35話 丸本②

「さて、どこから話しましょうかね……」

「ふぉふぉふぉ、丸本さん……出来ればお前さんの出自から語ってもらうわけにはいかんかのう?その方が皆、お前さんの内面を理解しやすいじゃろうて。……もちろん言いたくない部分は伏せてもろうて構いませんでな」

 爺さんの穏やかな言葉に丸本も腹を決めたようだった。軽く頷くと話し始めた。


「……そうですね、ではお聞き苦しい点も生じるかもしれませんがお話しさせていただきましょう。謙太さんは成人近くなって女装に目覚めたということでしたが、私は子供の頃から何となく『女になりたい』ということを自覚していました。ですがウチの家は両親ともにとても厳格でしてね。実際には子供の頃そんな素振りを見せたことがあるのかもしれませんが……物心ついてからそんなことを口に出せるような雰囲気ではありませんでした」

 確かにこの男の語り口は丁寧で知的な印象を与えるし、これだけの言語能力がありながら今までほとんど一言も発しなかったこと……そしてあの表情、どこか人格的に欠落した人間であることは間違いなさそうだった。


「まあ、よくあるつまらないお話と笑っていただければそれで結構なのですがね、私の父親が開業医でして、そして一人息子の私はその『後を継ぐために医者になれ!』という両親からのプレッシャーを幼いころから一身に受けて育ったのですよ」

「……アンタもそうなのか。ホンット毒親ってのは胸糞悪いな、子供は親の所有物じゃねえっての……」

 慎太郎が一座に聞こえるか聞こえないかの微妙な声で吐き捨てるように言った。

 恐らく慎太郎も親子関係に問題を抱えて育ってきた人間なのだろう。犯罪者の実に多くが親子関係に問題を抱えた人間であると言われる。まあそういうことだ。

 丸本は恐らく、慎太郎の声をはっきり聞き分けていたがゆえにスルーした。不明瞭な言葉としてしか聞き取れていなかったならば、その言葉を聞き返していただろう。   

 はっきりと聞いた上でスルーすることがこの場では正しいと判断したのだ。


「小学生・中学生の頃まではなんとか親の望むレベルの優等生をやってこれたのですがね、高校に入る頃には自分の能力に見合わないレベルを求められるようになり、かなり毎日が苦しくなってきました。……その頃は自分の性について突き詰めて考えるような余裕もありませんでした。それに、成長してきた自分の顔と身体を見るとあまりに醜悪で『女になりたい』という気持ちはどこかに霧散してしまいました。自分にも美的センスは多少はあったことが救いだったと思いますよ、ははは」

 丸本は少しも笑っていない表情で、乾いた自嘲の笑い声だけを出した。

「醜悪っていうほどじゃあないだろ?アンタが不気味なのは顔の造形そのものってより、表情の不気味さというか……背後に精神的なヤバさを感じるからだと思うぞ」

「ちょっと、佐藤さん!精神的な部分の悪口は身体的な部分よりもヒドいよ!」

 俺の率直な感想をたしなめたのはまたしても謙太だった。謙太が丸本をかばうのは、やはりどこかシンパシーのようなものを感じているからなのだろうか?

「……良いんですよ、謙太さん。新入りさんの言うこともよく分かりますから。それに私の精神や人格が仮におかしいとして、それが私の責任にるところのものなのでしょうかねぇ」

 なんだか煙に巻くようなことを言って、丸本はまた再び全く動かない表情のまま……ははは、と乾いた笑い声だけをその場に放ち、そしてまた話し出した。


「結果から言うと、私は医大の受験に失敗しました。……父親は酷く落胆しましたが『来年こそは受かれよ。一年というものの重みは後にイヤというほど実感するぞ』と一年の浪人を認めてくれました。しかしもう私は『自分が医者になることなどムリだ!』と思うようになっていました。父親にはもう私に期待しないで欲しかった、とっとと無能な息子のことは諦めて欲しかった……だから翌年は父親に比べ同情的な母親の助けを借り、医大は受験せず文系の大学ばかりを受験したのです。『医大には落ちたが、滑り止めで受けた大学は受かった。もう医者になる道は諦め普通に就職するコースを選ぶべきではないか』という道にもってゆくはずだったのですがね……ふとしたミスから医大をそもそも受験していないことが父親に露見しまして、父親から勘当を言い渡されました」

「言うてええんか迷うけども……どうしようもない親父さんやなぁ」

 長田がしんみりした口調で呟いた。その同情的な口調が俺には新鮮に聞こえた。逆説的かもしれないが、同情をそう素直に口に出せるということは、長田はこの中では割とまともな家庭環境で育ってきた人間なのかもしれない。

「まあ成功している……成功していると思い込みたい人間というものは得てして傲慢なものなんだと思いますよ。……それでも合格した大学に通わせてもらうだけの費用は母親を通して出してくれましたし、まあそれを機に私は自由になれたとも言えるわけで……決して悪い始末ではなかったと今になってみれば思えるのですがね……」

「ふぉふぉふぉ、自分を苦しめていた父親から離れて自由になれて万々歳、というわけにはいかんかったようじゃのう」

 爺さんの言葉に丸本は頷く。

 確かにそんなに簡単に人が自由になれるなら誰も苦労はしないし、こんな豚箱に多くの人間が収容されているわけもないだろう。

「仙人のおっしゃる通りです。……気持ちを切り替えて前向きに自分の人生を生きてゆくには絶好のタイミングだったはずなのですがね、中々上手くはいきませんでした、ははは」

 再び丸本の乾いた自嘲の笑い声が宙を舞った。



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