第4話 下準備


「そんなに病弱だとは思わなかったな」


 声に目を開くと、椅子に腰かけた異形――エインの姿があった。……嘲笑うようにその赤の目を細めて。


「神の血も、空振りに終わったってことか」

「……病弱さなど、血液ごときがどうこうできるものではないだろう」


 私は気怠い体を起こした。かけられた硬い布がずれ落ちる。息苦しさと、収まることのない胸の痛みと不快感が襲う。


「勘違いも甚だしい。だから傲慢だというのだ」


 なぜ神の血で生まれ持った性質を変えることができると思ったのか。だが、真に愚かで傲慢極まりないのは、それが私のためを想ってやったと言い張っているところだ。この血のせいで、神を狩り尽くしたせいで、私は地下奥底に沈められたというのに。

 力を得てしまった。そんな息子を恐れるのか。

 咳を飲み込んで、私は周りを見回す。


「……して、ここはどこだ?」


 木造の狭い部屋だ。ベッドと椅子、机以外は何もない。あるとしたら国章のタペストリーと、五つの円を組み合わせたような奇怪な文様の旗くらいなもので、まるで宿屋の一室のような簡素さだ。だが、ここが宿屋と異なるのは、人々の息遣いも聞こえなければ、周囲に血の濃密な臭いが立ちこめており、四大の脈動が尋常ではないということだ。息苦しいのも、おそらくこのせいだろう。

 エインは極端に伸びた爪の、くすんだ赤を削り落としながら答えた。


「神殿近くの建物ん中だ。見て回るに、どうやら官舎みたいだな。ある程度の武器と巡礼用の簡易聖域もあるし、神殿勤めのヤツの家らしいぜ」

「のわりに、誰もいないように見受けられるが?」

「お前を守ってここを奪取するの、バカんならねぇくらい疲れたんだぜ」

「もちろん、感謝している」


 ということは、やはり私はあの後倒れたのか。力を使いすぎたのが失敗だったかもしれない。慣れぬことをいきなりしすぎたせいなのかもしれない。

 なんにせよ、私は彼に助けられたのだ。見捨てられることなく。そこまでして私を助け、一体なにを協力させようというのか。彼ほどの力があれば、できないことはないように思えるが……。


「確かに、俺の胡散臭さは天下一だと自負してるが……」


 考えていることが顔に出たのだろう。エインは口の端を少し上げた。


「こうやって、契約のあるうちは仲間。そうだろ?」


 その、見るからに胡散臭い笑みよ。

 私は頷き、小さく笑みを浮かべた。


「契約のあるうちは、か……。

 赦してくれ。私の慎重さも天下一なのだ」


 今は、互いに利用し合う関係であっても構わないだろう。どうせ、私に彼は殺せない。彼自身も、私の四大がなければただの人の子同然。だが、神の血を得た私は不死。老いることはあれど、この世を去ることはできない。移り変わるときの中、今、死にゆく奴らに復讐するには、彼の協力が必要不可欠だ。

 暗黙にその意思は伝わったようだ。端から、エインもそのつもりであるのだろう。


「で、父の居場所は訊きだせたのか?」


 問いには、エインは首を振った。


「どうせ城にいるだろ、とか思ったんだが……最近はふらりと兵を連れてどこかへ行っているらしい。行先はそこらの兵には伝えてないみたいだ。王直属の先鋭だけ、引き連れてるんだってよ」

「ということは、手掛かりなしか……」


 あの男が先鋭を集め、渡り歩いているなど、なにかくだらないことでも企んでいるに違いない。問題は、それがなんであるか、奴がどこにいるのか、一切の情報がないということだ。

 頭を唸らせていると、エインが口を開いた。


「……お前には伝えても意味がないと思ったんだが。エルヴァーリオを関所越えの小さな農村で見たって噂があるらしい」

「噂だと?」

「やっぱり、噂程度じゃあ満足できねぇよなぁ?」

「……いや、今は噂でもすがろう。噂になるほどなのだから、なんら関係ないというわけでもないだろう」


 根も葉もない噂。そう一括りにするにはもったいない。噂というものには、根が存在する。根が人に伝播していき、余計な枝葉を増やすのだ。その根本にいるのが、あの男でないという証拠はない。それに、どうせ目的地が必要なのだ。ならば、そこを目指すほかないだろう。


「その村へ向かおう。なにか情報が得られるかもしれない」

「りょーかい」


 呟いたエインは、私に黒い布の塊を放り投げた。そして、私の体を指差す。


「さすがにそんな恰好じゃ、この俺がエル様だって言ってるようなもんだろ」

 言われて視線を落とし、私は小さく笑った。

 銀糸の髪に蒼の瞳。蒼と灰を基調としたダブレットに、編みこまれた竜紋のサーコート。たとえ私だとは断定できなくとも、王族だとは知られてしまうだろう。目立つ行為は控えねばならない。


「確かに。それにこの忌々しい家紋とも別れたいしな」


 私はサーコートとダブレットを脱ぎ捨て、放り投げられたローブと外套を着る。悪くない肌触りだ。裾のあたりに飛び散った血が、なんとも言えないアクセントとなっている。私を神に仕立て上げた修道院のものを着るのには抵抗があったが、身元がバレたときにはいい脅しとなることだろう。


「お前……」


 襟元を直していると、絞り出すような声が耳をついた。目をやると、エインは慌てて首を振る。


「いや、その……」


 エインの言わんとしていたことは、なんとなくだが分かった。

 私はローブの下の肌を見つめた。


「萎びた赤子とは、真のことだ。だがそうさせたのは、ほかでもない、奴らだというのに」


 骨ばった腕や体に刻まれるのは、醜い傷跡だ。盛り上がってぼこぼこになった痕が、もう元の肌に戻ることはない。腕の深い切れ込みは、ふさがってはいた。だが、その痕が完全に消え去ることはない。


「傷は、ふさがれるのだがな。どうやら、傷跡までを完治させるのは難しいようだ」


 神を殺すだの、他国に攻め入るだの。勝手にすればよいものを、いつも前線に駆り出されるのは、この私だった。

 ある程度の四大は、人の活力となる。だが、ある一定を越えると、人はことごとく狂っていき、死んでいく。傷つければ傷つけるほど、私の体からは神の血が噴き出し、空間は四大に満ちるのだ。それを戦に利用したのが、ほかでもない、エルヴァーリオだった。

 決して死ぬことはないが、傷だけは残る。この傷は、奴らへの憎しみの証なのだ。

 エインは口を開けたままの阿呆な面でこちらを見ていた。


「どれだけ間抜けな顔をしているのだ。異形のくせに、まさかこの私を哀れんでいるのか?」


 そうからかうと、エインは赤の目を見開いた。

 ――それを認識したときには、私の首元には彼の長い右爪が突き立てられていた。


「……撤回しろ。俺は、人間だ」


 さもないと、と彼は爪を押し当てた。鋭利な刃物にも似た爪は、肌を刺すような痛みを与える。四大の流動を感じた途端、彼の左腕がその勢いを増した。


「私は死なない。それは貴公が一倍よく知っているだろう?」

「死ななくても、いたぶることはできるだろ……?」

「それこそ無意味な。貴公の目的には、私が必要なのだろう?」


 エインは派手に舌を打った。殺したい。だが、殺せない。そのもどかしさが、彼の瞳に怒りの赤を燃やしているようだった。

 私は微笑み、彼の手に触れた。


「その怒り。その感情こそが、貴公が異形でないという証だ。

 貴公は人間だ。このような場所に私たちを閉じ込めた奴らに比べれば、貴公はりっぱな人の子よ」


 もっとも、と私はエインの手を取った。そして、首筋に伝う液体を、彼の手でなぞる。


「人の道は、とっくに外れているがな」


 エインはしばらく硬い顔をしていたが、ふんっと鼻で笑った。指についた血を舐め、彼は目を細める。


「あぁ。腐っても、俺たちはまだ人の子だ。仇を討った果てに、まだ人でいられるかは分からねぇがな……」


 そう言って、彼もまたローブを羽織った。その燃えたような左手を隠すのに苦戦するエインを眺めながら、私は思う。

 さっきの、絞り出された声に込められた思い。そこに痛ましさや同情の念がある限り、あんな姿であれど、彼はまだれっきとした人間なのだろう。

 ……そもそもだが、なぜ彼はあんな姿になってしまったのか。目立つだろうに、それまで、どうやって暮らしてきたのか。

 私も大概ではあるが、エインもまた謎多き人物だ。なぜ彼は私を求めやってきたのか。彼が私に協力させようとしている目的に関係するのだろうか。


「じゃあ、行くか」


 外套を目深に被ったエインは、はたから見れば少しガタイのいい人間だ。異形めいた手足も頭も綺麗に隠れ去っている。これで少しは動きやすいだろう。

 あぁ、と私は扉を開いた。

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