第38話 覚悟
流れついた先は、神殿の麓の村の近くだった。無論、そこに人の気配はない。そこにあるのは心狂わすほどの四大と、どうしようもない虚しさだけだ。
濡れた体を引きずって、転がり込んだのは小さな家だ。呪いを吐いて、暖炉に火を灯す。血を流す必要はもはやなかった。世界の崩壊は近いのだ。
「大丈夫か?」
ローブを絞りながら、私はエインに問う。薪をくべていた彼は、振り返って片眉を上げた。
「俺より自分の心配したほうがいいと思うぜ」
「いつまでも貧弱扱いは気に障るな」
軽い冗談のつもりだったが、エインはそうではなかったらしい。
「じゃあこれはなにさ」
いきなりぐっと近づいてくるエイン。刹那、鋭利な刃物で刺されたかのような衝撃が脇腹に刺さった。思わず呻いて、私は膝をつく。刺されたのか? エインに? 反射的にエインを睨むと、彼は自分の鞄を漁りながら私を横たえさせた。
「脇腹、大火塔の時から痛んでたんだろ」
ローブを脱がされ、露わになった醜い肌。流されてついたのだろう。いくつもの切り傷と打撲痕が、痩せた汚い体に新たに刻まれていた。その中に、一際目立つ空洞があった。見た目は別に悪化している様子はない。だが、確かに中はヒビだらけであったのだろう。
「……すまない」
あの時もあの後も、全てが激動的だった。一瞬で流れていく時間に、私は自分のことなぞすっかり忘れ去っていたのだろう。
目を伏せると、エインはなにがだよ、と脇腹から私の手を退けた。
「ほら、薬塗るから歯ぁ食いしばれ」
サイコパスな半笑いに、思わず顔を背けて下唇を噛む。が、予想していたほどの痛みは感じなかった。まだ我慢できる程度の痛みだ。表面上の神経すら、もうすっかり虚無に帰してしまったということだろうか。それでも擦られるとまだ痛むので、中はまだ生きているのだと実感する。そして、いつか全て終わってしまうということも。
「それが誰であろうと、虚無は無へと誘うのだな」
しみじみと、感慨深く呟く。
虚無は全てを無へ帰す。それがなんであろうと、例え決して死なないとされた神であれど、簡単に殺してしまう。
――いつかは、私も死ぬのだ。
脇腹の傷が訴える。いずれ訪れる終わりの時を。それが今なのか、明日なのか、はたまた数百年後の話なのかはわからない。美しく咲き誇っていた花も、いずれ散り行くのだ。どこにも永遠などは存在しない。それが自然の法則だ。
「……おい」
ぼーっと脇腹を撫でた手を、エインが掴んだ。低く掠れた、どすの効いた声に、私はふっと顔を上げる。
その顎を、エインは掴み上げた。
頬に食い込む鋼の爪に、引き寄せられる半身。衝撃と驚愕に目を見開いた私に、エインは絞り出すように囁いた。
「テメェはいつからそんな虚無的になりやがったんだよ……」
鼻先が触れ合うほどの距離で、エインは続ける。
「厭世的に世界に呪いを吐き散らかしていたお前はどこに消えたんだよ……あぁ!?」
唾が飛ぶ。寄せられた眉根と、見開かれた瞳に、私ははたと気づく。
――一体いつから、私はこの力を諦めてしまっていた?
リゼルダットに捕まったときからか? いや、もっと前だった気もする。問題なのは、分からないということだ。
虚無には敵わない。虚無を前には神の力など無意味。いつからか、私の中にはそんな思いが渦巻いていた。
そして今も、心のどこかでは――。
「虚無の神と殺り合おうってんのに、なに弱気でいてんだ? あぁ? そんなんでリゼルダットに勝てると思ってんのかよ!!」
頬に鈍い衝撃が走った。鈍痛が頭を揺らす。それがエインに殴られたことによるものだと気づくのに、ものの数秒も必要なかった。……私が、目を覚ますにも。
「……今のは効いたぞ」
「当たり前だろ。効かせてんだから」
軽く笑ったエインに、私はローブを纏った。
全く、エインの言うとおりだ。殺り合う前から卑屈でいて、どうやって勝とうというのだ。
案ずるな、エルヴィア。奴だって、たとえ神と呼ばれようと、全知全能ではないのだから。
部屋を出て、私は神殿を見上げた。その肩に、重厚な腕がまとわりつく。
「大丈夫だ。同じ虚無の使い手である、このエイン様がついてるんだからな」
「……頼りないな」
「おいっ!」
それに、私には仲間がいるのだ。
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