第32話 思惑


「……オルド大火塔には、なにがあるんだろうな」


 ずっと抱いていた疑問を口に出したのは、なぜだかわからない。エインは少し顔を引き攣らせたのち、私の肩を叩いた。鈍い衝撃に顔が歪む。


「俺の体を治すカギだ。……決まってんだろ」

「あぁ、もちろんな。それは分かっている」


 その答えにか、エインは少し面食らったように眉を顰める。不審げな視線を向けるエインを他所に、私の頭は、乱雑した記憶と情報から一つの答えを導きだそうとしていた。


「オルド大火塔は、決して消えない神の炎だ。人々の道しるべでもある」

「……それがどうしたんだよ」

「神の業火は全てを灰へと帰す。いや、それは言いすぎなのかもしれない。だとしても、それほどの力はあるはずだろう」

「おいエル、俺にはさっぱりなんだが……」


 私にもさっぱりだ。だが、確実に核心に近づいているような気がした。

 不意に風が吹いて、私の髪をさらって行った。塔から火の粉が飛び上がり、空に舞う花火が弾けて落ちる。ふと手のひらに受けると、火の粉は焦げ付くような音を立てて消えてしまった。痛みと傷だけが残る。

 私はその痛みの意味を知った。足が、自然と止まる。


「痛い……そうだ、痛い。人は立ちいれないほどに、熱い。熱いのだ、エイン。わかるか?この痛みの意味が」

「……おい、エル」

「そうだ、話を巻き戻そう。そもそも、オルド大火塔とはなんなのだ?」

「エル、ほら、とっとと行こうぜ」


 エインは私の肩を掴む。だが、私の足が動くことはなかった。


「オルド大火塔は、元は大罪者へのキルヒェを封じるためのものだ。その業火で近寄らせず、大罪者の魂を封印し続けるためのものだった」

「なぁエル……」

「あぁ、大罪者だ。その中には、まるで神の力を得、神となり果てようとした者も含まれているのだろう」

「なぁ、お願いだから……」

「その魂は生き続けている。この、精神まで蝕むような灼熱の炎の中で――」

「だから、やめろっつってるだろっ!!」

「エイン!!」


 私の胸ぐらを掴み上げたエインの目は、口調とは裏腹に、まるで懇願するかのように揺れていた。今にも消えてしまいそうな瞳の炎が、風にあおられて消えゆこうとしている。

 私の体は震えていた。この可能性が、どれだけ彼を苦しめることになるかを考えると、口にするのは憚られた。だが、それを実現させるわけにはいかないのだ。

 私はエインの手をそっと撫でた。びくりとエインの腕が跳ねる。さらに力が加わり、私は思わずむせそうになった。それを飲み込み、まっすぐにエインを見つめ、告げた。


「……そこに、貴公の体を治す鍵はない」


 エインは歯ぎしりを立てた。噛みしめた歯と歯から耳障りな音が生まれる。その目には、仇を討たんとする炎が燃え盛っていた。

 どうしてエインがそんな目をするのか。驚くや衝撃を受けるではなく、なぜ怒りを滲ませているのか。その理由は、長らく彼の側に居た私には簡単に分かった。

 その手を掴み、私は彼に囁いた。


「分かっていたのだろう……?」


 彼は思い出していた。私よりも早く、知っていた。知っていながら、知ろうとしなかったのだ。その事実に蓋をすれば、夢を追うことができた。彼は今日、オルド大火塔を上るときまで、生き続けることができたのだ。

 エインは目を逸らした。依然として、手は私の首を捉えたままである。少し小刻みに震えており、首を掻かんとしているのか、立てられた爪がその度に首に刺さった。針金をより合わせたような、人間離れした爪だ。


「それがただの可能性であれ、奴らが貴公を殺さなかったことには意味がある。この地に誘導したことにもだ。おそらく、私たちにとって得となることではないだろう」


 エインの瞳が動揺にか、ぐわりと揺れた。眉間に刻まれる深い皺。首がほんの少し、軽くなる。


「……エイン、引き返そう。貴公の求めるものはここには――」

「……っ」


 エインは私を掴んだまま、その腕を振り払った。不意な衝撃に、私はあっけなくしりもちをついて倒れてしまう。


「いっ……!」


 零すつもりのない悲鳴が零れた。それはエインの耳にも入ったのだろう。彼は脇腹を抑える私を見下ろし、拳を握りしめた。歯が割れるのではないか。そう思えるほどの歯ぎしりが耳に響く。

 今度は私が懇願する番だった。


「エイン、お願いだ……!」


 また、エインの瞳の炎がぐらりと揺れた。なんとかして彼を止めなければならない。気合で立ち上がろうとした、その時だった。


「……うるせぇよ」


 眉根を寄せ、細められた目が私から離された。大きく舌を打つと、そのまま彼は走り出してしまう。


「エイン!」


 彼は止まらない。止まる素振りも見せない。


「エイン!!」


 なにかを振り切るように頭を叩きながら、彼は脇目も振らずオルド大火塔の中へ入ってしまった。


「……エイン」


 見えない面影に私は呟く。なんとか立ち上がって、私は喘ぐような思いで息を吐きだした。

 エインの気持ちも痛いほどわかる。それだけを信じて、目標として生きてきたのだ。それだけが、彼と生を繋いでいた。私がそれを奪ったのだ。

 だが、希望を追い求めて、それが目の前で打ち砕かれたら?

 弱った彼は、きっと鼠よりも弱い。成す術なく殺されるか、あるいは自らの意思で死を選ぶかもしれない。なにも為せぬがまま死んでいく。それを何もできずに見ているのは嫌だった。

 それをただの自分勝手というならそうだろう。彼の意思などどうだっていい。私は、エインには死なれたくなかった。

 選択を誤ったのは認めざるを得ない。私は立ち上がり、オルド大火塔へ歩き出す。もっと違う方法があった。もっと良い伝え方があったはずだ。ふらふらとした足取りで、オルド大火塔へと駆けだす。なんであれ、もう遅い。道を誤った。彼は正史通り、オルド大火塔へ向かい、為してはならないなにかを為す。それを止めるには、もう遅いかもしれない。

 だが、エインが始末されるかもしれない。その可能性を捻じ曲げることができるなら。

 風が吹き荒れ、飛び散る炎が頬を焼いた。

 それでも、この足を止めることはできない。

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