第46話 もう1人の精霊

それは、紛れもなく精霊のことだった。

リビングで、僕とイーリスはエーリク少尉の身に起きた現象を聞かせてもらう。


「実は今日、王都のかつて『沼』と呼ばれていたあの場所に、2人で行ったんです。」

「『沼』というと、王都の中央にある、戦艦の街のような多層型のあの街に出かけたというのか?」

「はい。せっかくの休みですし、どうせなら繁華な場所に行こうと思って、ヘルヴィと一緒に行ってみたんです。」


「沼」か……確かに以前は危ない場所だったが、今は再開発されて安全なところとなったはず。あんな場所で、精霊が?

……いや、そうでもないな、まさにあの場所でイーリスは誰かさんに刺されかけて、僕の精霊が発動したことがあった。まさか、エーリク少尉とヘルヴィさんも、誰かに襲われたのか?


「そこで映画を見て、ヘルヴィのスマホを買ってから、スイーツでも食べようということになって、第2階層にある店に向かっていたんですよ。」

「まさか、そこで誰かに襲われたのか!?」

「いえ、襲われたわけではないですが、とんでもないことに巻き込まれてですね。」

「なんだ、とんでもないことって!?」

「崩落です。第3階層の床が突然、崩落したんです。」

「な、なんだって!?」


聞けば、どうやらあの街は突貫工事で作ったために、一部に工事ミスがあったらしく、急に第3階層の床が抜けたらしい。

でも、あそこが完成してすでに数か月経つが、今までは何事もなかったぞ?だが、きっかけはその工事ミスの潜んだ床に、イベント用の大きな音響機器を置いたことにあるらしい。

これまではかろうじて大丈夫だったが、その機器を置いた途端に重みに耐えきれず、突如崩落した第3階層。

ちょうどその下に、エーリク少尉とヘルヴィさんがいたようだ。


「……で、その時、私の耳の中でピーンという音が鳴ったんです。すると目の前に、私がいるんですよ。まるで、幽体離脱でも起こしたように。」


まさに僕が何度も体験している、あの現象だ。


「ところがその目の前の私は、私の思い通りはならないんです。私の体は突然、ヘルヴィを抱き寄せ、ジャンプしたんですよ。その時はまさか崩落が起きたなんて知らないから、何事かと思ったんですが……するとその直後に、上から音響機器と破片が落ちてきて……」


まさに、間一髪だったようだ。もし精霊がいなければ、その上から降ってきた機器や破片で潰されていたかもしれなかったらしい。

が、今日は平日だったこともあって人も少なく、その場には2人以外には誰もいなかった。その下の第1階層で1人、降ってきた破片で軽いけがをした人が出たくらいだったらしい。


「……で、その直後に自分の身体に戻ったと。」

「はい、その通りです、艦長。まさに私とヘルヴィは、九死に一生を得ました。」


僕の場合と、まったく同じだな。やっぱり、僕と同じ精霊が宿っている。


「ところでエーリク少尉よ。」

「はい、なんでしょうか?」

「その後、貴官とヘルヴィさんはまじないの儀式をしたのか?」

「あの、まじないって……あの……」

「呪文を唱えて口づけする、あれだ。」

「いえ、まだですが……」

「なら、早めにしておいた方がいい。いつまた命の危機に晒されるか、分かったものじゃないぞ。すぐにやるんだ。」

「ええーっ!?こ、ここでですか!?」

「外でするよりはマシだろう。僕もイーリスも、そういうのには慣れている。マイニさんもその辺の事情はよく知っているから、大丈夫だ。」

「ですが……皆さんの前でというのは……」

「すでに一度やってるだろう!今さら、何をためらう!?さっさとやれ!」


ためらうエーリク少尉に、つい僕は怒鳴ってしまった。

だがこれは、部下に夫婦同士のキスを見せよと言ってるのに等しい。もはやパワハラ上官だな。いや、セクハラか?


「いいよ、エーリク。またああいう目にあっても危ないし、ここですぐにまじないしておこう!」


ヘルヴィさんの方が覚悟があるというか、単に何も考えていないだけというか……ともかく、ヘルヴィさんはエーリク少尉の前に立つ。


「デア シュピリッチ……アイザ ルガゼット マヌ エラ……」


まだ2度目だが、ヘルヴィさんもすっかりあの呪文を覚えたようだ。正直、あまり呪術師シャーマンらしくはないが、以前より落ち着いた感じがする。


エーリク少尉との口づけを済ませ、うっとりとした顔で離れるヘルヴィさん。顔を真っ赤にしてヘルヴィさんを見つめるエーリク少尉。

思えば僕も、最初のうちはエーリク少尉と同じだったな。いくら事情を知った人間相手とはいえ、これを人前でするのは確かに抵抗はある。

が、こうなったらエーリク少尉を失うわけにはいかない。精霊を宿す貴重な人材だ。なんとしても、彼には生き残ってもらわないといけない。

ましてや、僕と同じ艦だ。これくらい気をつけてもらわないと、連盟側の工作員が現れた時に対処できない可能性もある。


「あの……艦長、これ、精霊が発動するたびにやらないといけませんか?」

「ああ、そうだ。」

「ですが、私には命の危機なんて滅多にありませんから、そんなにしょっちゅう発動することはないのでは?」

「命の危機の際にだけ精霊は発動するわけではない。精霊が『最良』と考えた方にも発動する。それに、我々は軍人だ。連盟艦隊との戦闘もある。命の危機なんて、ありすぎるくらいだ。」

「そ、そうでした。肝に銘じておきます。ところで艦長。」

「なんだ……」

「……以前、カーリン中尉やエックリンガー大尉から聞きました。3年ほど前に、当時のランドルフ中尉とイーリスさんが艦内で口づけをしていた、と。あれは、こういうことだったのですね。」


なんてことだ。そんなことまでエーリク少尉は知っていたのか?思い出したくない黒歴史だが、この際だ、仕方がない。


「……そうだ。私とイーリスだけではない、艦の運命をも左右することだ。可及的速やかにまじないをするべきだと考えて、実行した。貴官も、覚悟せよ。」

「はっ!承知いたしました!」


本当は成り行きでやらされて、恥ずかしくて仕方がない話だが、エーリク少尉にまじないを強要した手前、当然のことだと言わんばかりに話さなくてはならない。

と、そこにマイニさんがお茶とお菓子を運んでくる。お菓子は……例のクッキーだ。まだ食べてたのか、イーリスは。


「美味しい~っ!これ、なんですか?」


出されたクッキーを一口食べ、ソファーの上でぴょんぴょん跳ねているヘルヴィさん。


「おお、これはショッピングモールの2階のある店で売っているクッキーだ。そういえば、そなたに出すのは初めてだったな。」

「イーリス様!これ、とても美味しいです!こんなものがあのショッピングモールにあるだなんて……」

「このクッキーはな、リーデッジ王国の国王陛下の謁見した際に陛下に献上し、宇宙統一連合との同盟締結を決断される事になった、由緒正しきお菓子であるぞ。」

「そんなすごいお菓子なのですか!ヘルヴィ、全然知りませんでした!」

「だが、ちょっと困ったことがあってな……私はこのクッキーは、もういらんのだ。」

「えっ!?なぜです?こんなに美味しいのに。」

「美味しいが、こればかり食べていてはさすがに飽きるぞ。」

「ええーっ!?まさかこれ、たくさんあるんですか!?」

「そうだ、あと10箱ほど残っている。困ったものだ……」


……ちょっと待て、なぜこのクッキーが、あと10箱もあるんだ!?


「ちょ、ちょっとイーリス、どんだけこのクッキーを買ってきたの!?」

「私ではない。エヴェリーナのやつが買いすぎたのを、皆で引き取ったのだ。」


ああ、あの伯爵の側室で、トラック単位で紙オムツを買ったあのエヴェリーナさんか。まさかまた、トラック単位で買い物をしたのか?

聞けば、想像通りだったようで、その「処分」のために、相当量をリーデッジ王国にも献上したらしい。だが、それでもまだ余ったので、イーリスを始めとするイリジアス王国貴族女子会の面々にも、1人20箱ほど配ったようだ。


「じゃあ、ヘルヴィがもらうよ!だって美味しいもん、このクッキー!」

「そうか、それは良かった。じゃあ10箱全部、持っていってくれ。」


そう言って、大量のクッキーが持ち込まれた。そのクッキーを2人で抱えて帰っていく。


「……うむ、やはり出してみるものだな。ヘルヴィのやつ、案の定引っかかったぞ。だがヘルヴィよ、あの食べても食べてもなくならないクッキー地獄を味わうことになろうとは、夢にも思わないだろうな。」

「そうでございますね、イーリス様。マイニも同感でございます。2、3箱目ぐらいからでしょうね、本当の地獄がはじまるのは。」


薄ら笑いながら、まるで悪役令嬢のようなセリフを吐くイーリス。それに同調する悪徳メイドのマイニさん。思えばマイニさんは、あの殺傷未遂事件以来、ヘルヴィさんを責めるようなことは言わなかった。が、これがマイニさんのヘルヴィさんへの、ささやかな復讐となるだろう。


「ところで、イーリスよ。」

「なんだ?」

「ふと思ったんだけど……もしもエーリク少尉と僕の2つの精霊が同時に発動したとして、その時はどうなるんだろうか?まさか、両者が相争う事になることもありうるのだろうか?」

「いや、それはない。精霊の目的は、同じはずだ。」

「そ、そうなの?」

「元々、精霊はイリジアスの沖の海より現れた神だと伝えられている。今より1000年以上も前のこと、遠い祖先が、海より現れしその神に会い、彼の地の繁栄を嘆願した。そのとき神は、その場にいたある女子おなごの身体に宿り、皆に告げた。この女子おなごにこの地の支配者となるものに口づけをさせて、そのものに『精霊』を与えよ、さすればその者を介して『最良』の結果がもたらされるであろう、と。だから、別々に分かれていても元は一つの神。なれば、その目指す目的も一つのはず。」

「そ、そんな言い伝えがあるの?じゃあ呪術師シャーマンって、イリジアス王国周辺にしかいないの?」

「このセントバリ王国を始め、他国ではかような伝承も、それを引き継ぐ呪術師シャーマンもいない。ゆえに、呪術師シャーマンはイリジアス王国と、その友好国であるリーデッジ王国にしかいないようだな。」


ということは、呪術師シャーマンという存在はこの星というより、旧イリジアス王国周辺にしかいないということになるのか?

もし、他の地域でも呪術師シャーマンのような存在がいれば、同様の伝承があってしかるべきだが、そういう話は聞かない。ましてや精霊やまじないなんてものは、まったくなさそうだ。


それにしても、精霊の目的というのは一体何だろうか?僕は単に、その憑依した人物の使命のようなものを果たすだけの存在だと思っていたが、イーリスの今の話を聞く限りでは、どうもそうではなさそうだ。


もし2つの精霊が、まったく別の使命を持った人物に宿ったとする。極端な話、連合と連盟の人間に宿ってしまったとしたら、どうなるだろうか?

イーリスによれば、それでも同じ「目的」のために動くという。つまり、その時は相容れない両者のうち、どちらかが死ぬことになるだろうな。

いや、そもそもそんな事態にはならないのではないか?宿る人間を、予め選んでいる可能性はないか?

もう一つの精霊が、僕と同じ艦の、それも砲撃手に宿ったという事実が、とても偶然とは思えなくなってきた。精霊のやつ、一体どこまで先を見通しているのだろうか?なにやら恐ろしく感じる。


エーリク少尉の精霊発動の件は、すぐにバルナパス中将へ連絡しておいた。これで僕の艦には、2人の精霊持ちが乗り込むことが確定し、その情報は司令部幕僚も知るところとなった。


で、そんな矢先のことだ。

ブラックホール宙域に、再び戦乱が起きようとしていた。

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