第12話 魔法

最初に感じたのは、音だった。

ごうごうという空気の音に、肌を滑る布の音。そうして布があることに気づいて、自分の肌の感覚を自覚した。

目を開けようとすると、まるで周囲がぼやけていて見えないが、光は感じられた。


「(私、確か意識を失って…)」


思い出したのは赤。そうだ―。耐えがたい程の痛みと共に、口から血を吐いたことを思い出す。

でもどうやら、死んではいないらしい。


「レイリア様がお目覚めになられました!」


見えなかったが、傍に人がいた様だ。若い女性の声が上ずっている。


「おお、助かってよかった…!」


これは師の声。足音が近づいてきた。額に手が添えられひんやりとする。暫く意識を保っていると、起きた直ぐはとても体が軽く感じたのに、だんだんと鉛を詰め込まれているかのように、手足が言うことを聞かなくなっていった。自分の体の状態から察するに、かなりの重症の様だ。


「まだ辛いでしょう、お眠りなさい」


声がして、私は再び意識を失った。






その失った意識の中で、懐かしい夢を見た。

私は、いや、私たちは野を駆けている。

子供らしく軽やかに、何がおかしいのか嬉しくて顔は笑ったままだ。ゆえに口の中はカラカラで、それでも大声で笑わずにはいられない。私はやっとエレツアルに追いついて、彼の手を取った。勢いが余って、二人は柔らかい野原に倒れこむ。そのまま何回か転がって、止まったらまた二人で笑いあった。


「レイリアは足が速いね」

「そうでしょう?」


したり顔をした私だったが、きっとエレツアルはわざと速度を落としたんだろう。私に捕まるために。

横になって向き合い、その翡翠色の瞳を眺めた。私はその輝きがたまらなく好きで、いつだって独り占めしたかった。


「ねえ、レイリア」

「なぁに?」

「人間って、大きくなったら結婚するんだって」

「結婚?」


うん、と小さく彼はつぶやいて、目を伏せた。

ケッコン、というのは、一体何なのかわからなくて、エレツアルに教えてほしいとねだる。


「愛し合う二人が、死ぬまで一緒に居ると誓う事だよ」


愛なんて、幼い二人は知る筈もなかっただろう。

でも、その「結婚」というのは、とても神聖で尊い響きで、簡単に破ってはいけない唯一の物なのだと、自然に二人へなじんだ。


「それって素敵ね」

「そうかな?だって死んだら結婚じゃなくなるんだよ」

「じゃあ、死んでしまっても、愛し合っていればいいじゃない」

「…うん。僕が先に死んだら、僕の事は忘れちゃっても良いって思うんだけど。でも、もし、愛する人が先に死んでしまったとしても、きっと僕はその人のことを、ずっと愛してる」


エレツアルは真剣な表情で、私の手を強く握った。

これから、彼に愛される人は、ずるい。

だって死んだ後も、彼の愛を永遠に手にすることができるのだから―。








懐かしい夢から覚めると、辺りは暗いようだった。

まだぼやける視界だったが、何度か瞬きをするといくらかの景色が見えてきた。広い部屋、天蓋付きの大きな寝台。寝台にかかるカーテンの隙間から見える、右手側の窓。その窓から受け入れる月光に当たりたくて、身をよじっていると、灯がついた。


「…レイリア様?」


若い女性の声だ。この声は以前にも聞いたことが有る。

カーテンが開き、彼女の姿が見えた。赤毛をひとまとめにして、暗くて分かり辛かったが、緑色のドレスを身にまとっている。彼女は優し気に微笑んだ。


「ああ、私はとある伯爵家の娘でして、メイベルと申します。…父は歌人の師を務めておりますわ」

「(師のご令嬢…)」

「喉が渇いていらっしゃるでしょう、今、水を持ってこさせます」

「(私、喉が渇いて声が出ないんだ)」


彼女、メイベル嬢の気づかいに感謝して、この状況の事を考えた。

あの日食べた食事に何か入っていたため、私は死にかけたんだと思う。一緒に居たレイは無事だろうか。今となっては、最近起きていた「不幸な出来事」は、故意的なものだったのだろうと考えることが出来た。

誰かが私を殺したかった。

真っ先に思い浮かんだのは、エレツアルの事だ。私は後悔した。私のせいで、彼に迷惑をかけてしまったと思ったからだ。本当ならば、身の程知らずだと強く拒否すべきだったのに、美しい火に群がる蛾のように、冷静さを欠いていた。

なるほど、私を殺せば、エレツアルは多少動揺するかもしれない。


「お水を持ってまいりました」

メイベル嬢が傍に来て、自ら水を飲ませてくれた。伯爵家のご令嬢がこんなに親身になってくれるなんて、という顔をついしてしまう。


「ふふ、レイリア様は顔に出やすいですね」

「あ…すみ、ません」

「私は貴方様の侍女です」

「じ、侍女?」

「はい」


一言二言、話しただけだったが、その立ち居振る舞い、賢そうな瞳に嘘をついている印象は全く感じられない。となると、エレツアルが彼女に命令したのだろう。


「申し訳ありません、私如きに…」

「あら、父や陛下に言われたからじゃありませんわよ。私も歌人選出の儀に居たのです」

「えっ」

「その時、レイリア様の歌声に心を奪われて…このような状況になり、自ら名乗り出たのです」


そして…と彼女は言葉を続ける。


「この世界は身分制度がきっちりしておりますよね。でもその身分に相応しい人間である者ばかりかと言われれば、決してそうではない。レイリア様、威厳、というのはその人の発する霧なのです。私は貴方様に惹かれて、貴女様を尊敬しているのですわ」


言葉が出なくて、ただじっとメイベル嬢を見つめてしまった。


「ええと、メイベル嬢」

「メイベルと」

「メイベル…様。ありがとうございます」

「いいえ」

「あの、一緒に居た歌人のレイ・アズールは無事でしょうか」

「ああ、ご無事ですよ」

「良かった…」

「ですが」


彼女は分かりやすく顔を曇らせた。そして、私に何かを言うべきか躊躇っているようにして、視線を彷徨わせる。


「今からお聴きになることは、いずれ伝わる事でしょうから、私からお話いたします」

「いったい、何があったのですか?」

「陛下が、お倒れになったのです」

「…!!?」


いったい、なんで。

どうして?という疑問が駆け巡る。


「どうぞご自分をお責めにならないと、約束してください」

「私の、せいですか?」

「いいえ、陛下のご決断です」

「妖精王陛下の?」

「はい、魔法、はご存知ですね?」


魔法。

藪から棒だ。エレツアルは確か、消えかけている古代の物だと言っていた。それが一体どうしたというのだろう。


「この世で魔法を使えるのは、妖精のみです。そして、陛下は妖精…」

「…」

「陛下は、貴女様の毒を自らの体に移し替えたのです」

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