第17話 父あるいは化物

 静まり返っている屋敷内には、人の気配を感じなかった。立ちこめる、淀むように重苦しい四大が邪魔しているのだろうか。ここには、生命というものが存在していないようだった。

 テレーゼがエルヴァーリオに見初められてのち、この屋敷はすぐに空き家となった。もともとはテレーゼの家族も共に住んでいたそうだが、彼女の婚約を機に、王都へと移住したらしい。主無くした屋敷であったが、この妙に小綺麗な様は一体どういうことなのだろうか。奥へ進めば、明らかになるに違いない。

 屋敷は普遍的な屋敷とは内装が大きく異なっていた。イヴェール家は薬学の研究をここで行っていたのだろう。資料が収められた本棚だけの部屋や、実験試料となったであろう様々な草花が並ぶ試験管だらけの部屋。キルヒェと化した熊の剥製や解剖図や蒸気を上げる四角い熱を持った装置など、イヴェール家の薬学研究の過程が垣間見えた。――が、たびたび違和感が感じられた。その違和感の正体がなにかは分からない。

 首をかしげて、扉を開く。そこは広間であるらしい。中央には奇妙なオブジェクトがあった。五つの金円を組み合わせたような……。


「くっそ……っ」


 がたりという音を聞いてエインの方を見ると、彼は壁に手をつき、苦しそうに顔を歪めていた。彼は息荒く、されど平然を取り繕うような歪な笑みを作り、頭を振る。


「……いや、ただの頭痛なんだ……気にしないでくれ」


 そう言ったエインの横顔は、なぜだかひどく心細げだった。どうしようもない不安に押しつぶされそうだが、その不安がどこからやってくるものなのかわからない。途方に暮れているようだった。

 ――その時、私はこの違和感の正体に気づいた。

 確証を得るため、私は部屋のひとつを覗いた。そこは実験室であるようだ。フラスコに入った液体、すりつぶされた草花、しゅごーしゅごーと蒸気が漏れるような音……。

 それはあまりにも、酷似しすぎている。

 嫌な予感がした。

 私は四大の位置を探る。四大は外にもたくさん流れているが、明らかに不自然に湧いている場所があるはずだ。神経を研ぎ澄ませ、血の巡りを覚える――見つけた。地下だ。


「おいエル――」


 エインの声を無視して、私は走り出した。似ているのだ。なにもかも。壁一面の本棚、吊るされた乾燥花、不自然な四大、キルヒェ、蒸気の音……。

 奥の扉を開く。そこは物置きだった。似ている。本がまとめられた木箱を退けた形跡が見られる。もともと木箱が置いてあったであろう場所には、大きな蓋が空いていた。あまりにも似すぎている。蝋燭の明かりが点々とついているが、奥は見渡せない。深淵へと続く階段があった。私はそこを駆け下りる。じめじめとした地下も、曲がりくねった道も、あぁ、その先に待ち構える扉もまた――。

 私は、扉を蹴破った。


「……やはり、そうであったのか」


 吐き捨てて、私はそれを見上げた。

 大きな大きなフラスコだった。赤褐色に淀んだ水の中に、気泡をまとった女性のような形のものが沈んでいた。息はしていない。繋がれたガラス管の先から、空気のようなものが送り込まれているようだった。

 間違いない。似ているのではなかったのだ。この場所もまた、そうであったのだ。


「――それは、恐怖の目なのだろうな」


 いやに響いたのは、低く芯の通った声だった。少し震えているようなのは、私に会えた喜びだろうか、それとも、フラスコの中のものに対しての悦か――。


「これが気になるのか? そうであろう」


 ふらりとフラスコの陰から、痩身長躯の男が現れた。窪み、濁りきった青の瞳に、はりをなくした銀の髪。間違いなく、その姿はフリューギウス家のものだ。男はフラスコを軽く叩く。気泡が上へと昇って消えた。

 私はなんとも汚らわしくも慈悲深い瞳でこちら見る男を睨みつけた。


「同じ血を引く者として、貴方を軽蔑しますよ」

「違うな、エル。私とお前は同一ではない。エル、お前に流れる血は、紛れもなく神のものなのだから」


 性懲りもなく言ってのけるエルヴァーリオを、私は心の底から汚いと思った。

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