第35話 コルニ

 その男はえらく幼い顔立ちをしていた。青年と呼ぶ方が適切なのかもしれない。着こなした燕尾服はとても似合っているが、その顔立ちから召使というより、大人びた貴族の子息という印象を持つ。


「逃げろ、だと……?」


 同じく、枷を外されたエインは青年に問う。……確かに、彼は逃げてくださいと言った。ならば彼はリゼルダットの手の者ではないのか? いや、ではなぜこの馬車内に入ることができる?

 疑問は隠すこともなく顔に出ていたのだろう。青年は口元をふっとほころばせると、懐からなにかを取り出し、私たちの前に放り投げた。紛れもない。それは没収されたであろう、私のナイフとエインの剣、そして同じく彼の医療鞄だった。

 ますます怪しい。エインと目配せし、私は頷いてそれらに手を伸ばす。

 ――と、エインがナイフを掴んだ。同時に青年の胸ぐらを掴み馬乗りになって押さえつける。私はエインの剣を手に取り、青年の眉間に突き立てた。その喉元では、エインのぎらぎらとしたナイフが輝いている。

 青年は、一切無抵抗だった。それはふたつの刃を突き立てられた後も、同じであった。


「……どうする?」


 エインがこちらに目を向けることなく尋ねてくる。顎先で示した青年は物怖じもせず、むしろ据わった目でこちらを見つめている。

 好きにしろと告げる瞳。だがそれは諦め故の冷静さではない。真の生命の委託であった。


「……どうしたもこうしたもないわ」


 私はため息をつき、剣を床に転がした。倣おうとするエインを制止する。そして、まっすぐに私を捉えるその瞳を見下ろした。


「それで、貴公はなにを企んでいるのだ?」


 青年がリゼルダットの手先であれ、そうでないであれ、そこには行動に至るまでの理由があるはずだ。私は、それを知りたい。きっと青年の方も、それを望んでいるはずだ。


「貴公、名は?」

「……コルニです。コルニ=リーオンと言います」


 リーオン。聞き慣れない姓だ。そう、だからこそ、私の胸に引っかかった。

 ……そうだ、あの燕尾服にシルクハットの男だ。


「貴公、リゼルダットとラフェールの息子か」

「なにっ!?」


 ナイフを持つ腕に力を込めたエインを制止する。青年の――コルニの首には赤い線がくっきり見えたが、彼は顔を歪めることも、視線を逸らすこともなかった。含み笑いに、はるか過去を懐かしむように目を細める。


「いえ、私はそんな大層なものではありません。……養子なんです。だから、直接血縁関係はありません」

「なるほどな。それで、さっきの質問に答えてもらおうか、コルニ。母の命に背き、なにを企んでいる?」


 先程のコルニの目には、ある日の思い出がよぎっているようだった。それでこんな幸せそうな顔をするのだから、リーオン夫妻には恩義を感じているに違いない。

 ならば、なぜそんな彼らを裏切るような真似を?

 ふっとコルニの顔から笑みが消え去った。少し言いにくそうに口をもごつかせる姿が不安を煽る。一筋の汗が背を伝った。それを隠すように見つめていると、コルニは意を決したようにこちらを見据えた。


「リゼルダット様のご意思を、あなた方は知っておられますか?」

「……ラフェールの生みなおし、だったか」


 想定外の問いに、一瞬口ごもってしまった。不吉な予感がよぎって私の体は強張る。

 生みなおしと言ったが、正確には再構築だ。四大と散った奴の身体を再び創り直す。かつてラフェールが、一度死した自分を創りなおしたときのように。


「では、あなたがその素材であると、知っていますか?」

「なに……っ!?」


 流れるように紡がれた言葉に、私は目を見張った。馬鹿な、私が、ラフェールの生みなおしに……?


「あなたの体には神の血が流れている。つまり、神の血を呑むことができた人間だということです。ラフェール様と同じく」

「だが、それは貴公らも同じであろう? その虚無の力は本物であったでは――」


 いいえ。私の言を遮って、コルニは首を振った。そしてポケットからなにかを取り出すと、それを転がる足枷に叩きつけた。

 きーんと耳に障る金属音が響いたかと思うと、次の瞬間、青の光が瞬いた。そこには黒い焔が立ち上っていた。足枷に寄生するかのようにまとわりつき、その輪郭をなぞるように撫でていく。完全に飲み込んだかと思うと、焔は弾けるように消えた。体全体に熱が走る。酒を飲んだかのような心地よい酩酊と、走る血流。そこにはもう、足枷としての四大は存在していなかった。


「僕には神の血が流れています。もちろん、リゼルダット様にもです。ですが、彼らは違う。選ばれなかった者は、リゼルダット様に仕えることで力を借りているのです」


 借り物の力。私の中で記憶がフラッシュバックする。

 聖堂地下で出会った老婆を取り囲む黒炎。私の火蛇からシルクハットの男を守った黒炎。そして、足枷を呑み込んで消し去った黒炎。

 そのどれにも存在した、一瞬の青い煌めき。


「虚無を固めたキルヒェ、というべきか……そんな小細工を配っていたというのか」

「そもそも、僕らの仲間に、純粋に真実を追求したいと思っている人なんてほぼいないんです。いるのは、ただ足としてリゼルダット様が力をばら撒いて買った契約上の仲間。今を楽しめればいいと考えるような人たちばかり。その全てが殺されてしまいましたが」

「それはすまないな」

「いえ、違います」


 そうきっぱりと答えたので、私は訊き返してしまった。皮肉かと思っていたので、エインと目を合わせる。困惑げなのは彼も同じらしい。視線を戻すと、下唇を噛みしめたコルニが黙していた。我々の視線に気づくと、コルニは恐る恐ると口を開いた。


「あなた方ではありません。リゼルダット様が殺したのです」


 エインと視線を交わしたまま、私はしばらく動けなかった。

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