第11話 不幸な出来事

エレツアルが私たち歌人と厩舎で過ごすことになってから、私の身の周りに変化が起き始めた。

というのは、湯あみ後の服が無くなっていたり、歩いていたら鉢植えが頭上から降ってきたり等、些細なものから危険な出来事までだ。

レイとは一緒に居ることが多いので、とても心配された。

私自身、なぜこのような事が起こっているのか分からないし、原因が分からない以上、師に相談するのもなんとなく憚られた。

精霊の思し召しか、はたや誰かの故意の思惑なのか。

わからないまま過ごしていた時、決定的な出来事が起きてしまった。


夜、厩舎の食堂は静かだ。

食堂というよりは、貴族の食事の間の一室というような雰囲気で、大きな部屋の中心にロングテーブルがある。傍には暖炉があって、暖炉の上には高価そうな骨董品や白いキャンドルが置かれていた。

前の暮らしでは想像もつかないが、ここでは宮殿の料理人が作った食事をいただく事が出来る。

歌人は、夜の限られた時間にそこで食事をとる。

私とレイはその決められた時間に二人で訪れていた。シャリス公とリリアン嬢がいつもすれ違うこともないので、どうされているのかは不明だ。

席に着き、此処に来ていつまで経っても落ち着かず食事を待つ時間。

そんな私を見て、レイが苦笑した。


「まだ慣れないか?」

「うん、誰かに食事を作ってもらって、その上運んでもらうなんて申し訳なくて」

「レイリアらしいな」


レイの形のいい唇が弧を描く。

彼がブラウンの艶やかなテーブルに肘をついて、こちらを仰ぎ見るようにした。

綺麗なブロンドがさらりと頬にかかって、その少年らしい動作に少しどきりとする。


「(こんなに綺麗な人に求婚されて断るなんて、人から憎まれてもおかしくないわね)」


考えていることを悟られないよう、レイの肩越しに灯る白いキャンドルの火にぼうっと目を奪われる間に、食事が運ばれてきた。

温かいパン、鴨肉のローストに野菜と、滑らかそうなマッシュポテトが添えられている。

夢のような食事をレイと共にとっていると、ふと胃の当たりに違和感を感じた。誰かが内側をぎゅっと握っているような感覚だ。苦しくて、息が出来ないことを自覚した。

口の端から漏れ出す液が、ぽたりと膝に落ちて、それを見るとまるで赤く、自分の血だと自覚すると、意識が遠のいた。

最後に見たのは、レイの驚く顔だ。







「どういう事だ!!」

ある一室に怒号が響く。

橙に灯る細かな硝子が使われたシャンデリアの下、白い肌を真っ赤に染めた麗人が居た―エレツアルだ。彼はどうしようもない怒りを抱え、寝台に横たわる思い人を苦し気に見遣った。エレツアルの傍には2人、歌人達の師アレイと人間の王であるルイス王だ。


「私の監督不行き届きです、妖精王陛下」


アレイが掠れながらもエレツアルに届く声で謝辞を述べた。この場のアレイ以外の2人は、彼に問題があったとは思っていなかったが、それでもエレツアルは衝動的に、渾身の力を込めてアレイを殴った。

ドカ、と鈍い音が鳴ると、アレイはその衝撃で尻餅をついて、壁にもたれる。殴られながらも、彼はもう一度「申し訳ございません」と小さく呟いた。


「謝って済むことではない。この状況を何とかせねばならない」

「…エレツアル、医者から聞いただろう。レイリアはもう…」

「うるさい!」


昏い声でルイス王がエレツアルを諫めたが、エレツアルは到底納得いかなかった。これまで生きてきた中で、彼は幾度も困難に遭い、その思い通りにならない理不尽な出来事を飲み込んできた。

エレツアルはその苦しみを仕方ないものだと自らの心を殺し、収めてきたが、レイリアを失うかもしれないという事は、今まで受けてきたどんな仕打ちより受け入れがたく、感情を制御することが出来なかった。

その悲嘆した様子に、ルイス王とアレイは言葉を失った。


「私は今までこの国のために、色んなものを犠牲にしてきた。だがレイリアだけは、この手から溢したくない」


エレツアルは分かっていた。

彼はレイリアが欲しい。彼女が居ると幸福だからだ。しかし、自分が居ることで彼女が不幸に遭うのは、本意ではない。

―レイリアはエレツアルに近くなりすぎたため、毒を盛られた。

妖精王という身分は彼に重く圧し掛かった。賢い彼なら分かっていた結果だったのに、脳髄を溶かす幸福に結果を見過ごしたのだ。それは彼の罪だった。

エレツアルは寝台の白いシーツに、同じぐらい白い指先を伸ばし、ぎゅっと掴んだ。


「私を解放してくれ。ルイス」


俯いたエレツアルが言った。


「…わかっているよ。君はもう、十分この国に尽くしてくれた」

「そうか。なら、私が居なくてももういいだろう」

「ああ。君が思うままにしてくれて良い」


静かな赦しに、エレツアルが顔を上げる。

そうして、彼は思った。どんな酷い暴力や心を殺す言葉を投げかけれて来て、自らが歪んでしまっていたとしても。彼女を愛する気持ちだけで、それらが薄く、秋の日の夜明けの雲の様に、薄く溶けて行ってしまう。

その思いは幸福で美しく、失って生きていくのなら、生きる意味なんてない。

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