第36話 企み

 コルニの話は、それなりに衝撃的な話ではあった。リゼルダットはこの国のほとんどの民を狩り殺したらしい。私たちを追う兵が少なかったのも、城下で民の姿が見えなかったのも、そのせいだという。コルニのいう契約上の仲間を放ち、その後に虚無に飲み込ませたらしい。数百年前の大火災のように、反乱を起こされては困る。ならば……ということだろう。

 今更何が衝撃というのだ。私もやっていることはリゼルダットとなんら変わらない。要は大量虐殺だ。自分の要求を優先したがための殺人だ。

 ――だが。


「ラフェール様さえいれば、そのほかにはなにもいらない。研究の証明も、ラフェール様の夢も。……そう、リゼルダット様は仰っていました」


 そう語ったコルニの口調が震え交じりで、まるで落ち着かない様子であったのは、その光景が鮮明に思い出されたからだろう。その青い唇と、浮ついた視線。心中を察して、私は反吐が出そうになった。

 そのほかには、なにもいらない。その言葉は、あまりにも残酷すぎた。そう思えるのは、私にも決して離れてほしくない人ができたからかもしれない。


「……だから、貴公は最期にリゼルダットを止めたいのだな」


 言うと、彼は視線を逸らして頷いた。

 リゼルダットが求めたのは、ラフェール。ラフェール以外に神の血を持つ者は、逆らう恐れがないとは言えない。彼は自分の死期を悟っているのだ。だから、こうして死ぬ前に彼女の計画を挫こうとしている。


「僕だって、ラフェール様のことをお慕いしています。ラフェール様の研究も、その夢も。……ですが、そのために大量の人の命を奪いたくはありません。そんな、ラフェール様の夢と相反するようなこと……」


 絞り出すように、コルニは続けた。


「……また、静かに研究さえできればよかった。非難されても、ただ一人のために研究ができれば、それでよかったんですよ……!」


 リゼルダットの狂気を示す涙は、コルニの瞳からはらはらと零れた。私はエインと瞳を合わせることしかできなかった。どうする? と彼の瞳は問うている。コルニの中に私たちを邪魔しようという意思は見受けられない。むしろリゼルダットの手から逃れてほしい。その思いだけが存在している。逃げるか、逃げまいか。彼の中にあるのは、ただその問いだけではあるまい。もちろん私は理解していたし、私の中では腹はとっくに決まっていたのだ。


「……エイン、貴公との別れが遠のくのは残念だが、私にはまだやり残した復讐があるようでな」


 ん? そう首を傾げたエインに、私は精一杯の笑顔を向けてやった。


「怪しい教団に騙された、そんな愚かな友人の仇を討ってやりたいのだ」


 別に、これをエインに対する罪滅ぼしと言っているわけではない。ただの、自己満足だ。私の中にある罪の意識を薄れさせたいがための、自分本位のものでしかない。

 それはエインも分かっているはずだ。彼は私をきっかり五秒見つめたのち、ふっと噴き出した。ひとしきり笑い声をあげ、彼は目元を拭うと、私に穏やかな笑みを向けた。


「あぁ、手伝うぜ」


 曇りひとつない晴れ晴れとした笑みは、久々に見たような気がした。胸に温かいものが流れてくるような気がして、私は鼻先を擦る。


「当たり前だ」

「ということは……」


 妙に心得たような表情でこちらを仰ぐコルニに、私はあぁ、と頷いた。


「だが、勘違いはするな。残念ながら、私は加減ができぬ。私の友人も、血気盛んで加減なぞできぬようであるしな」

「悪かったな。生かすも殺すも自由じゃなくて」

「はなから期待などしていないわ」

「おい……」


 頭を掻いたエインは、ナイフをしまいこんで立ち上がった。肺の奥から一息を吐き出すコルニに、私は手を差し伸べた。


「それがどのような形の救済であれ、文句は言わせんぞ?」


 生かすか、殺すか。私たちの中にある選択肢は、常に二択なのだから。

 寸刻の沈黙が流れ、コルニと視線が絡み合う。やがて、コルニは目じりを強くこすった。私の手を取ると、こちらに満面の笑みを向ける。


「はい!」


 その顔には晴れ晴れとした爽やかさがあり、明るい青年そのものであった。少なくとも、大人の謀略に使われていただけの、気難しそうな印象は消えてしまっている。それだけでコルニの研究への想い、そしてリーオン夫妻への恩義がひしひしと伝わってくるようだった。それがなぜか懐かしく思えて、気が付くと私は笑みを浮かべていた。誰の影を見ていたというのだ。馬鹿らしくなって、またふっと笑う。

 ふと、馬が嘶いたのに、はたとコルニが顔を上げた。


「では、早く逃げてください。リゼルダット様がお休みになっている今ならば、そう手間取らないはずです」

「そうだな、とっととずらかろうぜ。身を守るもんが鉄くずだけじゃ、心許ない」


 左手に黒炎の代わりに剣を携えた彼は、木戸のわずかな隙間から外を窺っている。確かに、借り物でも虚無を扱える者たちが相手だ。四大でさえ、対抗馬たり得ない。私もナイフを腰に差しながらコルニに問う。


「貴公はどうするのだ? 私を逃がしたなど、赦されるものではないだろう」

「それは、こっちでうまくやりますよ。……どうせ、どちらに転んでも向かう先は地獄なんです。それよりも、ご自分を心配なさってください」

「達観しているな。いずれにせよ、その四大くらいは有効活用してやろう」


 よろしくお願いします、と笑みを浮かべて律義に頭を下げたコルニは、ふっと真剣な顔になった。


「リゼルダット様は、虚無より出でたといえども、エイン様とは大きく異なります」

「どういうことだ?」

「リゼルダット様は人間です。エイン様と違って、殺すことも可能です」

「それはどうやって――」

「エル、今がチャンスだ!」


 私の問いかけを遮るように、エインの声が飛んできた。訊いておきたいことはたくさんあったが、諦めるしかなさそうだ。後は自分でなんとかする他ないようだ。


「ではな」

「どうか、ご無事で」


 短い別れを終えると、エインは木戸を蹴破った。外の世界は、夕焼けの燃えるような赤に染まっている。どうやら山道を走っているようだ。彼はすぐ正面のボロ馬車の御者人に飛びかかろうとしていた。


「頼むぜエル!」

「了解!」


 全身をめぐる血が、四大に熱く滾る。私はナイフを手の甲に薄く這わせた。

 敵の数は多い。さらには虚無の神も潜んでいる。戦うよりも、逃げる方が先決だ。

 満ちる四大が血によってさらに濃く、深みを増していく。私は血をばら撒いて馬車から飛び降りた。


 ――Hid as trizentind jef vortexind.――


 接地する寸前、大気が激しく渦を巻いた。風の波は足元を掬いあげ、ふわりと体を浮かび上がらせる。巻き上がった風は衝撃を吸収し、帰ってきたエイン含む私たちを地へと運んだ。そのまま転がるように地を駆ける。背後では悲鳴と、主を失い暴れ狂う馬の嘶きが響いていた。

 麓までまだまだ距離がある。奴らもやすやすと逃がしてはくれないだろう。


「クソ……どうする……っ!」


 舌を打ち、思考を巡らせるが――燃やす、埋める、沈める、吹き飛ばす――どれも向かう先は虚無だ。無残に散り行く運命しか見えない。かといって、逃げるにも走る以外の方法が思い付かない。

 一体どうすれば。途方に暮れて背後を見やる、その時だった。


「お前にかかってるからな!」


 不意に握られた左腕。降ってきた声は私を引っ張ると、右側へと駆けだした。といっても、右側に特段なにかがあるというわけではない。ただ鬱蒼とした森が広がっており、伸びる木々が視界をせばめているだけだ。


「おいエイン!? 一体、なにが――」


 言葉は、最後まで紡げなかった。

 空中に投げ出された独特の浮遊感と、足元に広がる茜色。

 そして、空に広がる岩肌と、透明な流水――。


「エル!!」


 エインの声に、はたと引き戻される意識。ぐわりと歪んだ視界、催される吐き気を振り払うように、私は高らかに神詞を歌い上げる。


「Fugge gosh qwels dicins!」


 周りの大気を呑み込むように空気が揺らめいた。渦を為すそれは風となり、やがて私たちを包み込む翼となり――。

 ――私たちは、運河に落ちた。

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