第6話 「やっと捕まえた」
レイと部屋に移動する時に気が付いたが、いつの間にか宿舎の出口付近には全て衛兵が立っていて、自由に出入り出来なさそうな雰囲気になっていた。
ここに案内してくれた人も、『この建物内でしたらご自由にお過ごしください』と言っていたし、もしかしたら暫く本当に出れないのかもしれない。
「なんだか閉じ込められてるような…」
「そうだな。歌人が万が一でも怪我や、まして死ぬことがあれば、国としては困るから当然だろう」
「なるほど…」
「にしても、衛兵の数が多い気もするが」
確かに、レイの言う通り物騒な空気感すら感じる。戦でも始まりそうな勢いに、少々怖くなった。その不安に気づいたのか、レイがこちらを見遣る。
「何か困ったことがあったら言え。さっきの陛下の件でもそうだが、助けてやれる事があれば力になる」
「…ありがとう。レイってば、陛下にも物怖じしないのだから、こっちが恐ろしくなっちゃうよ」
きれいな顔がふっと笑ったので、照れてしまう。
なんだか私、彼に助けられてばかりだ…。
移動していると、呼び止められた。
華やかな金の髪、青空のような青い瞳、ピンクのふわふわなドレスを身にまとっている女の子。その隣に、鳩羽鼠色の髪に同じ色の目の色をした青年が立っていた。彼女の方は見覚えがある。確か、
「リリアン嬢、シャリス公。お初にお目にかかります。この度歌人に恐れ多くも選ばれた、レイ・アズールと申します。こちらは、同じく歌人のレイリアです」
レイは顔色一つ変えずに、優雅に一礼した。レイが紹介してくれたので、私も同じように頭を下げる。
「レイリアと申します、よろしくお願いいたします」
「よろしく、ですって?庶民が歌人に選ばれるなんて、ねえ」
リリアン嬢がシャリス公に同意を求める。
シャリス公は話を振られ、応えた。
「…歌人に選ばれた以上、最早身分は関係ないと思うよ。しばらく皆でここで過ごすのだし、気楽にいこう」
「シャ、シャリス公…」
リリアン嬢がさっと顔を赤らめたのが分かった。個人的には、リリアン嬢の言う事が尤もだと思う。いきなり平民と同じ場所に住めだなんて、貴族の方からしたら不満だろう。だから、簡単に受け入れられているシャリス公の方が少々変わってらっしゃる…と感じた。
ちらりとシャリス公を見た。整えられた身なり、お顔立ちも気品漂っていて貴族のご子息といった出で立ちだ。ただ、眠そうというか、面倒くさそうに伏せられた目からはあまり活気を感じられない。
リリアン嬢は気分を害したようで、シャリス公に礼をすると足早にその場を離れていく。それを見て、シャリス公は、「じゃあ、またね」と言ってふらふらとどこかへ行ってしまった。
「平穏に過ごせそうにないな」
と、レイが悪態を吐く。
「当たり前だよね…。誉れ高い歌人に選ばれたから、我慢してらっしゃるのだろうけど」
レイが言ったように、平穏に過ごせない予感を感じさせた顔合わせは、少しだけ私を元の日常へ戻した。
夜、王宮の歌人が住まう宿舎での初めての夜。
暮らしが物置小屋の藁のベッドから、高級な天蓋付きのベッドになったのだから、眠れるはずがなく、私は冴え冴えとした目を必死に閉じようと努力していた。
「(寝ないと、明日から歌や礼儀作法の稽古があるのだから)」
私やレイは、貴族社会の礼儀を知らないため、貴族の2人とは別に作法の稽古があるのだ。他にも、歌人の1日は身を清めたり祈りを捧げたり、本番の祭事のための練習をしたりと忙しいらしい。
「(だけど、眠れないよ…。不安だし、興奮してるし。エレツアルの事も…)」
その時、カタン、と音がした。
扉の方からで、体がびくっと跳ねてしまう。誰かが訪ねて来たのだろうか?恐る恐る、私は扉に近づいていく。
「ど、どなたがいらっしゃるのですか」
蚊の鳴くような声で、訪ねた。どうか返事が帰ってきませんようにと願ったが、その淡い期待は拭い去られ、声がした。
「…レイリア」
寂し気で、静かな夜に溶け込む、低く美しい声。
「エレツアル?」
また会えればと思っていたけれど、まさか今日の内に訪ねてくるなんて思いもしなかった。
夜の寝所に男の人を招き入れるのはどうかと思い、扉越しに返事を待つことにする。
「何もしないから、どうか入れてくれないか?人に見られたら、騒ぎになる」
「でも…」
「お願い」
確かに、人に見られたら大騒ぎになるだろう。
迷ったが、エレツアルと話したかったし、なによりこの国の王なのだから彼の言う事に従うしかない。
「わかりました。どうぞお入りください」
開けると、美で人を殺められそうな程、綺麗な人が立っている。その表情は、一瞬捨てられた子犬の様に見えたが、私を目にした瞬間、ぱあっと花が咲いたようにして笑った。
「ありがとう」
「い、いえ。陛下のお頼みですから」
「…」
エレツアルが入ってくる。
頭の中は大混乱だ。幼い頃親しかったエレツアルと、妖精王。どちらの彼として対応していいか分からなかったのだ。顔はどんどん青ざめていく気がして、手が震える。
「ここは、静かだね」
「…静かすぎて、眠れないぐらい、です」
「ああ、敬語はいらないよ。ただのエレツアルとして、話して」
良く日が当たりそうな大きな窓の、窓枠に彼が腰かけた。月の光が、淡く彼の輪郭をなぞり、翡翠の瞳に入っていく。その光が私を射止めて、心臓をつかんだ。
「どうやら、怖がらせてるみたいだ」
その声が掠れていたので、彼に悪いことをしている気になり、声が出る。
「貴方にずっと会いたかったけれど、妖精王陛下なら、もう会わない方が良いと、思う」
震えていたが、伝えられた。静かな部屋に響き渡って、その声の余韻が完全に消えるまで、エレツアルにじっと見つめらる。
「…残酷なことを言うね。君の頼みなら何でも聞いてあげたいけれど、それは難しい」
「だって、もうただのレイリアと、ただのエレツアルじゃないよ」
「この世界が決めたことになんの意味もない」
エレツアルは冷たく吐き捨てた。
私は彼の言ってることがよく分からなくて、困惑する。
「君が現れるまで、もうこの国を壊そうと思ってたんだ」
「…!?」
壊すって、どういうこと?
「レイリアと離れてから人間の醜さ、愚かさを嫌というほど見て来た。君にとても言えないこともされた。私は、この国を憎んでいる。けれど、君の存在が私の憎しみを揺らがせた。君が」
ごくり、と何方ともつかない喉が鳴る音がする。
「君がこの先、一生、私のものになるなら、この国を滅ぼさないであげる」
何の衝撃も体に受けていないのに、高いところから落とされたような衝撃が体中を走った。
からかわれてる、と思いたいのだが、エレツアルの昏い炎を宿した瞳が、本当だと言っていた。危険だと本能が叫んでいる。下手なことを言えば、多分、彼に殺されるという確信があった。
「君に与えられた愛が、私を苦しめた。優しさを知らなければ、人から受ける痛みを深く憎むこともなかった。いつか君に会えるのではという希望さえなければ、正気を失えたのに」
私が、彼を苦しめてしまっていた?
置いて行かれたと思っていたのに、エレツアルは私より、想像を絶する仕打ちを受けていたんだ…。
「ミリアもレイも大事なんだろう?君が嫌だというなら殺す。ああ、あの無礼な娘も殺そうか。リリアンとか言ったか」
「ま、待って。…わかった、あなたのものになる」
「…本当?」
「ええ、ほんとう」
「嬉しい、レイリア」
エレツアルの強い腕が私の体をあっと言う間に攫って、胸に閉じ込められた。その体は熱く、寄せた耳には激しい鼓動が聴こえ、腕は微かに震えている。エレツアル自身が脅迫していたのに、まるで怖がっていたみたいに。
考えていると、優しく顔を上げられた。
「やっと捕まえた」
私の女神様。小さく囁かれて、くらくらした。白金の睫毛が切なげに伏せられ、翡翠の瞳に困惑する私が映っている。月光に映し出される彼こそが、美の化身で、女神が嫉妬して彼を殺してしまいそう。細いと思っていた腕や体は逞しく、エレツアル男性なのだと自覚させられた。
こんなに怖いのに、なぜか、憎むことが出来ない。
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