53話 仙人⑥

 アルコールの害を訴えた爺さんの言葉に誰もが黙ってうなずいていた。

 もちろん大の酒好きがこの場にいたならば、自分の立場を守るために爺さんに反論していたかもしれない。

 ただ爺さんの言葉に一定の説得力があったのことは確かだろう。アルコールが確かに薬物であり、ここまで広く社会に蔓延しているにも関わらずなぜ規制されないのだろうか?という疑問が俺の中でも広がっていた。


「ふぉふぉふぉ、アルコールだけではありませんぞ。他にもドラッグは日常に蔓延しておりますでなぁ」

 何が嬉しいのか、悪戯っぽく笑った爺さんの顔は、無邪気な少年のようだった。

「おいおい、爺さん!もう脅かすのは止めにしてくれよ」

 その表情に俺は思わずツッコんだが、それが脅しでも何でもないことは先程の話からして明らかだった。

「しかし言うても、他にワシらの日常に蔓延しとるドラッグなんかあるんか?……あ、分かったタバコでっしゃろ!」

 確かに酒とともに挙げられるものと言えばタバコで間違いないだろう。

 長田の大きな声に、爺さんはニコニコと微笑んで答えた。

「ふぉふぉふぉ、正解です。簡単過ぎましたかのぅ?……しかしタバコというものは性質たちの悪いものでしてな、長い月日を掛けてなぜかファッションアイテムとしての位置を獲得してきました。タバコを吸うことがカッコいい、不良としての第一歩……というような価値観がずっと定着してきましたわなぁ。……実際は本人だけでなく、副流煙によって周囲の人間にも甚大な被害をもたらすとんでもない毒物であるにも関わらずですわ。しかもその禁断症状は重く、多くの人間が断薬に失敗します。良いですかな、シャブの禁断症状は確かに強いものですが、大麻やMDMAやLSDなどの禁断症状で断薬に失敗するなどということはほとんどありませんでな。……もちろん脳が快感は覚えていますから、その場にネタがあればやってしまう人間は多いでしょうが、そうした依存は精神的な依存であり身体が震えたり無意識に吸う仕草をしていたり……ゆうことはありません。ところがそんな肉体的な禁断症状が、酒やタバコでは実際に起こるんですのう」

「……確かに仙人の言う通りだね。身近な人間で酒に溺れて失敗してきた人間をいっぱい見てきたけど、禁煙に失敗した人間も何人も見てきたよ。僕はタバコを一本も吸ったことがないから、その気持ち良さが分かんないんだけど……ファッション感覚で吸い出していつの間にか辞められなくなるんだもんね、怖いよね」

 謙太がしみじみと呟いた。

『アンタらホストも同じようなもんでハマった女を骨までしゃぶり尽くすじゃねえかよ』という言葉が浮かんだが、それをこの善良極まりないナルシストに言うことは適切ではない気がして黙っておいた。


「……しかし仙人の言う通りだな。なぜ酒とタバコだけがこんなにも社会的な地位を獲得したんだろうな?」

 柳沢が興味深げに尋ねた。AV博士とも言える柳沢は物事を深く探求してしまう性格なのだろう。

 その疑問に答えたのはやはり爺さんだった。

「ふぉふぉふぉ、アルコールはもう人類誕生の頃から存在しておるものゆえ、生活には切っても切り離せぬものでしょうなぁ。……いや、水溜まりに果実が入って発酵した酒のようなものを猿が好んで飲むという話も聞いたことがありますゆえ、人類よりもアルコールの起源は古いのかもしれませんのう、ふぉふぉ」

「へえ~、猿も酒を飲むんだな」

 爺さんの意外な博学には毎回驚かされる。

「タバコの方で言いますと、大航海時代にヨーロッパ人がアメリカ大陸から持ち帰ってきた喫煙という文化は最初はすこぶる評判が悪かったそうでしてな、殺されたこともあるほどに最初の喫煙者たちは迫害されたそうじゃ。今のタバコ吸いの人間は先人たちのそうした犠牲の上に喫煙という文化が成り立っておることを感謝せんといかんですのう、ふぉふぉふぉ。……しかしそんな文化が社会的に受け入れられようになったのは、要は金になるということに尽きるんですわな。ヨーロッパ人に喫煙を流行らせて需要を作り、そこに商品を売りつける。……そうした構造は何百年経とうが本質的には変わらんもんなんじゃよ。酒やタバコが今こうして容認されとるのも結局の所は税収になる……という部分が大きいゆえじゃろうなぁ。お上というもんは、別に庶民の味方ではなく商人の親玉という方が正確な位置付けなのかもしれんのぅ」

 政府が公明正大なものではなく商人の親玉?爺さんの過激とも言える発言に反論してみたい気持ちはあったのだが、無知な俺にはその糸口が見えなかった。



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