第10話 雄ブタの終わり
失敗した。
異世界転移早々、最強ユニークスキルを手に入れたアニメや漫画の主人公が如く。突如現れた巨大な敵を前にして格好良くスキルを使って状況を打開。おまけにその後ヒロインとなる女性も救って、その後は次々と襲い掛かる敵を蹴散らしその都度可愛い女性を仲間にしてキャッキャウフフな展開を期待していたわけではない。
そうではないが、この結末は望んだものではない。
異世界転移後の自分の置かれた状況を嘆き、同じ苦しみを味わう男性たちに心動かされ、レア度の呪縛に恐怖する女の子に同情し、自分は手に入れたスキルで自分ができることをしようと決心した。
その結末がこの有様である。
無様に地べたに突っ伏して涙と鼻水と涎を垂れ流しながら、切断された左手の痛みに襲われながら自分の首に槍が振り下ろされる瞬間をただ眺めることしかできない。
このような主人公がかつていただろうか?
異世界で都合よく手に入れたスキルに浮かれ、「世界を変える(キリッ)」と言っておきながら何もできない無様な男。このような男が物語の主人公であるはずがない。おそらく私はこの異世界において盛り上げ役に過ぎないのだろう。私がここで行った結果が巡り巡って、いつか現れる本物の主人公の糧となることを祈り、そろそろこの世界から退場しよう。
だが、せめてこの世界での最後の一言だけは「んほぉおおおっ!!」にしないことを固く決意した。
「んほぉおおおっ!!」
そう決意したはずだったのだが、それはものの数秒でフラグを回収してしまった。
しかし、「んほぉおおおっ!!」の誓いは守れなかったものの、何故か私の首は切断されず、代わりに重い衝撃が私の腹部に響いたのだ。
「ぼさっとすんなっ!ブタ!!死にたいの!!」
「カーシャちゃん!?」
見上げるとそこにはカーシャちゃんが立っていた。ローズと私の間に入り、手にした剣で朱槍を止めつつも後ろ脚で私を蹴り飛ばしてくれたようだ。
「そこの…魔法ブタ!こいつを連れてここから逃げなさい!!」
「ま、魔法ブタ!?僕のことですか?」
「あんた以外に魔法使っているブタはいないでしょうが!!こいつが死んだら、本当に私たちは終わりよ!!」
すぐさま駆けつけてくれたミナナくんに支えられ立ち上がるが、私は自分が逃げることよりもカーシャちゃんのことが心配でたまらなかった。
「カーシャちゃん…!」
「あぁ、うっさい!!こっちに集中しないと、一瞬で殺されそうなのよ!こっちは!!」
「でも、カーシャちゃんは…」
「…イッパツ」
ふとカーシャちゃんの口から出た私の名前を耳にし、絶対に聞き逃してはならないと直感した私は無理やりにでも連れて行こうとするミナナくんを止め彼女の言葉に耳を傾ける。
「あんたのスキルがあれば…この世界から雌ブタを解放できるのよね?」
「…」
「だったらお願い。ここから生き延びて、雌ブタにされた女性を救ってほしいの…私の代わりに」
「っ!それならカーシャちゃんも!!」
「こいつを引き留める役目を担う奴がいないと全滅でしょうが!私の話はそれだけ!さぁ、早く逃げなさい!!」
「カーシャちゃん!!」
「………頼んだわよ、イッパツ」
カーシャちゃんのふっと微笑んだ横顔をじっくりと見れる余裕もなく、私は必死に引っ張るミナナくんに連れられて牧場の裏に生える木々の中へと駆け出すしかなかった。でも、一瞬だけとはいえ、私はカーシャちゃんの見せたあの優し気な、本当の彼女の表情を目に焼き付けた。
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「ほう、自ら盾になり雄ブタを逃がすとわ。面白い」
ローズの連れてきた女性兵から剣を奪い、咄嗟にローズの朱槍を受け止めたカーシャであったが、押し留めているというよりもただ見逃してもらっているだけに過ぎず、徐々に力が入るローズの一方でカーシャの方は既に限界の域まで達していた。
「成程、貴様がここの雄ブタどもを逃がした張本人だな…。それで施設長のビローゼはどうした、殺したか?」
「さぁね、今頃家畜小屋で縛られて寝転がってるんじゃない?」
「やれやれ、部下に裏切られた上に飼育していた雄ブタどもを逃がすとは…もはやビローゼに価値はないな。雌ブタにするか…いっそう殺してやるか…。まぁいい。それでお前はどうする?雄ブタどもを庇ってここで犬死にか?」
「犬死に?はっ!馬鹿冗談!」
先程までローズの片手に対し両手で必死に抵抗していたカーシャであったが、彼女がふっと笑うとローズに伝わる力の重さがぐんぐんと上がっていくのが朱槍から伝わってきた。
「残念だけど、私はここで死ぬつもりはないのよ!あんたを倒して、あいつらを追うわ」
「ははは、私を倒す?雄ブタどもに囲まれて頭がおかしくなったか?」
「あっそう、じゃあ…そろそろ本気出させてもらうわよ!!」
カーシャがそう言うと、先程まで圧倒していた槍と剣の鍔迫り合いがいつの間にか拮抗しており、そして今、ローズの朱槍は天高く打ち上げられた。
「な!?馬鹿な!?」
今までの余裕の表情が消え、驚き目を見開くローズの一方でカーシャは勝つことだけを考え全神経を集中させて低姿勢から剣を振り上げる。
おそらく“R”や“SR”しかない人間には避けるどころか目で追うことすらできない一閃に、しかし“SSR”のローズは違った。少し驚いたものの剣先ぎりぎりのラインで避けると、重力で戻ってきた朱槍を片手で回し、今度は両手で構えて振り下ろす。
鉄と鉄がぶつかり合う激しく重い音が響き、ローズとカーシャの周りの地面が大きく陥没する。今度のローズの一撃は手を抜いたものではなく、全身全霊とまではいわないが“SR”以下の人間に放つ一撃ではなかった。だが、それでもなおカーシャは手にした剣でローズの一撃に対応していたのだ。
そして、その様子を見て今度はローズは嬉しそうに笑った。
「はははっ!素晴らしい!貴様、今のこの瞬間に“SR”から“SSR”に覚醒したのか!」
この世界を創造した女神が生きとし生ける人型生物に与えたレア度は常に一定のものではない。生まれた時に与えられた段階で天才と呼ばれる者たちは“SR”以上を授かることもあるが、後天的にそのレア度が上昇する場合もある。
この世界の数千年の歴史の中で、特に戦時中、窮地に追い込まれた者が己の限界を超えてレア度を上昇させることがあった。これを“覚醒”と呼ぶが、その理由については詳しくは判明していない。特に自分よりも強大なものに立ち向かう時、絶対に負けられないと強い意志を決めた時、そういった時にレア度は己の限界を超えて覚醒する。その様に人々には伝えられてきたのだ。
そして、この一戦において、カーシャは間違いなく覚醒した。しかし、それを後押ししたのは間違いなくイッパツの与えたリロールのおかげであり、カーシャはそれを思うと内心少しだけ嬉しくなった。
(イッパツ、やっぱりあんたの力は本物よ。この世界を変える革命の力よ、これは!)
正直、ローズの前に立ちはだかった時は半信半疑であったが、今までとは比べ物にならない強者の領域に足を踏み入れた実感を得たカーシャはもう一度息を整えて剣を構える。
(生きてイッパツに会いに行く。そして、あいつと一緒にあの娘を助けに行くんだから…!)
脳裏に浮かぶイッパツと、もう一人は幼い女の子の姿。
カーシャはもう一度全神経を集中させると、再びローズへと斬り込んだ。
「『エアレス・スランマ』!!」
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林の中に入り、しばらく生い茂った草をかき分けながらミナナくんと走ったが、後ろから追いかけてくる気配は一向に消える様子はなく、どんどんと私とミナナくんに近づいてきていた。
「はぁはぁ…、イッパツさん。手は大丈夫ですか?」
「うん、なんとか。血はもう止まったみたい」
「良かった。流石の自己回復能力っすね」
確かにだくだくと流れていた血は止まっていたものの、本当は痛みは全く消えていなかった。だが、この状況で痛いと喚いたところで状況が良くなるわけもなく、私はミナナくんに支えられながらも彼と一緒に必死に走った。
「この先に…川があるんですよ!前、木材を集める仕事をさせられていた人から聞いたんですけど、そこからなら川を下って逃げられるかも!」
それは朗報であったが、その瞬間、後方から我々の下へ幾つもの矢が飛んできた。
「雄ブタどもを逃がすな、放てぇ!!」
林の中のおかげでビュンビュンと飛んでくる矢のいくつかは木に阻まれるが、しかし木々を掻い潜ってこちらへと届く矢もある。
まさに狩人とブタ。
そういった具合だが、何一つ面白いことはなく私とミナナくんは飛来する矢に急かされるように、そしてなるべく一直線に走らぬようにジグザグと走る方向をこまめに変えながら走った。
だが、そうすればするほど後方の女性兵たちとの距離はぐんぐんと縮まっていく。
どうすればいい。そう思った瞬間、聞き覚えのある野太い声が後方から響いた。
「『アースシェイク』!!」
「な、なんだ!?きゃああぁぁぁ!!」
振り返えると、そこには片腕を失ったタクジさんが女性兵たちの側面から彼女らを襲撃している姿があった。しかもタクジさんは一人ではなく、数人程度であったが雄ブタだった他の男性たちも加勢してくれているようだった。
「タクジさん!!」
「いいから先に行け!こっちは俺たちで足止めする!!」
「っ!すみません!!」
我々も加勢したい気持ちはやまやまだったが、カーシャちゃんのことを思うと立ち止まるわけにもいかなかった。
ここはタクジさんらに任せ、後ろの心配がなくなった私とミナナくんは全力でこの先にあるという川へ直進した。そして、徐々に水の流れる音が聞こえ始め、川の存在を確信した我々は一気に駆け出し木々を抜けた。
木々を抜け、視界の開けたその先には…だが川は存在しなかった。
そこにあったのは川ではなく、崖であり、対面は遥か彼方、水面に至っては遥か下の方にあった。
「そんな…川じゃないなんて…」
「イッパツさん!木を切って向こうに渡せませんかね!」
「木を切るって言っても…」
「『ライトニング・エッジ』!!」
悩むより先にミナナくんは近場にあった木の根元に魔法を当て、その大木をへし折った。めきめきと倒れる大きな音を立てて倒れたが、思惑通りその先はしっかりと崖の対面へと続いていた。
「やったぁ!!」
「枝が少し邪魔ですけど、これなら…」
だが、ミナナくんが何かを言い終える前に草木をかき分けて人影が飛び出してきた。その姿に一瞬女性兵たちを倒したタクジさんたちを期待したが、現れたのはその女性兵たちの方であった。
「貴様ら!抵抗するなら貴様らも処分する!!」
「くそぉっ!!!『ライトニング・エッジ』!!」
話す余裕もなく攻撃を仕掛けたミナナくんに私も何かできないかと動こうとしたが、その瞬間にミナナくんの怒鳴り声が上がった。
「イッパツさん!あなたは早く対岸に!!」
「で、でも…!」
「でもじゃないですよ!!これまで皆イッパツさんを逃がすために命を懸けてきたんです!ここであなたが死んだら…」
「何を話している!雄ブタども!!」
「ぐあぁっ!!」
ミナナくんの声に押されるようにして私は倒木へと駆け出した。その視界の横で一瞬女性兵たちに取り囲まれるミナナくんを見たが、もはや私にはもう逃げるしか選択肢がなかった。
「いっけぇぇっ!!!!イッパツさん!!僕たちを…世界を…救ってくださぁい!!!」
その声を胸に、覚悟を決めて私は一人大木へと足を掛けて走ろうとした。
だが、その瞬間にいくつもの強い衝撃が私の側面を襲い、それが何なのか分からぬままに私は足を滑らせた。
どんどんと落ちていく私。どんどんと離れていく空。このまま地の底まで落ちていくのではないかと錯覚するほどに長く、その間私の脳裏にミナナくんやタクジさん、コリアさん、そしてカーシャちゃんの姿が過った。
私一人生き残ったところで、彼らが居なくてこれから何ができるというのだろうか。
そんな不安もふつふつと私の内から湧きだそうとしていたが、どんという大きな衝撃が襲ったかと思うとパチンと電気の灯りを消したが如く私の視界は真っ暗に染まり、そこで意識は途絶えた。
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「……」
「まさか…この私が本気でスキルを使う羽目になろうとわな…」
周りの女性兵たちが加勢できないほどの激闘の末、ローズは肩で息をしながら久々に本気を出せたことに言い知れぬ高揚感に浸っていた。
そのローズの激闘の相手であるカーシャはというと、幾つもの朱槍に体を貫かれた状態で、その体は宙に固定され頭は力なく垂れさがっていた。
「ふふふ、だが面白かったぞ。久々に私を本気にさせてくれた礼に、お前は雌ブタにせずに私の近衛兵に選抜してもいいが…どうする?」
「……」
深く息を吐いて呼吸を整えたローズは朱槍を片手にして体中を串刺しにされたカーシャへと近づく。だが、十分に槍が届く範囲まで近づいてもカーシャは一言も発せず、ピクリとも動かなかった。
「ちっ!しまった。殺してしまったか…。勿体ないことをした…」
垂れた頭を朱槍で持ち上げカーシャの表情を確認したローズであったが、既にカーシャの顔に生気はなく口からは涎と血を垂れ流し、瞼は開いているが瞳は黒く濁っていた。
「ローズ様!森へ逃げた雄ブタどもも一掃いたしました」
カーシャの死体を見て嘆くローズの下に女性兵は近づくと、適度な距離を取ってそう報告した。
「ご苦労…それで、大人しく捕まった雄ブタは何人だ?」
「それが…最初は無抵抗だったものも急に暴れ出し手に負えず、殺処分を決行しました」
「そうか…森に逃げた雄ブタどもは?」
「はっ!抵抗したために一人残らず殺処分しました」
「あーあー…、女王陛下への貢ぎ物たちが全滅か…」
ローズは部下の報告に少し頭を悩ませると、朱槍を振って付いた血を払い天を見上げる。
「今年は秘蔵の雌ブタを献上するしかないか…。あの雌ブタは従順で気に入っていたのだが、背に腹は代えられないな。…よし、撤収だ」
「それで…この死体はいかがいたしましょう?」
「ん?…あー、雄ブタどもの死体と一緒にして家畜小屋に投げ込んで火を付けろ」
「…家畜小屋には捕まった施設員やビローゼたちがいますがいかがいたしましょう?」
「さぁね。死体を入れたら火を付けろ。命令はそれだけだ」
「…承知いたしました」
その後、直ぐに死体は家畜小屋の中へと問答無用で押し込まれ、家畜小屋は元から中に居た者と新しく加えた者たちを燃料に轟々と燃え上がった。
途中、幾つもの甲高いキーンとした悲鳴が上がったが、それを聞いて止める者は誰一人もいなかった。ローズはというと一人早々に家路に着き、残された女性兵たちは焼け上がる家畜小屋を見届けた後、生き残りがいないことを確認してから彼女らも撤退していった。
「これが“朱壁”のローザの所業…か」
一人、おそらく新米であろう女性兵は血が火であぶられて赤黒く染まったまさに“朱壁”となった元家畜小屋の壁を眺め、そう呟いた。
ローズ含め、この惨劇を見て嘆く者は誰一人としていなかった。人が死ねばそれなりに悲しくなったり嘆いたりするものではないのかと思いつつ、いつか自分も人を人と思わなくなる、そんな日が来るのだろうと思いながら、彼女は焼け焦げた牧場を後にした。
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