第22話 老骨の呪

 振り返ると、めらめらと揺らぐ蒼炎が、夜闇に陥没しきった灰の町を包み込んでいた。頬を親指で拭う。舐めると血の味がした。四大を孕んだ、濃厚な血だ。


「……掠り傷でも負わせられたか」


 自分でつけた傷よりも小さく浅い傷だ。だが、何故だろう。痛みはこちらの方が強い。


「オルディアの森で一旦休もう。お前の体が心配だ」


 荷台から聞こえてくる声に、私は唾を吐き捨てた。


「……やむを得ん」


 馬の腹を蹴り、死した町を後にする。

 モントシュタイルまでの道のりは、馬の足でおよそ一週間だ。人の足では、一体何日かかるかは分からない。そこで一旦足を手に入れることにした私たちは、近くの町を滅ぼしたというわけだ。


「何故だ……っ」


 私は脇腹を押さえた。忌まわしき傷だ。亡き父につけられた傷は、呪いとなって私を苦しめている。


「何故、傷がふさがらぬ……っ」


 いつもなら、寝て起きれば傷は癒えていた。厚めの膜が張っており、血が出ることがなかった。なのに、何故――。

 呪いだ。私は吐き捨てる。エルヴァーリオは置き土産として呪いを唱えて逝ったのだ。


「忌まわしい……!」


 私は手を乱暴に振った。手に限ったことではないが、動きが悪いのだ。そのせいで、頬に傷を負った。忌まわしい。この腹の傷さえなければ、傷を負わせられることもなかったというのに。


「お前が無理しすぎた、ってのもあると思うぜ」


 平原は終わりを告げ、また見飽きた森に入ったとき、荷台からエインが声を飛ばした。でこぼこした道に、震えた声だった。


「だから単独行動はよそうぜって言ったのによ」


 うるさい、とだけ私は返した。森ではなんの生物の声も、風も、水の音も聞こえてこなかった。時がとまっているかのような静けさだった。

 ――だが、確かにエインの言う通りかもしれない。

 四大というものは、近くに人がいると、その人に吸収されていく。だから人が集う市街は極端に四大の量が少なくなるのだ。町は広い。一度二手に分かれ、血をばら撒きながら情報収集しよう、ということになったのだ。あの山賊村はどうも嘘くさい。エインの仇がモントシュタイルにいるという情報は本当なのか。それを確かめる必要があったためだ。疑いも空しく、情報は真であったが。

 歩きすぎた、というのも、原因のひとつかもしれない。いつもは傷を負った直後は、そんなに行動しない。情報収集に生を出しすぎた結果が、これだったのかもしれない。

 ……なんにせよ、最悪だ。

 まぁ、興味深い情報も得られたので、その代償と思いこめばよかろう。


「そろそろ、休むか」

「りょーかい」


 異論はないようなので、私は馬車を止めた。どこに止めても見つかるまい。なにせ、ここはあのオルディアの森なのだ。原初の神が過ごしたという、四大が豊かな地。やましい心のある者以外は、動物でさえも近寄らない。それもまた、この地を四大で豊かにさせる要因だろう。

 木を組み、火を起こす。そして、土の四大を操り、鉄串を作り出す。それを町から奪ってきた豚肉に差そうとしたところで、エインに奪われた。あとは俺がやる。横になっていろ、ということらしい。料理が貴公なんぞにできるのか。いささか不安ではあったが、その親切を断る道理はない。第一、私も限界だ。休めることなら休みたい。

 土のベッドに横たわり、私は腹を擦った。痛い。焼けるように熱い。刺されたときの感覚が、そのまま残っているようだ。呼吸浅く、腹を押さえてうずくまる。苦しい。どう頑張っても、痛みが消えない。ひどくなっているのは確かだ。傷が開いたのだろうか。それとも、傷口が膿んでいるのだろうか。確認しようとローブを脱いだ時、エインに止められた。


「俺がみるよ。お前なんてやれる状況じゃないだろ?」

「だが……」

「それに、薬を塗り直した方がいいかもしれない。痛み止めも塗っといてやるから、さ」


 楽になれるなら、エインに任せた方がいいかもしれない。彼の言う通り、今の私に冷静に傷をみれる自信はない。詳しい彼に託す方がよいだろう。


「……頼む」


 仰向けになり、息を殺して彼に任せる。包帯をほどいていった彼は、疑問符を湛えた素っ頓狂な声を上げた。


「……なんだ? これ」


 意味が分からない。そう言いたげな声だ。

 汗が垂れた。やけにねばついた気持ちの悪い汗だ。息を押さえつけながら、私は声を絞り出す。


「……説明しろ」

「説明も、なにも……」


 エインは困惑げだ。私の脇腹にあるのだろう、その事象をうまく説明する言葉を持ち合わせていない。心底困った様子の彼だが、ぽつぽつと、言葉を紡いでくれる。


「えと……エル、刺されただろ? その傷は、塞がっていない」

「……開いている、ということか……」

「ってわけじゃない。なんなら、血も出てない。なんていうか、その……」

「……はっきり言え」


 回りくどいのは嫌いだ。イライラする。

 そう告げると、エインは少ない語彙をかき集めてくれた。


「その……ないんだ。いや、傷がないってわけじゃないぜ。ちゃんと傷はある。ただ……」

「ただ?」


 問い詰めると、彼は意を決したように答えた。


「抉られた十字傷の部分が、丸ごとないんだ」


 私は目を閉じた。腹に手を当て、傷の存在を確認する。

 ……まるで意味が分からない。

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