第2話 出来損ない、怒る。

「——神の力、だぁ?」


 怪訝になるギルドマスターに向け、フォウは不敵の笑みを崩さない。

 赤く染まった紋様がひと際強く光った刹那、赤黒が飛び出す。

 それは瞬時にして獣と化し、飛び掛かった。


「なんだ、こいつっ!」


 ギルドマスターは剛腕をふるうかのように剣を横に払うが、獣は鮮やかにすり抜けると更に加速、強烈な一撃を顔面に見舞った!

 鈍い音。


「がっ!」


 短い悲鳴を上げ、ギルドマスターがたたら踏む。すかさず獣は床のみならず、壁や天井さえ足場にして縦横無尽に跳ね回り、次々とギルドの面々を打ち倒していく。

 まさに一方的な蹂躙だった。

 そんな中、ギルドマスターは剣を強く握りしめて姿勢を取り戻す。


「情けねぇぞ、てめぇら! こんな獣一匹に倒されやがって!」

「おや、良い様にされておきながら、言うねぇ」


 フォウが挑発すると、ギルドマスターは露骨に機嫌を悪くさせ、額に青筋を立てた。


「てめぇ! なめんなよっ! こんな獣、すぐに始末してやるっ!」


 どん、と床を踏み抜く勢いで踏みしめ、ギルドマスターは剣を掲げる。すると、床に魔法陣が生まれた。

 素早く読み取ったフォウは目を見開く。


「あんた——っ」

「食らいやがれっ! 火炎烈魔法フレイム!」


 放たれたのは、火炎の球体だった。

 膨大な熱を放ちながら、着地した瞬間の黒い獣を襲う!


 ——ごうっ!


 と、空気の焼ける音と炸裂音。

 だが、次に広がるはずの火炎は消滅していた。直撃を受けたはずの獣には傷一つ付いていない。


「——は?」

「あんた、室内で火炎魔法とか大馬鹿すぎるだろ。それに、そんなちゃちな魔法がうちの子に通じると思ったのかい?」

「何言ってやがる! 今の魔法はホブゴブリンやコボルトでも丸焦げにできる魔法だぞ! なのに、なんで!」


 混乱して喚き散らすギルドマスターに、フォウは呆れて嗤う。


「そんな下級魔物と比べないで欲しいね。この子は黒死犬ブラックドッグ――神だよ。そもそも格が違うんだから」

「……なっ!?」

「伝承くらいは知ってるだろう? 雷鳴と共に現れ、死と不幸を告げる赤目の黒犬。この子はまさにそれだよ」


 見る見るうちに、ギルドマスターの顔が青ざめていく。

 次の瞬間、黒死犬ブラックドッグは加速し、強烈な一撃でギルドマスターの鎧を破砕した。


「ぐああっ!」


 衝撃に負けてギルドマスターが床に倒れ伏すと、黒死犬はその足で顔面を踏みつけた。


「ぐうっ!? う、動けない……っ! 離せ、このっ! あぎゃっ!」


 暴れるギルドマスターだったが、黒死犬ブラックドッグの放った電撃を浴び、痺れさせられた。

 黒死犬ブラックドッグはさらに追撃しようと牙を剥いたが、フォウが人差し指を立てるだけでやめた。そして尻尾を振りながらフォウの元へ駆け寄ると、また腕に潜り込み、紋様と化した。

 完全に手懐けている様を見せつけられたギルドマスターは、恐怖に顔を染め上げた。


「き、貴様……何者だっ! できそこない人間の加護失女かごめじゃないのかよ!」

「うん? そうだよ? 間違えてないよ。ただ――その名は正式じゃないね。わっちは神具女かごめだからさ」

神具女かごめ……?」

「この世の混沌と魔を司る穢れ。それに汚染された八百万もの神々を体内に取り込み、浄化し、使役する。それがわっちの職業だよ」


 故に、神具女かごめだ。

 もっとも、穢れを体内に取り込む、ということだけが伝聞、さらに誤解されて加護失女かごめと蔑まれているが。


「いっとくけど、おししょうさまは世界一なんだからっ!」

「あはは、そうさね。もっと褒めておくれ」


 フォウはただの最強ではない。

 現世代では当然ながら、歴代でも最強と謳われている。そのせいで同業からも畏れられ、忌み嫌われている。故に《世界一のできそこない》だった。

 もっとも、フォウは些細なことだと気にもしていないのだが。


「ふ、ふざけんなっ! なんでそんなヤツが、俺のギルドで一日中酒に溺れてやがったんだよ!」

「それは説明したはずだね? 思い出してごらんよ」


 フォウは妖艶な微笑を携えたまま、キセルを手にして吸う。吐き出されたのは、白い水蒸気のようなお香だった。

 煙草の煙ではない。

 ぼんやりと、霧のように室内を覆っていく。


「……ギルドの本拠地に質の悪いバケモノが住み着いて、それを密かに始末するためにギルドへ入ってきた……先代からの、依頼で……。って、それ本当だったのか! 妾なのを誤魔化す嘘じゃねぇのかよ!」

「だから何度も説明しただろう。この阿呆」


 吠えるギルドマスターの頭を、フォウはキセルで叩いた。

 こつん、と景気の良い音がする。


「けど、酒は飲んでただろうがっ!」

「確かに酒は酒だけどね。これは清聖酒だよ」


 実際に酒瓶を拾って、フォウはギルドマスターの鼻先につきつける。

 否が応にも臭いをかがされたギルドマスターは、すぐに眉間にシワを寄せた。


「うっ……この薬臭いのは、確かに」

「これは酔うというより、体内を浄化するためのものだからね。味は二の次だから仕方ないね。わっちが浴びるくらい飲んでたのは、こいつだよ」


 つまりそれは、それだけの量で身体を浄化しなければならない、という証拠でもある。

 フォウは穢れを体内に取り込む神具女かごめであり、すなわち。


「そうでもしないと、身体が持たなかったんだよね。それだけギルドの館に巣食うバケモノ――《穢れた神》は強大だったんだよ。それこそ、さっき呼び出した黒死犬ブラックドッグなんて可愛いと思えるくらいのレベルさ」

「なっ……!?」

「三か月間。毎晩毎晩、一晩中かけて少しずつ弱らせて切り取って、体内に取り込んで、浄化して。それを繰り返してたんだよ。あんたらのために」


 ギルドマスターの顔が、どんどんと悪くなっていく。

 ようやくどういう事態になっているのかが理解できたらしい。


「じゃあ質問。あんたらをこうも簡単になぎ倒せるわっちが、三カ月もかけて少しずつ倒さないといけないという選択を選ばさせられたくらい強大な穢れた神は、今、どうしてると思う?」


 ずっと抑え込んでいたフォウがいない今、だ。


「まさかっ!」

「大分弱ってるとはいえ、神は神。それも血に飢えた神だよ。今頃、阿鼻叫喚の地獄になってるんじゃないかねぇ?」


 ぞくり、と一度大きく背中を震わせてから、ギルドマスターは慌てて起き上がろうとする。だが、手足が上手く動かなくてごろんと芋虫のように転がった。


「くそっ! 動けねぇっ!」

「当たり前さね。神の電撃を食らったんだよ。むしろ、死ななかっただけマシだと思って欲しいくらいだね」

「ふざけんなっ! なんとかしろ! 俺は、今すぐギルドに!」

「戻してやるワケがないだろう。つか、戻るワケないだろ。どうせどっかに逃げるつもりだね?」


 フォウは冷たく切り捨てた。

 さらに、手に持っていたキセルでもう一度頭を叩く。


「不法侵入に器物破損、そして障害に殺人未遂。あと、放火未遂に人身売買。どれだけの罪を重ねたと思ってるんだい? そもそも、ここに来れたのも宿主に幾らか強引に握らせたからなんだろ?」


 何もかもが当たっていて、ギルドマスターは黙り込むしか出来ない。


「ハゼル。宿主に言って、騎士団を呼んできてもらいな」

「はいっ!」

「テメェ、何を!」

「簡単な話さ。あんたを投獄してもらうのさ。今回に限らず、いろんな犯罪を犯してるんだろ? キナ臭いコトしてるのは、三カ月もいれば分かることさ。どうせ、ギルド全員グルなんだろ」


 フォウのこの追い詰め方はただごとではない。

 もちろん、ハゼルを売ろうなどと許されざる行為をしたからだ。

 ギルドマスターは歯軋りしながら睨んでくる。


「そういう態度、やめといた方がいいよ。ここの騎士団、犯罪には厳しいからね。取り調べにちゃんと応じないと、拷問も待ってるって話だよ?」

「くっ……!」

「当然、極刑は免れないよ。ギルドは解体間違いなしだね。館も放棄されるだろうし、これで万事解決かねぇ」

「な、なぁ! 金か? 金ならいくらでもくれてやる! だから助けてくれよ。なぁ! そうだ、俺たちとやり直そうぜ、ギルド! そうしたら、楽な生活が待ってるんだぜ? 良い話だろ? それこそクソ美味い酒をたらふく飲める毎日だ!」

「お断りだね。そもそもわっちは下戸なんだ」


 フォウは、鼻で笑い飛ばしながら拒絶する。


「んなっ……」

「わっちは穢れた神を助けることはできるけど、心まで汚れきった人間を助けることはできないんだよ。だから、そういうのは騎士団のお仕事さね。町も人間も綺麗にってやつ?」

「て、てめぇっ!」

「ああ、でも安心して良いことが一つあるね」


 ゆっくりと、しゃなりしゃなりとフォウは妖艶に歩いて窓を覗く。

 町の奥の方、森の中からうっすらと、赤い何かが立ち上っているように見えた。ちょうどギルドの館があるあたりだ。

 神具女かごめである自分しか視認できない光だった。どうやら相当荒ぶっているらしい。このままでは、町に降りてくる可能性があった。


 もしそうなれば、町は簡単に消し飛んでしまう。


 さすがにそれは後味が悪い。

 ギルドは犯罪者集団だが、町の人たちに罪はない。


「先代の願いはちゃんと叶えてやるよ。あの穢れた神は、わっちがなんとかしてやるさ」


 遠くから、けたたましく走ってくる金属音が幾つも重なって響いてきた。

 騎士団のご到着のようだ。

 フォウはさっさと身支度を整え、キセルからまた白煙を吸い込む。


「これだけ吸えば、浄化の力はしばらく上昇したままだろうから」


 フォウの朱色のアイラインの入った目が細くなる。


「さて、神様にお参りしにいこうか、お出かけだよ」

「おししょうさま、きしだんをよんできました。もうすぐきます!」


 最良のタイミングで、ハゼルも戻ってくる。

 それじゃあ、と言いかけて、フォウはもう一度町外れの奥、怪しく赤を放つ森を見た。


「じゃあ、神様をぶん殴りにいこうかね」


 不敵に好戦的な笑みを、フォウは浮かべた。

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