第8話 関所
王都の中心部には、王城がそびえたっている。小高い丘の上に築かれた王城には、巨大な塔があった。どこにいても見ることができ、旅人の指針となっている塔、オルド大火塔だ。そこでは始まりの神の血を燃やした、一生消えない炎が燃え上がっている。ロンダイト聖王国の財産であるその塔は、同時に大罪者の魂の監獄でもある。再びその悪しき魂が世に廻らぬよう、封印しておくのだという。
鬱蒼と生い茂る夜の森。その先に揺らぐ、魂を飲み込んで燃える炎を目指す。不安定な山道を、微かに漏れる月の光と絶壁に流れる運河を頼りに、鹿毛の馬はゆっくりと進んだ。正規の道とは外れているようだが、道状のものはできている。あの蛮族どもが何度も行き来したことを示していた。
「消えたって……なんだよ、それ」
記事ついて、要点をかいつまんで話すと、エインは露骨に顔を顰めた。眉間に深い皺が刻み込まれている。やはり、この話となると、たちまち顔が曇る。なにがあるのか分からないが、今深く追及しても状況は変わるまい。
「そのなにかを追求したのが、ラフェールという男らしい。本は見たか?」
「見たが……生憎と、学がないもんでな。で、なんだ? これは」
本をふらふらと振るエインに、私はため息をつく。
「……生物やこの世界がなにでできているかは、貴公も知っているだろう」
「四大だろ?」
後ろから返ってきた答えに、私は頷いた。
この世は始まりの神によって生み出された被造物だ。火、水、地、空気――四大を構成要素とし、それを組み合わせて創り出したのが、生物であったり世界であった。
――というのが、私たちが教えられてきた世界の成り立ちだ。だが、あの老人たちが提唱する事実はそれとはどうやら違うらしい。
「あの研究施設の者たちが提唱していたのは、それとは似て非なるものだった。地水火風に続く五つ目の構成要素が、それぞれの四大を引き寄せ、繋ぎの役割を果たし、四大を実体化させる、そう唱えたらしい」
「五つ目?」
「あぁ。それがあの老人が言っていたもの、虚無だ。資料を見たか?」
資料を捲る音に、私は続ける。
「老人が言っていたラフェールという者は、四大の元素同士を引き寄せ合う要素として、虚無が存在すると提唱した。同時に、それは四大の元素同士を切り離す要素だとも言った」
「……どういうことだ?」
「簡単に言うと、虚無が火の四大同士を繋ぐことで火は存在でき、逆に虚無が離れることによって火は火の四大にばらされる――つまり、消えるということだろう。生物もまた然りだ」
「つまり……虚無が無かったら、俺たちは消えるってこと?」
「そういうことだ。それを証明するため、老人は実験を繰り返していたというわけらしい」
過去の実験記録についても、まとめられてあった。死体を密閉された壜の中に放置していたらどうなるか。五年間の研究結果は、消えた、だった。そして同時に、壜内の四大濃度が濃くなったのだという。それは、虚無が死によって離れ、よって元素が分解されたからだと。だから四大濃度が濃くなったのだとも言っていた。
「例えるなら、虚無は磁石のようなものなのだろう。四大を引き寄せ合うから、元素は固体となる。何らかの刺激――例えば死によってその磁力は失われるから、固体は元素に逆戻り。目に見えぬ元素の漂いを、私たちは消えたと認識するということだ」
「ってことは、その、虚無ってヤツが消えたからあのババアは消えた?」
頷いて、私は考えを巡らせた。
時間という観点での疑念はあれど、老人の消失が虚無の消失によるものであることは明らかだろう。あくまでラフェールの理論が正しければ、だが、現に私たちは目撃している。それは、疑いようもない事実だ。
ひとつ気になるのは、記事に記された火災事件だ。記事は全てが消えたと言っていた。人も死体も家屋も炎も、全て。死体が消えるのは、理論に当てはめると理解できる。だが、その他、炎や家屋などは、なぜ急に消失してしまったのか。
「なにか別のトリガーがあるんじゃないか?」
「その可能性はある。なにか別の力が作用したか――あるいは、虚無を意のままに操る者がいるか、だな」
「虚無の神、ってことか……」
「現に奴らは、神のみに赦された秘術を行っていたらしいからな。青表紙の資料を見てくれ」
本当に驚くべき実験は、この後だった。
先ほどの老人が行っていた実験。それが、理論の証明の最終段階だった。
「生物を、創る……!?」
信じられない。エインの驚愕と軽蔑の籠った声に、私はあの実験を思い出した。
磔にされた焦げた鳥。フラスコの中の岩石や結晶を背に宿したカエル。巨大な壜の中にあった、人のような形をしたなにか。
そして、「初めに四大。次に神詞。終いに虚無」という老人の言葉。
「始まりの神は四つの元素と虚無を使い、人を生み出したとされる。その原理が分かったなら、たとえ人であっても生物が生み出せて然るべきだろう?」
老人が為していたのは、生物を生み出すことだった。
確かに、その理論通りであれば、神の方法をなぞれば生物ができるはずだ。そしてそれは、大いなる証明たり得る。
「あの老人は、ラフェールとかいう者が完全体を生み出したと言っていた。いわば虚無の神であったんだろうよ。つまり、その理論はとっくに証明されているのだ。だが、老人は繰り返している。正確には、老人たち、なんだろうがな」
しかし、老人たちにはラフェールほどの力はなかった。四大の流動は、ただの人間には操りがたい。それをキルヒェによって操り、無理に創り出した結果が、あの鳥やカエルなのだろう。だからその体に、キルヒェにもみられるような四大の特徴が現れている。四大の量が適当ではなく、なにかが過多となっているから。
できない。それを知りながら、老人たちは生物を創り出そうとしている。その禁忌を犯そうとしているのだ。
「ヤベェじゃねぇか……!」
呆然自失といったようで、エインは資料を見つめていた。
確かにな。そう返し、私は官舎を思い出す。
「さらに大変なのは、そんな奴らが王国で勤めているということだ」
あそこにあった死体の服の紋章も国章も、この国のもの。王国勤めの者のための官舎の地下に、老人の実験室がある。そこから考えられる可能性は、ひとつだ。
「この国の内政は二分化してるのか……?」
「さてな。王城内で二つの派閥があるのかもしれん。なんであれ、この国にバケモノは二人もいらぬ。私一人で十分だ」
気を違えた狂人は、私一人で事足りる。どうせ終わる世界では生き延びることはできないのだ。終わりは皆に等しく訪れる。私のみが、その例外となるのだ。
エインはそのまま黙した。なにか考え込んでるのだろうか。なんだか空気がひどく淀んでいるように思えた。そのまま会話を続けるのもどうかと思い、私は馬を走らせる。
砂利道の山道も終わりを迎えたようだ。正道らしき整備された石畳の道路に、馬の蹄が軽快な音を鳴らす。その先から見えてきたのは、橋の前にひっそりと佇む巨大な関所だ。巨塔二本とそれを繋ぐ格子状の城門。固く閉ざされていて、勝手に開くようなものではないだろう。広がる巨大なカルバ川を渡るにはこの橋を渡るほかない。
遠くから見る限りだが、紋章を掲げた人間の数は、格子を隔てて手前に四人、奥に二人。少なく見えるのは、ほかにもゲートがあるのか、塔に潜んでいるのか。
「……そろそろ関所だ。そちらは任せた」
「そっちこそ、頼んだぜ」
そう言って、エインはワインのような液体が入った試験管ふたつを手に、森の中へと消えていった。兵士は揺れる木々に、獣が過ぎ去ったとでも合点したのだろう。私は悠然と、御者を装い馬を打つ。
「通行許可証を提示してください」
長槍二本に止められ、私はポケットをまさぐった。無論、そこに通行許可証なるものがあるわけがない。
「……おっと、忘れてしまったか」
首を振ると、長槍は怪訝そうな顔をした。途端、右塔の方からガラス細工が砕けるような音が響いた。四大が立ち上るのを感じる。兵士の二人は互いに顔を見合わせ、声を潜めると、塔の方へ消えてしまう。
馬は怯えるように小さく鳴いた。後進しようとする、その眼が見つめる先は、王国兵だろう。
「なんとか、通らせてはくれませんかね」
問うと、兵は難しいという顔をした。そうして、訝しむように近づいてくる。左塔の方からガラス細工が砕けるような音が響いた。四大が立ち上るのを感じた。
「失礼ですが、降りて顔を見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ……」
私は震える馬をいなすように軽く撫でて降りる。その前に、私は小さく呪いを吐いた。
――Cier,shame.――
「見せるのもお恥ずかしい顔なのですが。その前に、ひとつよろしいですか?」
格子の向こうの兵が伏した。刹那、黒炎が格子を貫いて長槍へと手を伸ばす。
私は馬の目を閉じさせ、嘲笑に口角を上げた。
「――私がおとりだと、いつになったら気づくのだ?」
はたと目を見開いて、長槍たちは空に、背後に目をやる。だが、すべて遅かったのだ。黒炎に飲み込まれた彼らは、狂ったように吠えた。悶えるように身をよじらせながら、やがて床に伏し、動かなくなってしまった。
悲鳴のみが耳に入ったのだろう。馬は見えない恐怖にうなされ、固まったように動かない。心配などいらない、そう呟いて、私は馬の喉を撫でた。
ぜんまいが回るような轟音と共に、格子戸が開かれていく。
その向こうで待っていたのは、首の折れた二つの死体と、四大の燻るエインだった。
「何度も言うけど、俺を酷使しすぎてんじゃないのかねー」
「そんなことはない。たかが壜を投げるだけの仕事だろう?」
「その「たかが」が辛かったんだけどよ」
乱れたローブを整え、人の姿を借りたエインが零す。塔内には、まだ四大の揺らぎが残っていた。生命の揺らぎは感じない。おそらく、皆々四大が形を成した気によって、中毒死したのだろう。あっけない小隊の死である。
「そこに血がねぇと使えないって、呪いも便利じゃねぇんだな」
そう言ったエインは不満げだ。それもそうだろう。彼は私の血を混ぜた水の試験管を左右の塔に投げ入れるという役割を果たしてくれた。距離のある両棟を移動するのは、四大の施しを受けた彼であっても、かなりの労働であったに違いない。
「人柱なき今、いづれこの世は四大で満ちる。その時までは、私も貴公も不自由なりに考えねばならん」
聖ロンダイト王国、その南の果ての海溝からは、四大が溢れている。これまでは彼の神によってその量が保たれており、その全てがこの国に、世界に流れることはなかった。神も私という生贄もいなくなった今、四大の全てが世界を満たすのも時間の問題だろう。その時までは、神の血で意図的に四大を生み出さねばならない。
転がる死体たち、そしてエインに目をやり、私は馬車へと戻った。
「今日は橋の先の森のどこかで夜を明かそう。貴公もさぞお疲れのようだしな」
今日だけで彼の活躍は賞賛に値する。私を牢獄から救い、援軍を薙ぎ倒し、官舎を乗っ取り……そして今。彼の疲れが限界に達していてもおかしくはない。
「あぁ、ぜひそうしてくれ」
そう笑って、エインは荷台に寝転がった。
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