。それだけさね」


 フォウは一息に言ってから、余裕の笑みを携える。


「もし信用できないなら、王国の神具女かごめ協会に問い合わせて見ればいいよ。きっとハゲ頭が怒号を飛び散らしながら答えてくれるからさ。あんたの肩書があれば、それくらい余裕じゃないかな?」

「あー……もしかして、バレてます?」

「割と最初からね」


 苦笑したアデルに、フォウは答えてからまたお茶を飲む。


「ウェイン共和国七執政が一人――《鷹》のアデルだろ」


 ひゅう、と口笛が鳴った。


「良くお分かりでしたね。胸の勲章は隠していたはずですけれど」

「こう見えて物知りなんでね」

「じゃあ、色々と隠しても無駄ですね。おっしゃる通り、僕は《鷹》のアデル。ウェイン共和国七執政。軍事治安担当です」


 恭しく一礼をしつつ、アデルは猛禽類を思わせる目つきに変化させていた。


「ぐんじ、ちあん?」

「簡単に言えば、ウェイン共和国で一番偉い八人の一人さ。王様みたいなものだね」

「えっ」


 ハゼルが思いっきり顔を引きつらせる。

 一方のフォウは一切動じない。むしろ好戦的な目つきを返す。


「で、そんな偉いさんが、いかにもお忍びって感じで僅かなお供を連れて、他国に入ってくるなんて穏やかじゃないよね?」

「おっしゃる通りです。僕らは偵察とスカウトのためにやってきました。つい最近ですが、王国の神具女かごめ協会でいきなり退職者が大量に出たそうなので」

「大量の退職者?」

「ええ。大半が事務職のようですが、一斉に退職したそうです。その影響で、王国でも一番大きい支部が崩壊寸前の危機に瀕したようでして」

「あー……」


 心当たりがあり過ぎるフォウは、苦笑するしかなかった。

 思いっきり支部長の心を折る罵倒をして出ていく前に、フォウはその場にいた係員たちを煽ったのである。「お前らもこんなクソみたいな上司のもとでいつまでも働くつもりなのか」と。


 どうやら、それを受けてみんな退職したようだ。


 フォウからすれば良い気味でしかない。

 困りまくっているだろう支部長の顔を思い浮かべると、非常に楽しい。


「それで、神具女かごめたちも次々と離れていっているようなんです。それで、我らが手を差し伸べようと思いましてね」

「そっちがスカウトの方だね」

「偵察の方は機密なので、悪しからず。とにかく、諸々の事情で足止めを食らうワケにはいかなかったのです。ですから本当に助かります。それに、神具女かごめなのであれば、我らは喜んで受け入れますよ」

「人員不足ってことかい?」

「そうですね。お恥ずかしながら。我が共和国は穢れの被害を人一倍受けた土地でもありますからね」


 純粋に穢れた神々が多いということか。


「まぁ、わっちは神具女かごめしかできないからね。所属させてもらえるなら喜んでお願いしたいところさね」

「お任せください。ちゃんとした待遇をお約束しますので。それでは手続きの準備をしてきますね。入国審査もそうですが、国籍も取っていただきますから」

「ああ、お願いするよ」

「では失礼します。良いお話でした」


 アデルは丁寧に一礼して部屋を出ていく。

 また静寂が落ちると、ハゼルがぽかんとしながらも、フォウを見てきた。


「あのひとって、すごくえらい人だったんですね」

「そうだね。ウェイン共和国にも平和的に入れそうだし、お手柄だよ、ハゼル」

「えへへ、おやくにたててうれしいです」

『私のおかげでもあるんだからね!』


 頭を撫でていると、精霊も顔を出す。


「そうだね。すごい精霊魔術だった。遠くからでも感知できたくらいだからね。思った以上に馴染んでいるようで良かったさね」

『あんたの指導が良かったんだよ。普通の魔法じゃなくて、呪文発動型の魔法を丁寧に教えてたから、魔力を直接分け与える精霊魔術と親和性が高かったのさ』

「だろうね。このまま頑張ればもっと多くの魔法を覚えられるだろうから、励むんだよ、ハゼル」

「はいっ!」


 とはいえ、ハゼルは精霊魔術師になるのが目的ではない。

 フォウはテーブルに小さな蛸壺型のお香を置いた。


「それじゃあウェイン共和国につくまでの間、修行しようか」

「しゅぎょう、ですか?」

「そう。わっちの弟子になってもう半年だからね。そろそろ本格的に神具女かごめとしての修行をしようと思ってさ。これを用意したんだ」


 きょとんとしていたハゼルの顔が、いきなり明るくなった。

 フォウの言っていることの意味を理解したからだ。


「ほんとうですか、おししょうさま!」

「ああ、本当だよ。さぁ、手を出してごらん」


 素直に出してきた手をフォウは優しくつかむ。力を流し込むと、腕がほんのりと光り、紋様を刻み込む。


『本格的な修行? 今まではしてこなかったのかい?』


 疑問を口にしたのは精霊だ。フォウとハゼルは同時に頷いた。


神具女かごめっていうのは、神を宿し、浄化し、使役する。つまり人間にとって分不相応な行為をしなきゃいけないんだ。だから、そのためにはまず器を整える必要がある」

『なるほどね。その器が整ったんだ』

「そういうこと。だからこれから神を実際に体内に取り込んでもらう。といっても、いきなり穢れた神を体内に入れるのは危険さね」


 だから、と、フォウは腕の紋様を輝かせ、神を呼び出す。

 出てきたのは、二匹のリスのような獣だった。額にはルビーが埋まっている。


「まずは浄化された神を手渡す。儀式みたいなもんだけど、大事なことだよ。一番最初の神は、体内で行う穢れの浄化を手助けしてくれる存在だからね。受け入れる準備は良いね?」

「はい!」

「じゃあ、いっておいで、宝石神獣カーバンクル


 フォウの指示に従って、二匹の獣がハゼルの腕の紋様から入り込んでいく。

 少しだけ痛いのか、ハゼルは一度だけ大きく震えた。


「異物感があると思うけど、慣れるまでの辛抱だよ」

「は、はい」

「慣れてきたら意識を集中して、神を呼び出してごらん。後は使役するんだよ」

「はいっ」


 ハゼルは張り切っているようだった。

 とはいえ、身体が慣れるまでしばらく時間が掛かる。フォウが体内でヘルメスを浄化しているように。


「それじゃあ……」


 フォウが続きを言いかけた時だった。


 ――ずぅうん……!


 船全体を揺らすような衝撃音。同時に大きく船が傾いた。

 転覆はしなかったが、着水した時の衝撃がまた船体を大きく揺らしてくる。


「なんだ!?」


 大きい揺れがおさまるのを待ってから、ハゼルがベランダに飛び出す。

 とたん、愕然とした表情を浮かべた。


「なっ……お、おししょうさま!」

「どうしたんだい?」

「く、くく、クラーケンですっ!」


 見る間に顔を青くさせたハゼルは、そう叫んだ。呼応して、フォウは深いため息をつく。


「そりゃ相性最悪だね。精霊魔法が通用しない相手じゃないか。さて、どうしたもんか」





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