第36話 内通者

ちょ、ちょっと待て、精霊よ!なんでここでまた発動するんだ!?しかも、今日は2度目だぞ!1日に2回も発動するなんて、初めてだ。

そんな僕の想いとは裏腹に、僕の身体は、勝手に動き出す。

何を思ったのか、僕、いや精霊のやつは、壁にある火災報知器のボタンを思いきり殴りつける。

ジリリリリンというけたたましいベルの音とともに、スプリンクラーが作動する。

おい……何をするんだ!?上から冷たい水が降りかかり、イーリスが目を覚ます。


「な、なんだ!?」


イーリスを抱えようとしていたヴォルフ中佐も、いきなり降りかかったスプリンクラーの水に驚いている。それはそうだろう。

が、僕の身体は、さらに驚くべき行動に出る。


なんと、僕はいきなりヴォルフ中佐を突き倒す。そしてイーリスから中佐を引き離したのちに、上からのしかかって殴りつける。

1発や2発ではない。何度も殴りつける。数発殴ったのちに首根っこを掴んで、今度は中佐を通路の壁に叩きつける。

うわぁ……おい、精霊よ、いくらなんでもちょっとこれは、やばくないか!?司令部付きの上官相手に、殴りかかってしまった。もはや、軍法会議ものだ。厳しい処分は免れられない。なんてことをしてくれるんだ。


この騒ぎに気付いた人々が、この応接室に集まってくる。

その中には、なんとバルナパス少将もいた。

皆の目は、ボコボコに殴られて顔面から血を流しているヴォルフ中佐の姿。そして、その前に立ちはだかる僕。


ああ……終わった……どう考えても、僕の人生は、終わった……


精霊よ、なんて事をしてくれたんだ。いくらなんでも、パワハラもしていない上官を殴るやつがあるか。どう考えても、言い訳のしようがない行動を取ってしまった。誰がどう見ても、僕が乱心したとしか思えないだろう。一体、これのどこが「最良」なんだ。

で、このタイミングで、僕は僕に戻ってしまった。


「おい!何の騒ぎだ!」


バルナパス少将は叫ぶ。

部屋中は水浸し、報知器は鳴り響いたまま。おまけに、上官を殴りつけ、その前で立ち尽くす僕がそこにいる。

顔から、サーっと血の気が引くのを感じる。目の前が真っ暗になりそうだ。ああ、どうしよう……なんて言い訳すればいいんだ、僕は。


「ランドルフ少佐!」

「はっ!」

「……何が起こった。正確に報告せよ。」


バルナパス少将が僕に問い詰める。もはや頭がクラクラとしている。こうなったら、正直に応えるしかない。


「はっ……ヴォルフ中佐が、イーリスを、僕の妻を別の部屋に連れて行こうとしたところで突然、精霊が発動して……」

「なんだと!?」


僕は、ありのままを報告する。だが、バルナパス少将は怒り心頭だ。さすがに今回の件は、下手な言い訳にしか聞こえないか?

でも、本当に精霊が発動した。これは、紛れも無く事実だ。だいたい気弱な僕がいきなり上官を殴りつけることなど、するはずがない。

でも精霊よ、この先はどうするんだよ……せめて、言い訳まではやってくれないのかな。バトンタッチのタイミングが悪すぎる。とんでもない状況に放り込まれた僕は、途方にくれるしかない。

が、バルナパス少将の矛先は突然、ヴォルフ中佐に向く。


「ヴォルフ中佐!なぜこの部屋から、イーリス殿を連れ出そうとした!?」


……えっ?もしかして少将閣下は、僕じゃなくて、ヴォルフ中佐に怒ってる?

思わぬ展開に、僕とイーリスは呆然とする。突然、矛先を向けられたヴォルフ中佐は、言い訳をする。


「い、いえ、こちらの奥様が、お疲れの様子だったので、つい……」


だが、バルナパス少将はさらに追求する。


「ならば、なぜイーリス殿だけを連れ去ろうとしたのだ!私が出した命令は、この2人を事件解決までこの部屋から動かすなというものだった!これは、何ものにも優先せよという付帯条件付きの命令だ!貴官のその行動は、重大な命令違反だぞ!」


えっ……そんな命令が出ていたんだ。知らなかった。だが、その命令が出ていたことは当然、少将閣下の腹心で幕僚の一人であるヴォルフ中佐が知らないわけがない。なのになぜ、イーリスを連れ去ろうとしたのか?


「警備兵!司令長官として命じる!直ちにヴォルフ中佐を逮捕、監禁せよ!」


周囲にいた士官に、命令をするバルナパス少将。3人がかりで取り押さえられた中佐は、そのまま別の場所へと連れて行かれる。


「あの……少将閣下、これは……?」

「ランドルフ少佐よ。貴官はこの事件、どこかおかしいとは思わなかったか?」

「は?それは一体、どういうことです?」

「明らかに連盟がイーリス殿をさらおうとした。しかも、ランドルフ少佐を殺そうとした上でだ。つまり、ランドルフ少佐が精霊の宿主である限り、イーリス殿だけ連れ去っても意味がないことを知っている証拠だ。これは明らかに、イーリス殿のまじないのことを詳細に知った人物が内通したとしか思えない。それが、どういう意味かわかるか!?」

「は、はい、確かに妙だと感じましたが……」


ああ、やはりバルナパス少将も同じ違和感を抱えていたんだ。僕が死ねば、当然イーリスは、精霊の主人あるじを失う。つまり、再び主人あるじを求めなくてはならない状態になる。

その状態でイーリスを連れ出さないと、僕が精霊を抱えたままになる。イーリスだけを連れて行っても、イーリス自身はただの人同然である。

そんな事情まで知る人物は、軍関係者でもごく一部しかいない。イリジアス王国の人達もイーリスのまじないの力を知っていても、その主人あるじの条件までは知らない。

もしかしたら元王族のセラフィーナさんは知っているかもしれないが、あんまり彼女は賢いとは言い難いしなぁ……で、実はそれ以外の人物で、僕の精霊のことを詳細に知っている人物は限られている。

すなわち、僕とバルナパス少将、地球アース187の駆逐艦7767号艦と当艦の乗員の一部、そして司令部幕僚のみだ。

だからバルナパス少将は、僕とイーリスをこの部屋から動かさないよう、重ねて命令を下していたようだ。内部の犯行である可能性がある以上、当然の措置だろう。

が、その命令に反して動いた人物がいる。

それが、ヴォルフ中佐だ。


「これより、私の命で2人を移動する。このビルの最上階にある、長官室に移すことにする。」


ここでなんと、いきなり長官室へ入ることになった。それを聞いたイーリスは、眠い目をこすりながら尋ねる。


「おい、ランドルフ。なんだ長官室というのは?」

「ああ、イーリス。つまり、この建物の一番高いところで、一番偉い人が入る部屋だよ。」

「おお、そうか。そこならば、ゆっくり寝られそうだな……」


……あの、イーリスさん、こんな時に、寝てる場合じゃないでしょうに。よくまあこんな時に、寝ることを考えられるものだ。


ともかく、僕らはエレベーターに乗って、最上階にある長官室へと上がる。

外からは鍵をかけられ、警備兵と監視カメラがつく。そして2人は、その部屋の中に閉じ込められる。

が、この部屋にはトイレや飲み物など、最小限のものはある。おまけに、タオルと着替えも用意された。ずぶ濡れになった僕とイーリスは、その部屋で身体を拭いて着替えをすませる。

で、念のために、本日2度目のまじないもすませたのちに、僕らはそのまま、長官室のソファーで寝る。

そして、翌朝を迎えた。


気が張っていたが、疲れていたせいか、いつの間にか寝てしまった僕。その隣には、イーリスが寝ている。

とりあえず、無事のようだ。もっとも、もし何かあれば、再び僕の中の精霊が起き出したことだろう。

だが、昨晩は精霊も発動せず、僕らは無事、翌朝を迎えることになった。


そういえば、ヴォルフ中佐はどうなったのか、もう一人の工作員は捕まったのか?

思うところはあるものの、僕らは動けない。とにかく、ここで待つしかない。

が、待てないのはイーリスのお腹だった。


「おい!ランドルフ!腹が減ったぞ!」


精霊が仕事をすると、イーリスは空腹になる。そうでなくてもよく食べるイーリスだ。あれだけ精霊が発動したんだし、そりゃお腹も空くだろう。

だが、どうやって食べ物を持ってきて貰えばいいんだ?電話もあるが、今は閉鎖されて通じない。僕らは完全に外界と隔絶されている。


どうしたものかと途方に暮れていたが、突然、長官室の扉が開く。


「ランドルフ少佐殿とイーリス殿!朝食をお持ちいたしました!」


司令部付きの主計科の士官が、食事を持って現れた。

持ち込まれたのは、大量のピザにフライドチキン、それにハンバーガー。

ジャンクフードばかりだな。だが、イーリスは喜んで食べる。相当お腹が空いていた上に、イーリスの好物ばかりだ。喜ばないわけがない。

そこに、バルナパス少将が入ってきた。僕は、敬礼する。


「ああ、いい、そのまま食べながら聞いてくれ。急いで用意した食事で、小細工の入りそうにないものを選んで持ち込んだ。不満もあるだろうが、我慢してくれ。」


いえいえ、我慢だなんて。イーリスの好物ばかりですよ、閣下。現に、本人は大喜びだ。

で、扉が再び閉じられる。そこでバルナパス少将が、語り始めた。


「よし……昨日の夜から起こった、全てのことを貴官らに話す。」


バルナパス少将が語った真実、それは極めて衝撃的な事実であった。


やはり、ヴォルフ中佐は連盟に内通していたらしい。

ヴォルフ中佐の自宅から、連盟バンドの無線機が発見された。それ以外にも、新たな事実が判明する。

捕まった連盟のパイロットの言っていた「6人目」の工作員とは、ヴォルフ中佐のことであると判明する。本人の写真を見て、そのパイロットはあっさりと自供した。

だが、どういうことだ?ヴォルフ中佐はれっきとした地球アース187出身の、司令部付きの幕僚。当然、連盟から来た人物ではない。

それがどうして、連盟の工作員などになっているんだ?おかしくないか?

これについてはまだ調査中としながらも、どうやら中佐は、連盟側の工作員の接触を受け、丸め込まれたらしい。

その背景にあるのは、どうやらゴットリープ大佐の出世らしい。


この時知ったことだが、あの2人は同僚で、いずれも軍大学でトップクラスの成績。ところがゴットリープ大佐が先に昇進し、その配下となったことが、ヴォルフ中佐を狂わせた。

どうやらこの司令部内には、さらにもう1人の内通者がいて、事情を知ったその内通者がヴォルフ中佐を誘ったということまでが、今朝までに分かったことだと言う。

多分、連盟軍の大佐にでもしてもらう条件で、連盟側につくことになったのではないか?というのが、バルナパス少将の話だった。


そして「僕」があの時、火災報知器を作動させた理由が分かった。

なんとあの部屋には、爆発物が仕掛けられていたそうだ。タイマーがセットされていて、ヴォルフ中佐が現れた2分後に爆破されるようになっていた。

が、基盤むき出しだったその爆発物は、スプリンクラーの水を受けて動作を停止。間一髪、事なきを得たとのことだ。

どうやらイーリスだけを連れ出して、僕を待たせるつもりだったらしい。そうなれば、僕は部屋ごと吹き飛ばされていた。

つまり僕は1日の内に、2度死にかけたことになる。で、ヴォルフ中佐はその爆発の混乱に乗じてイーリスを連れて連盟の船に合流、そのまま近くの連盟の星に行くことになっていたという。


「……ということだ。今、分かっているのは、これくらいだ。ともかく、敵はあの呪術のことを嗅ぎつけてしまった。なんらかの手を打つ必要があるな。」

「で、でも、なんだって呪術のことを……」

「数か月前の一個艦隊同士の会戦で、貴官が7隻を沈めたことがあっただろう。あの時の一隻だけ異常に強い艦のことを調べている内に、この司令部にたどり着いたようだ。そして中佐を介して、イーリス殿の力のことを知った。そんなところだろう。」


なんと、あの時の無茶な勝利が今回の事件の引き金だったのか。確かに、あの戦闘は無双すぎた。5隻で狙い撃ちしたら、逆にその5隻が短時間のうちに沈められた。敵にしてみれば、その理由を探りたくなるだろう。


それにしても、僕にとってショックだったのは、イーリスのことが連盟に知られてしまったことだ。

てことは、この先もイーリスは連盟につけ狙われることになるんじゃないか?

あの戦闘での勝利は、あの時点では「最良」の結果だと思っていたが、少々やり過ぎた。どちらかといえば、我々夫婦にとって悪い結果を生み出すことになってしまった。


まあ、そこまで先のことは、さすがの精霊も読めなかっただろう。僕だって、こんな未来が待っているとは思わなかった。


「で、あのヴォルフとかいう男はどうなるんだ!?」


ボリボリとポテトを食べながら、イーリスが尋ねる。バルナパス少将が応える。


「しばらくは取り調べが続くが、どう考えても極刑だ。まったく、幕僚でありながら敵に内通するなど、しかも身内を売り渡そうとするなど言語道断だ。この司令部にいるもう1人の内通者を割り出したら、そのあとはすぐに刑を執行するつもりだ。」


冷静さを保っているが、内心は相当お怒り状態のバルナパス少将。そりゃそうだろうな。さすがの僕も、怒り心頭だ。あの時徹底的に殴りつけておいて、正解だった。


が、事件はまだ終わらない。


「少将閣下!敵の船が見つかりました!」

「何!?本当か!どこにいるんだ!」

「それが、民間船を装って、この宇宙港に停泊中です!」

「なんだと!?なんという大胆な……直ちに取り抑えろ!」

「はっ!すでに陸戦隊100名がその船に急行しております!」

「分かった!私が指揮を執る!絶対にその船を逃がすな!」


なんと敵はあろうことか、民間船を装ってこの宇宙港に堂々と侵入していた。

だが、すでに陸戦隊が向かっているという。同時に、哨戒機隊にも出動がかかった。

これでこの事件も一件落着。そう思っていた。


が、この事件は、そう簡単にはおさまらなかった。

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