第7話 死にゆくもの

「綺麗な宝石の瞳で見つめられていたら、この身の内全てが焦げてしまいそうだ」

ほっ、宝石…!?歯の浮くような台詞をエレツアルが冗談めいて囁くので、私はやっと体を動かすことが出来た。息も止まっていたと思うし、若干苦しい。

幼いころはこんな言葉、当然だろうけど言われたこともなかったので、私の知っている彼とは大きな差が出来たのだと再確認する。


「君を僕の傍で閉じ込めておきたいけど、敵が多すぎて君が危険だ。暫くは放っておいた私の敵を排除することにしよう。それに、君を閉じ込めて、嫌われたくない」


敵…排除…。気に入らない相手は誰であろうと処刑してきたというのは本当なのだろう。当たり前に、彼が恨まれるのは当然だ。


「私に嫌われたくないって、言うのなら、命令すればいいのに」


悪態を吐く。

私の大事な友達、ミリア。レイやリリアン様を殺すだなんて脅されたから、少し反抗してしまった。

エレツアルは、私の言葉聞いて傷ついた顔をする。…そもそも、なぜミリアの事を知っているんだろう?

美人が悲しそうな顔をすると、こちらが悪者なのではと錯覚するが、あくまで私が被害者だ。…なはず。


「君から愛されるだなんて、烏滸がましいこと最初から望んでいない。…ただ、傍にいてくれたら良い。でも、嫌われるのは、寂しいな」


何も言えないでいると、エレツアルは私から体を離し、去っていった。

まるで夏の日の激しい嵐。

物凄い倦怠感が体を襲った。あんなに苛烈で、美しくて、矛盾した人は見たことがない。静かすぎる夜から、窓に風が当たる音がして、私は操られるまま窓を開け、大きく息をした。

その風からは草花と土の爽やかな香りがする。今日は眠れそうになかった。






じっくりと朝がやって来た。

夜が明ける1時間前というのは、ひどく憂鬱だ。

退屈で何もできないし、眠ってしまいたいのにそうすることは出来ない。眠ってしまわないよう、耐えていたらやっと朝が来て、私は身支度を始めた。

私が居る部屋は2階で、下に降りると既にレイが居た。階段の元、彼がこちらに気づいて体を向き直す。


「おはよう、レイリア」

「レイ、おはよう。眠れなかったの?」

「ああ。お前もか?」

「実は、そうなの」


どうやらレイも眠れなかったらしい。

私たちは笑いあった。


「なんだか、元気がないようだが」

「…眠れなかっただけだよ」

「そうか。今日はちゃんと眠れ」

「うん、そうする」


歌人として立派に祭事を熟すため、午前中もみっちり様々なことを教えられた。学ぶというのは、とても新鮮で昨日の晩起きたことを一瞬ずつ忘れさせてくれた。途中、厠に一人で退出すると、シャリス公を見つける。何か言いたげだったので、話しかけられそうな気がした。


「ご機嫌よう、シャリス公」

「ああ。ちょっとこっちに来てくれ」


やはり、怠そうな声だ。何の用だろう?と人通りのない場所へたどり着く。


「これ、君にだ」

「手紙、ですか?どなたからでしょう」

「じゃあ、渡したから」


それだけ言って、ゆったりとシャリス公はどこかへ行ってしまう。何が何やら分からない。私宛の手紙なようだ。開けると、とても華やかな香りがした。エレツアルの香だとすぐに分かって、わかってしまう自分に顔が赤くなる。

実は私は文字が読める。宿で働いていると必要なことがあったからだ。彼はなんでもお見通しのようだ。

そこには、ひどく繊細な文字でこう書かれていた。


『本日、1時に中庭で』


1時って、もう普通なら寝ている時間なのに。

責務に忙殺されている筈の妖精王だから当然だが、腹立たしく思った。その中で態々私に会う時間を作るのだから、よっぽどだ。

腹が立っても、私は彼に逆らうことが出来ない。

眠たかったが、我慢してその時間を待つことにした。











「来てくれたんだな」


嬉しそうな声がして、むっとする。

眠たいし、作法の勉強やらで疲れていてヘトヘトだったのだ。そんな私とは対照に、エレツアルは微塵も疲れを感じさせない。彼に脅されているのに、疲れているからか判断力が鈍って、従順で居られない自分が居た。


「陛下の命令ですから」


ツンとしていると、彼が苦笑した。


「拗ねている君もかわいいな。今日は君を連れていきたいところがあるんだ」

「どこか行くの?」

「こちらの裏口から出られる。兵は手配してあるから大丈夫」

「ちょっと、エレツアル。私明日も早いのだけれど」

「時間は取らせないから…駄目か?」


まるで私が行きたくないと言えば止める、という口ぶりに、また彼が分からなくなった。強気で脅す癖に、私が望まないことはしたくない、という様に。


「…行く」

「嬉しい。さあ、行こう」


エレツアルに手を握られる。向けられた笑みがあまりに清らかだったので、僅かに鼓動が高鳴った。駄目だ、この綺麗な人に心を許したら、きっと魂ごと奪われてしまう。首を振って、彼に着いていく。

裏口には、驚くべき人が居た。


「シャリス公!?」

「しっ、静かに」


シャリス公に睨まれて私は閉口した。そういえば、エレツアルの手紙を渡したのも彼だった。まさか、2人が繋がっていたなんて。


「私のレイリアに命令するな」

「…失礼しました、申し訳ありません。レイリア様」

「と、とんでもないです。…シャリス公」


エレツアルが凄い目でシャリス公を睨むので、繋がれた手をぎゅっと握ってみた。彼はこちらを向いて、蕩ける笑みを浮かべる。


「…急ぐのだったな。扉を開けろ。戻ってきたら合図する」

「かしこまりました。どうぞお気をつけて」


出た先には小径が合って、歩いていくと馬車が待っていた。エレツアルにエスコートされるまま、馬車に乗り込む。向かい合って座りたかったが、彼に引っ張られて物凄く近い距離で隣り合わせになってしまった。緊張を誤魔化すために、彼に問いかける。


「エレツアル。シャリス公とお知り合いだったんだ?」

「ああ。使える鼠の1人だ」

「歌人って、まさか実力じゃなかったりするの?」

「精霊が選ぶからな、私が決めたわけじゃない」

「そ、そうなんだ…」

「だから、君が選ばれたのは運命かと思った」

「…」


運命という言葉を彼が口にするのは酷く残酷な事に感じた。彼の運命は、ほぼ全てが辛い歴史だっただろうから。その美しい唇で、精霊さえも呪ったのだろうか?


「もう着く」


その場所は、馬車で15分程だった。

降り立つと、そこは森の中だ。泉の周りに淡く発光している花々があり、辺りには雪のようなものがふわふわ漂い、同じように美しい光を放っていた。

この世の物とは思えない美しさに、目を奪われる。

泉に月が反射して、夜とは思えない明るさだ。


「きれい…」


ほうっと息をつくと、エレツアルが優しく手を引っ張る。

すると2人きりになって、抱き締められた。勘違いしてしまいそうになる、彼に愛されているのではと。それは惨めな庶民の勘違いだ。


「気に入った?」

「…うん。光っているものは何?」

「夜光虫だよ。かすかに残る魔法の残滓。失われかける古代の貴い生き物だ」

「魔法…って御伽話かと思っていた」

「御伽噺だよ。だってもう死にかけている。この世からあともう少ししたら消えるから」

「それってすごく勿体ないね」

「そうかな?君が言うなら、そうなんだろう」


興味なさそうにエレツアルが言う。綺麗だとか、尊いだとか微塵も思っていなさそうな口ぶりだ。


「私は君以外、綺麗に見えない」

「…それって、すごく変だよ」

「レイリア」

その声は苦しそうだ。

エレツアルはなんでも持っている。しかし精霊は同じくらい、彼に苦しい運命を与えた。その代償は、心というもの全てを穢しただろう。でも、私には彼がただ残酷な人であるとは思えない。優しく笑う顔や、不安げに揺れる瞳に、心惹かれてしまう自分が居る。


「レイリア、愛してる」


ほぼ、嘆願だろうと窺い知れる様子に、胸がバクバクと音を立てる。

彼に願われるほど価値ある人間じゃない。痛んだ黒髪、栄養不足のみすぼらしい体。平凡な顔つき…。


「君が望むなら、持っているもの全てあげる。この世の財宝、名声、権力。殺したい者はすべて殺してあげる。だから…」


―愛してくれる?


「言い訳みたいに言わないで大丈夫。私がその全部欲しいと望むと、本気で思っていないでしょう?」


私が欲しいものは、幼い頃に作られた。

親から捨てられ、惨めに愛を失えば、狂おしい程に、愛されたいと願った。すると突然美しい天使が愛をくれて、満たされた。なのに再び取り上げられて、もっと強く渇望するようになった。

でも、わたしは惨めだ。

何もかも持っている彼に拒絶されたら、立ち直れないだろう。怖くて、とてもじゃないけど彼の言葉に応えられない。


「エレツアルが安心するまで傍にいるわ」


私は逃げた。

彼もそれをわかったようだった。


「恋しさで人が死ねるなら、私は君に殺されているな。…明日から、魔物を討伐する隊の長になった。変な話だが、私の立場はずっと危うくて断れない。敵を排除するいい機会だし、君と離れるのは辛いが、行ってくる」

「魔物…!?そんなものが、存在するの?」

「精霊に祝福された国の民は知らないと思うが、存在する。守られているから、別に討伐しなくてもいいのに、駆り出されてしまったがな」

「貴方を、誰かが狙っているの?」

「…ハ。傀儡になり切れない私を邪魔に思うものは沢山いるのさ」

「そんな…」

「なに、私も馬鹿じゃない。すぐ片付けて戻ってくる。殺されはしない、祭事がまだある」


変な人だ。国を滅ぼそうと思っていたくせに、権力に従っている。そうするのは、もしかしたら私のせいなのかもしれないと思ったが、思い上がりだろう。

明日のこともあり、私たちは宿舎へと戻った。

その日の晩は、死にゆく夜光虫の夢を見た。

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