46話 丸本⑬
「結果的に言うとこれが致命的になりました。何回かの包括規制よって合ドラ業界は致命的な打撃を受けました。……使える物質が少なくなると、少々副作用の強い物質でも使わなければならなくなる、センセーショナルな報道で合ドラに興味を持ったバカがきちんと調べもせずに使用して事故を起こす、それをマスコミがまた面白おかしく取り上げる、世論が強まれば規制もより強まる……こうした循環ですね。包括規制から1年も経たない内に業界はほぼ死滅しました。私と同じように合ドラを卒業していった人間も多いでしょう」
「じゃあまあ結局は良かったんじゃねえの」
何にせよドラッグを用いずに日常が送れるようになったのならば……と思い、何気なく打った俺の相槌だったが丸本は同意しなかった。
「卒業していった人間の中には違法な薬物……まあ主に覚醒剤に手を出した人間も多いようです。実際統計を見ると合ドラの規制が強まった頃から覚醒剤の検挙件数が急激に上がっているそうです……もちろん私は手を出していませんけどね」
丸本の話が本当だとすると(本当なのだろうが)、さらに複雑な問題が絡んでくることになりそうだった。
しばらく黙っていた謙太が口を開いた。
「じゃあ、丸本君はドラッグに手を出したことには後悔していないってことなの?」
確かに、今までの丸本の口ぶりだとそのように聞こえる。
「そうですね……後悔はしていない、というよりも経験して良かったと思っていますよ」
丸本のはっきりとした答えに謙太は悲しそうな顔をした。
それがなぜなのかはっきりとは分からない。丸本を気遣う謙太の優しさなのかもしれない。
謙太の表情の変化に気付いたのか気付かなかったのか、丸本は説明を続けた。
「……私の場合、ドライオーガズムに到達できたのは間違いなく合ドラを利用したからです。現在では合ドラは使用していませんが、その時に脳と前立腺の快感のチャンネルが繋がったと言いますかね、今ではドラッグと呼ばれるものを一切使用することなくドライに到達出来るようになりました。……まあそれだけじゃなく、合ドラを経験していなければ見ることの出来なかった景色を見ることが出来ましたからね、良かったと思っていますよ。人間の可能性・奥深くに眠る内面の世界は皆さんが思っているよりも広いものだと私は思っていますよ」
「でも……身体にはとても悪いものなんだろう?たとえ短期的な副作用が少ないものであったとしても、長期的に見ればどんな副作用が出てくるか分からないとても危険なもの、それが『危険ドラッグ』だって僕は聞いたよ」
謙太の悲しそうな反論にも丸本はさして動じた様子を見せなかった。
「それはそうですがね……違法薬物よりはマシでしょう」
そう言うと丸本はまた顔を崩さずに、くくく、と笑った。
「ふぉふぉ、果たして本当にそうかのう?」
それに小さな声で異を唱えたのは、誰であろう他ならぬ仙人であった。
「仙人、今の言葉はどういう意味でしょうか?もちろん私が完全な知識を持っているわけでないことは重々承知しておりますが、しかしこの件に関しては仙人よりも多少は詳しいかと。……仙人はまさか昨今の合法ドラッグと呼ばれるものの経験がおありで?」
「ふぉふぉ、そんなもの有りはしませんよ。……なぁに、ジジイの戯言は気にせず続きを聞かせてくだされ」
丸本の反発にも爺さんは相変わらずのにこやかな表情のままだった。
だが丸本が戸惑い、訪れた少しの沈黙の後に口を開いたのは謙太だった。
「仙人は、ドラッグなんかを使用してドライに至ろうとする……そんな浅はかな行動に対して見識が浅いって言っているんだと思うよ」
謙太が今までより語気を少しだけ強めた。
それに返す丸本の口調もやや強いものになった。
「……謙太さん、なぜそんなに突っかかって来るんですか?貴方が素面にこだわってドライに至ったのは良い。素晴らしいことですよ。……しかし合ドラに関して、使用したのは私自身であり誰かに薦めているわけでもありません。しかももう合ドラの季節は過ぎ去ったのです。まともなネタを引くことなどもう叶わないことなのですよ?」
「ほら、その口ぶりだよ。……有効なドラッグが手に入るような状況になれば、自分の健康……いや寿命とすら引き換えにドライの高みを目指そうとするだろ?」
「それの何が悪いんですか?謙太さんも同じドライの高みを目指す者として、むしろ私の考えに同意して頂けないことが不思議なくらいですよ」
「例え違法でなくともドラッグを使用することが癖になると、やがて物足りなくなって、機会があれば違法な物にも手を出すかもしれないじゃないか!」
「なるほど、ゲートウェイ理論というやつですね。……まあその理論自体信憑性が低いものと言われていますが、仮にそうだとして、違法薬物に手を出すことに何の問題があるのでしょう?」
「何の問題……って、違法なものは違法だろ!ダメに決まってるじゃんか!」
……あれ?ここって豚箱の中だよな?
謙太先生は何を今さら言っているのだ、と失笑しそうになったが……今この場所にいる俺たちだからこそもう二度と罪を犯してはならない、という謙太のメッセージが込められたものかもしれない。
本当に、何故こんな善良な男がここにいるのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます