第13話 混乱
はたと悲鳴の先を見る。段々畑の下、森の方向からやってくる牛の群れと、一人の男性。そして、その後を追う、ものすごい速さで駆ける鹿毛の――馬車。
「エインっ!!」
私は段々畑を駆け下りた。悲鳴を上げながら段々畑を上る人々に逆らって。牛は暴れ狂い、馬は自我を失っている。そのどちらにもあったのは、紛れもない恐れ、ただそれだけだった。
――やがて、馬車は牛とぶつかった。
接触したことにより、荷台は空に放り出された。ひっくり返った馬車を踏みつけて逃げていく牛たち。砂埃が引いていく。土にまみれた木と布の残骸の上に投げ出されていたのは、黒い塊だった。
「おいエインっ!」
駆け寄ろうとすると、ゆっくりとその塊――エインは起き上がった。土と葉にまみれたエインに、牛飼いの男が近づく。
大丈夫か。彼はそう声をかけた。
数秒ののち――彼は悲鳴を上げた。
「……ば、バケモンだぁぁああああ!!」
腰が抜けたようで、這いずるようにして逃げる男。おぼつかない足取りで、エインはそんな彼を追った。
そして、男の首をへし折った。
再び、辺りを包んだのは、戦慄の悲鳴だった。
「何をしてるのだ……!」
私が見たのは、見境なく人を殺していくバケモノの姿だった。黒炎をまとった剣を振り回し、生命から光を奪っていく。情報提供者となったであろう人々を、屠っていく――。
いや、今そこに激怒している暇はないだろう。
「……やむを得ん」
私はナイフで手の甲を切り開き、辺りに、そして川に血を撒き散らした。エインが殺し損ねた人々を焼き払い、念のためと村を気の四大で満たしておく。拡大する呪い、黒炎に、すっかり生の鼓動は消え失せてしまった。その灰に包まれた不毛の大地と化す村を歩み、彼のもとへと駆け寄る。
「なぜ邪魔をした!」
せっかく奴の居場所がわかるチャンスだったのに。彼はそんなチャンスをふいにしてしまったのだ。彼の、身勝手な行為によって。
エインは声を返さない。灰の土地に膝をついたまま、私なぞ見えていない様子で、遠くを見つめているだけだった。
その姿に苛立ちを隠すことはできなかった。我慢ならない。私は彼の肩を掴み、
「エイン、聞いているのか! おい、エイン――」
「――――ぁ!!」
遮るようにエインの口から紡がれたのは、具現できない慟哭のような咆哮だった。
叩きつけられた双腕から波状に広がる黒炎。灰から色を奪い、大地から命の流動を奪っていく。――しかし、それが私に当たることはなかった。
息荒く、肩を上下させるエイン。地面を掴む歪んだ顔に、悔しさの色が滲む。
私は、なにも言えなかった。怒りから吐き出された声が飲み込まれたのは、彼の奇行への驚きばかりではない。伏せられた鉄骨めいた顔。人を成さぬ腕を見つめる彼の横顔には、怯え、恐れ。歪んだ顔に広がるのは、やりきれない悔しさの波動。
「俺は、人間なんだよ……っ!」
絞り出すようなその声は、遠くで鳴り響く雷鳴に吸い込まれて消えていった。
邪魔されたことに対する怒りも、消えてしまっていた。
「……一旦、どこかで休もう」
かろうじて口に出せたのは、そんな逃げの言葉だった。
数分ののち、彼はゆっくりと起き上がった。
気が付くと、晴天の青は灰の分厚い雲に包まれていた。
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