第7話 出発
あらかたの資料を持って研究室を後にすると、像にもたれかかるような形でエインは座っていた。どこを見つめているのか分からない瞳は、沈んだ赤色だ。呆然としていて、私にすら気づかない。
「大丈夫なのか」
問うと、彼は虚ろな目をこちらに向けた。私を捉えると、彼のは覇気は少し戻ったようで、小さく笑って頷く。
「なんでもないんだ……本当に」
本当に、と繰り返したエインは、再び視線を虚空へと向けた。
……気にはなるが、追及する気までは起きない。別に、そこまで親しい仲というわけではない。ただ、一時の協力するだけの仲だ。それを仲と呼んでいいのかは知らないが。
頭を空っぽにしたようなエインを見つめていると、彼はその口を開いた。
「なにかを訊きだそうとしていたなら……すまない」
重く吐き出された言葉に、私は軽く微笑った。
「構わん。別になにかしようというわけではなかったしな」
それに、と私は手の中の資料に目をやった。
「情報なら、有り余るほど手に入った。なるほど奇怪な研究をしていたようだ」
発見した資料を読む限り、確かにこれは、これまでの自然の摂理を書き換えることになるような話だった。それは凡人には到底理解できず、故に頭痛が襲うほど。そして、それはおそらく、記事の事件を説明づけることができるものだ。
私はエインに資料を投げ、像に背を向ける。
「時間が惜しい。詳しい説明は移動中にでも行おう」
「……足はどうするんだ?」
資料をかき集めて隣に並んだエインが問う。
「足ならここにやってきた客人が置いてきてくれただろう」
私は玄関をくぐり、荷馬車の馬の腰を撫でた。
「なに、馬にも乗れないで王族がやっていけると思うのか」
乗馬は剣術、礼儀作法、帝王学に次いで必修だ。エルヴァーリオ出没の噂を聞いたという村までは、割と距離がある。それまで、情報を共有しておくのも悪くないだろう。
「……馬で行くってことか?」
エインは荷台の陰から馬を覗き、露骨に顔を顰める。
「なんだ、馬は苦手か?」
「そういうわけじゃないが……」
彼は馬から視線を逸らす。荷馬車の陰に隠れて、ちらちらと馬を見つめていた。
恐らくだが、馬が怖いのだろう。微かに震えるように動く左腕。ノイズ交じりの息遣い。彼に動物嫌いの一面があるとは意外だ。私は含み笑い、荷台の革扉を開く。
「安心しろ。御者席と荷台は区切られている。馬が苦手なら荷台にでも寝転がっていればよいだろう」
私はひとつの荷馬車の中を覗く。きっとあの蛮族どもは、ここへの物資の補給も行っていたのだろう。食料や水樽、包帯や薬などが積まれているが、二人ほどが寝転ぶに十分なスペースはある。旅するにちょうどいい代物だ。
「これをそのまま持っていこう。野宿は危険だ。安全な寝床がいる。それに、これならばいろいろと化けることも可能だろう」
さらに、食糧も水もそろっているのはありがたい。いくら不死とはいえど、飢餓は反応を鈍らせる。エインに至っては死んでしまうのだ。総合的に考えて、これを奪っていくのは好都合だろう。
エインはためらうような素ぶりを見せたが、深呼吸をし、革扉を開いた。
「……りょーかい」
骸を蹴飛ばして、馬は高く嘶いた。私は手綱を引き、街へと進路を定めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます