第5話 客人

 どこからやって来ているのか、四大の流動が、その激しさを増していた。

 吹き抜けとなった二階から見下ろした官舎は、まるで精肉場のような生々しさに覆われていた。血と、聖域に焚かれたバラッドの香気が混じり合い、吐き気を催す臭気を放っている。広間だろうか、その中心には五つの輪を組み合わせたような、よく分からないオブジェクトがあった。同様の旗も飾られている。その前にかしずいた死体は、悲鳴を上げる暇すらなく殺されたのだろう。まるで狼の群れが解き放たれたようだと、ちぎれた兵士の四肢を見下ろしながら思う。


「私はどれだけ倒れていたのだ?」

「まぁ、ざっとお日さんが沈んじまうくらいには」


 窓から差す月明かり。私が倒れる前は、燃えるような夕日が空には浮かんでいた。思っていたよりは眠っていなかったのだろう。

 武器庫で長旅の準備を整えながら、私はふと疑問に思う。


「なぜ彼らはここにいたのだろう? まさか、気づかなかったわけではないだろう」


 神殿近くの官舎であるなら、神殿での惨事にいち早く気づいてもおかしくないだろう。だが、彼らはこの場所で肉片となり果てている。神殿の異常に気付くことなく、ここに留まっていたということだ。それを愚かと取るか、はたまたほかの理由があるのか……。

 ロングソードを腰に携えたエインは、あぁ、と窓の外に目をやった。


「近くのって言っても、一番近くのって意味だったんだけどな。見ろよ、あれ」


 小さな細窓から見上げた神殿は、鬱蒼とした木々に埋もれていた。おそらく、神殿は山の上に位置しているのだろう。ここが山の中腹、あるいは麓に位置しているとしたら、なかなかに距離があるということになる。

 それに、とエインは窓を叩いた。


「この官舎、窓が少ないだろ?」


 確かにそうだ、と私は武器庫の小さな窓を開いた。

 この部屋の窓の数はひとつ。さっきまで寝ていた部屋にも窓はひとつ。廊下を見ても、窓は突き当りの壁にあるかないか程度。どれも細く小さい窓で、天井付近に設けられていることが多く、降り積もった埃を見るに、換気をしようと試みた形跡はない。先程までの息苦しさは、血とバラッドが織りなす臭気だけではなかったようだ。

 そう考えると、気づかなかったのも無理はないような気がする。


「だが、さすがに逃げた人々から聞いていてもおかしくないか?」


 あの神殿には無数の人間がいた。そのうちの何人かが逃げだし、この官舎にとび込み、救いを求めてもおかしくないと思うが……。


「いや、ここは参道から外れているからな。木々に囲まれてるせいもあって、知らなかったんだろうよ」

「……そうなのか」


 ナイフをケースにしまって、私は鞄を腰に下げた。どこか釈然としないのは、なんだか違和感を感じていたからだろう。そんな私とは裏腹に、さっさと身支度を済ませていたエインは武器庫を出る。その後に、私は続いた。

 官舎は思ったより広々としていた。二階建ての木造建築には、その中心に設けられた広場兼聖域が二階まで吹き抜けとなっており、どこからでも中心部の奇怪なオブジェクトを拝むことができた。二階は主に個人部屋となっており、一階には鍵のかかった部屋がいくつもあった。

 これだけ広いというのに、その窓の数は圧倒的に少ない。さらに、参道から外れており、木々に埋もれている。

 まるで人の目を避けているようだ。なにかを隠匿しているような……。

 そう思った時だった。

 官舎の玄関が、激しく叩かれた。



 私たちは顔を見合わせた。思っていることは、どちらも同じだろう。ここは人々すら知らない場所。ならばここにやってくる者など、国の手の者以外にはあるまい。

 私は柱に身を潜めた。エインは扉のすぐそばで剣を構えている。炎の揺らめきは刀身を伝い、ちょうど扉を掠めていた。


「おい! とっとと出て来いよ、おい!」

「仕事はどうなったんだよ、えぇ!?」


 汚い濁声が響いたと思うと、扉が叩かれる音はさらに激しさを増す。――ただそれだけで、入ってくるような素ぶりを見せることはなかった。

 なぜ奴らは入ってこない? まさか、王国の者ではないというのか。


「生け捕りだ。皆、決して殺すな」


 どうやら、話を伺ってみる必要がありそうだ。

 頷いたエインは扉を蹴破る。途端、威勢のいい叫びが悲鳴へと変わった。無残にも水をばら撒いたような音が続く。やがて、誰の声も聞こえなくなってしまった。


「……言葉の意味が理解できなかったのか?」

「一人で十分だろ?」


 悪びれもなく言ってのけるエインの手足が押さえたのは、ひょろりとした男の背だった。恐れを顔一面に湛え、這いつくばるその姿。その背後には、ひとつの大きな赤黒いゼリィが転がっている。訊きだすのに、そう時間はかからないだろう。

 私は男に目線を合わせた。精悍な男の顔が震え青ざめているのは、心地がよいものだ。


「話せば、救ってやろう」


 男はむごたらしい姿へと変えた仲間たちを、エインの異形の手をちらりと見、何度も頷いた。汗が滴り落ちている。さぞかし、苦痛を恐れているのだろう。


「ここへは何用でやってきたのだ?」


 そして、と私は彼らの脇の二つの荷馬車に視線をやった。

 草を頬張る馬に結びつけられた、大きな荷台。そこから流れでる四大に、血の逆流を感じる。


「あれは一体なんだ?」


 その問いに、男は震え首を振った。乾いた呼吸が激しさを増す。動悸のようなものを発症しているのだろうか。焦りや怯えを湛えた目は、どことも知らぬ一点を見つめ続けていた。私は、そんな彼の顎を持ち上げ、微笑む。


「なに、他言などせぬ。私は貴公を救いたいだけなのだ」


 さぁ。囁くと、彼は大きく深呼吸した。顔を振ると、汗が弾ける。ずいぶん恐れに苛まれているようだ。この症状、なにかトラウマを患っているに違いない。それは、おそらくだが、彼らを雇った何者かに対してだ。……何者かという表現は、適切でなかったかもしれないが。

 少しは落ち着いたのだろう。男は乾いた息と共に歯を鳴らせ、話し始めた。


「……配達しに、来たんだ。あれはただのキルヒェだよ……っ!」


 キルヒェとは、空中に定在する四大が別のものに宿り、その先で具現化したもののことを言う。例えばそれは燃える薔薇であったり、岩石の下肢を持つ牡鹿だったりする。形を崩すと一般の数倍もの四大が放出されるので、一般に危険物として知られている。


「キルヒェをどうするつもりだ」

「知らねぇよ……! これをどうするかなんて、俺は知らねぇ……見たら殺されちまう!!皆バラバラで……そして、帰って……来ない……来ない……ぃ!」


 譫言を繰り返す男の中には、恐怖だけがあるようだった。早く終わらせてあげるのも、善意だろう。そのほかためになる情報を持っている様子はない。それに聞きたいことは全て聞き出せた。


「ありがたい。貴公には感謝しておこう。解放してやれ」


 私は立ち上がり、エインに手を振った。どっと安心したのだろう。大きく息を吐く男に、エインは微笑みかける。


「よかったなぁ、王子様は優しくてさ」


 その口元の笑みは、なんだか不穏に見えた。その瞳は、静かに燃えているように見えた。何気なくエインの腕に目を向けた、その時だった。


「――でもお前、俺をバケモノっつったよな?」


 壊れたような鈍い音と悲鳴が同時に響いた。私が止めようとした頃には、すでに、腕が歪曲した男の背は、エインの剣で貫かれていた。それは、瞬きするほど一瞬のように思えた。

 悲鳴だけが残留して聞こえるような錯覚を覚える。

 死体を蹴飛ばしたエインは剣を振り払った。鮮血が散り、私のローブを汚す。彼は剣を納め、冷ややかに嗤った。


「殺しちゃマズかったか?」

「いや、構わん。どうせ生きていても死んでいても、いずれは滅ぶ者だ。それよりも、訊いていいか?」


 ん、と視線をこちらに向けたエイン。


「なぜ、あの男を殺した?」


 殺すも生かすも、彼には関係のないことだろう。だが、なぜあえて殺す道を選んだのか。

 彼はあぁ、と嗤った。


「アイツは俺をバケモノと呼んだ。その時点で、アイツの死は確定してんだ」


 そう答えた彼の瞳は、恐ろしいほどに澄み切っていた。当然だ、普通だろう。そう言わんばかりの目は、どこか私とは別の狂気を宿しているように思えてならなかった。

 私がエインを異形だと呼んだ時も、彼は私を殺そうとした。とめどない怒りを滲ませて、冷静さに欠けた言動をして見せていた。

 ――見捨てられた人の子、エイン。

 彼はもともと、人間であったのか?


「アイツらがここにキルヒェを運んできたってことは、ここで使うってことだよな?」


 エインは官舎を見上げて問う。

 疑問は後回しだ。今は奴らがなにを企んでいるのかを知らなければ。

 私は全神経を官舎の先に集中させる。


「見つけた。四大の流動はこの地下だ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る