神の御子
羽丘七十一
プロローグ 弟
今日は家族3人で仏壇に手を合わせる日だった。
俺も25歳の社会人になっていることもあり、普段は実家を出ているのだけど、この日は毎年帰省して一泊するのが恒例。
弟の10回目の命日。10歳で亡くなった弟は本当なら今年成人式を迎えるはずだった。
父、母、俺の3人で、リビング一角に無理やり設えた仏壇に向かって手を合わせていた。仏壇に飾られた遺影は10歳男児の無邪気な笑顔を向けている。
第二次性徴期に突入することもなく、弟はこの世を去った。
急性白血病だった。日本では1年間におよそ1000人に1人が不幸にもかかってしまうらしい。しかし治癒率も高くなっていて、約7割くらいは治るらしいのだが。
残念ながら、弟は少数派閥だったようで6ヶ月ほどの闘病期間を経て病院のベッドで息を引き取った。
あと1ヶ月長生きしていたら11歳の誕生日を迎えることができたのに。
闘病末期の弟は、自分の行く末を悟っていたのだろう。物分りの良い子をしっかりと「演じていた」。憔悴しきった両親に対して、心配させまいと無邪気を装っていた。少しでも両親の笑った顔を見ていたかっただけかもしれないな、と今になって思う。
弟はかわりに、俺の前だけで泣くようになっていた。「絶対に治るから、諦めんなよ」。言うだけなら簡単だ。でも当時15歳だった俺に、それ以上の語彙力はなかったし、演技力もなかった。俺の涙も流れ続けてたから、説得力もなにもない。弟は信じてなかったと思うけどね。それでも「にいちゃん、信じるよ」って付き合ってくれた。10歳すら騙してあげられない15歳の兄だったんだ。ダサいなあ。ほんと。ダサいわ。
遺影の横には小さな骨壷がちょこんと置かれている。
父も母もともに田舎から上京してきた人たちだったこともあって、我が家には東京に弟が入れる墓なんてもってなかった。それに両親も、俺も、早くして天国に旅立ってしまった弟の欠片だけでも自宅に引き取りたがったのもある。父さんか母さんが墓に入るときに、一緒に連れて行くと言っていた。「もう一度抱きしめてやるんだ」って。骨身に沁みるに違いないぞ、ってガハハと笑う。なんだよ、俺だけ仲間はずれかよって茶化す。そんなやり取りができる、この両親で本当によかったと思う。
命日の食卓は弟の好物が並ぶ。トマト煮込みハンバーグと、豚汁。肉&肉。仏壇にも供える。天国からでも味見くらいしてくれたらいいのにな。残された家族3人で作ったんだからさ。
食事の時のみならず、この日は一日中弟の思い出話をする日。残された家族3人がそれぞれ、いつまでもいなくなった子どものことを引きずるのはよくないのではないか?という考えを持ちつつも、この日があることで、それぞれが崩れることなく生活ができているのだから、それはそれでいいんじゃないかなあ。生きていく中で何を大切にするかなんてそれぞれ人の勝手なんだから。
食事も終え、家族の団らんも終え、俺は弟の遺影に「おやすみ」と声をかけて、3LDKの我が家の端っこにある自室に向かった。
弟が天国で見守ってくれているといいなあ。
10歳のまま成長していない弟の面影を思い出しながら、久しぶりの実家の布団に潜り込んで、目を閉じた。
。
。。
。。。ちゃん
。。。。。ちゃん。。。。にい、。。。にいちゃん。。。。
。。。にいちゃん。。。。たすけて。。。にいちゃん。。。。。
夢の中でぼんやりと弟の声が聞こえる。ちょっと甲高い男児の声。
懐かしいなあ。
「にいちゃん、たすけて」
ああ、よく弟から呼ばれてたなあ。いたずらして棚の上に登って降りられなくなった幼少期とか。たすけてーにーちゃーん。もっと小さいときは「にぃに」って呼ばれてた。5歳も離れてると両親を奪い合うライバルっていうよりは、完全に庇護下って感じだったもんなあ。
命日はどうしても弟のことを思い出すので、夢に弟が出てきても不自然じゃない。というか、毎年弟の夢を見てる気がする。ブラコンだったのかな、俺。
「にいちゃん、たすけて」
ゲームで難易度が高いときもよく呼ばれたっけ。兄の威厳でなんとかクリアしたけど、俺、ゲーム下手だから大変だったんだぞ。
「にいちゃん、たすけて」
夏休みの宿題もいっしょにやったっけ。いっつも9月に入ってから、提出日の前日だったけど。締切にルーズなやつだったなあ。「にいちゃん、余計なことは思い出さなくていいんだよ」そうか。すまんな。でも、俺にとってはそれもいい思い出なんだぜ?
「にいちゃん、たすけて……」
末期も末期。もう涙すらも流せないほど消耗してやせ細った弟の手を握ってた。
まだまだ、世の中にはお前の知らない世界がたっくさんあるんだぞ。好きな子もできるし、ヒゲも生えてくる(「ヒゲはどうでもいいよ…」)。
だからまだ死ぬな。俺にできることはなんだってしてやる。どれだけ俺を頼ってもいいんだ。だから、もっと生きてくれ。
あのときどれほどのことを思い、どれほどの言葉をかけたか。
あれ、全部本気だったんだぜ?あいつが信じてくれてるといいな。
「にいちゃん、助けて!」
夢に響く声がどんどん大きく、はっきりしてくる。
俺が助けた分、おまえは他の誰かをいっぱい助けてあげるんだよ。情けは人の為ならず。優しさは循環するんだぜ。
「にいちゃん、助けて!!」
「オッケー、全部俺に任せとけ!助けてやる!!」
弟の声に反応した瞬間、視界(といっても夢の中)が、閃光でハレーションを起こした。何も見えないけど(夢だし)、手を伸ばすと懐かしい小さい手の感触があったので、俺は迷うことなくその手を掴んだ。その瞬間、なにかにずるっと引っ張られるような感触があった。そのまま、意識が遠くなった。
まあ、もともと寝てたのに、意識が遠くなるってのもおかしな話だけど。
神の御子 羽丘七十一 @8971
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