19話 長田⑨
「ふぉふぉ、どうじゃの柳沢さん?長田さんとは真逆の立場とも言えるかと思うがのう?」
長田の話が一段落したところで、爺さんが唐突に柳沢に話を振った。
確かに爺さんの言う通り、AVという想像力を追求する柳沢と、自らの性欲自体を高めることを追求する長田は、心と身体との対立とも言えるかもしれない。
問われた柳沢は、眼鏡をずり上げ一呼吸置いてから答えた。
「……フェチズムってのは肉体が弱く性欲も貧弱なインテリが生み出したものだっていう説がある。だからと言ってフェチが偉いとか、どっちが上位だ、とか俺は思わないっすね。……俺が長田さんくらいの肉体的なポテンシャルを持って生まれていれば、それはまた違う人生だったでしょうからね。……だから憧れると言えば憧れるけど、結局人は自分以外の人にはなれないっすからね。それぞれのオナニーとの向き合い方を突き詰めていけば良いんじゃないですかね」
完璧とも言えるまとめだった。一同皆大いに納得していることが無言の中でも伝わってきた。
「うん、良い話だったね。……でも長田さん、流石に
謙太の励ましとも取れる言葉に、長田はニヤリと笑った。
「いやいや、甘いでっせ謙太はん!たとえウエイトがない豚箱の中でも筋トレは出来まっせ。腕立て、懸垂、ブリッジ、逆立ち、そしてスクワット……やり方さえ工夫すれば効果的な筋トレはどんな場所でも自重しかなくとも可能や。もちろんプロテインやサプリどころか、ここの食事ではタンパク質が不足している。だがそれでも毎日コツコツとトレーニングをしていけば、必ず効果は出る」
長田の口調はどこか誇らしげだった。
確かに過去の筋トレの貯金だけでは説明の付かない、張りのある身体を長田はしていた。表情も、死んだような顔をしているここの人間たちの中では精悍な顔つきをしていた。
たとえ豚箱の中でも己のルーティンを頑なに守る長田はとてもストイックだ。いや、自分の欲求に対してあまりに正直なその行動をストイックという言葉で片付けてはいけないような気もした。
……それだけ自分の生活リズムを守ることにこだわって生きているなら、長田がなぜ今豚箱に居るのか?というのは大いに疑問に思ったが、それを尋ねるのは暗黙のタブーのようだった。
長田は語るべきことは全て語り終えたようだ。
軽く一座に向かって頭を下げると、自然と小さな拍手が巻き起こった。
当然俺もそれに倣う。
最初、露骨な反感を示してきた長田に対して俺も反感を覚え、何かきっかけを見つけそれを爆発させてやろうとどこかで思っていたのだが、長田のある意味深い話を聞き、そんな反感はどこかに消え失せていた。
「ふぉふぉふぉ、長田さんの話もまた
今回の爺さんの笑い声は、いつにも増して上機嫌そうに聞こえた。
「ちょっと待ってよ仙人!ナルシストなら僕に決まってるでしょ!」
ニヤリと笑いながら、色男謙太が爺さんの笑い声に被せてきた。
謙太の笑みは悪ふざけのドヤ顔そのものだったが、そんな表情でもこの男がすればたちまち絵になるのがたまらなくズルい、と俺は思った。
(つづく)
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