第31話 迂直の計
ええーっ!?ちょ……このタイミングで、発動するか!?
僕はまた、いつものように自分の後ろに立っている。
まだカーリン中尉と話している最中だというのに、どうしてこんな時に精霊が発動したのだろうか。もうちょっとだけ、待てなかったのだろうか?
当然、僕は異常行動を開始する。黙って突然立ち上がり、食堂を出る。
「ちょ、ちょっと!どうしたのよ!」
カーリン中尉も、おかしいと感じたようだ。そりゃそうだろうな。いきなり話を打ち切り、彼女を無視して歩き始める僕。
ごめんね、カーリン中尉。事情は後で話すから、今はちょっとだけ、放っておいてちょうだい。
そのままエレベーターに乗り込む僕。気になるカーリン中尉も乗り込んできた。だが、明らかにいつもと違う僕に、カーリン中尉は黙ってついてくる。カーリン中尉が、こんな僕を見るのは2度目だ。だからおそらく、何が起きたのかは薄々は気づいているようだ。
現にカーリン中尉は、僕の後ろを見る。一瞬、背後にいる僕と目が合う。だが、あちらからはこっちの僕が見えていないようだ。
エレベーターは最上階に到着する。艦橋に向かって、すたすたと歩く僕。その後ろをついていくカーリン中尉。そして、背後霊となった僕もその後ろをついていく。
艦橋に入る僕。そのまま、まっすぐ艦長席に向かう。
「あ、艦長様、お早いお帰りで……」
セラフィーナさんが出迎える。だが、彼女を無視して、僕は席に座るや、通信士に向かって叫ぶ。
「通信士!」
「はっ!」
「戦艦サン・ティエンヌの司令部に暗号通信!」
戦艦サン・ティエンヌとは、我が
「はっ!どのような電文を?」
「『ランドルフ少佐より意見具申、迂を以って直となす』、以上だ!」
「はぁ?う、迂を以って……直となす、でありますか?」
「そうだ。それでバルナパス少将には伝わる!」
ええ~っ!?ちょっと待て。それを言った本人が、何のことかまったく分かんないぞ!バルナパス少将から質問されたら、どう応えればいいんだよ!
その直後、僕は僕に戻る。ああ、やっぱりね……ここで、戻されるんだ。まったく、精霊よ、頼むから最後まで責任持って欲しいものだ。
電文を送って数分後、バルナパス少将から返信が来る。
「戦艦サン・ティエンヌより電文!」
来た。あのわけの分からない電文に、困っているんじゃないだろうか?
「『これよりランドルフ少佐の意見具申に従い、作戦行動に出る!作戦名は【迂直の計】!』、以上です!」
……あれ、通じたよ。少将閣下は、あんなわけの分からないメッセージの意味が分かったんだ。
「司令部よりさらに通信!『全艦、取舵120度!』、以上です!」
取舵120度って……ちょうど目の前にいる敵に背中を見せることになるんだけど、いいのかな。
しかもそっちの方向は、連盟側の勢力圏に入ることになる。敵に背を見せながら、敵の勢力下に飛び込む。これって、どう考えても自殺行為じゃないか?
だが、僕の、いや精霊の意見を聞き入れて、バルパナス少将が下した決定だ。逆らうわけにはいかない。
「取舵120度!」
「取舵120度!ヨーソロー!」
エックハルト大尉が復唱する。窓の外を見ると、他の艦も一斉に回頭を始めていた。
その頃、敵は800万キロ離れた場所に待機している。さっきから前進しては後退していた敵艦隊だが、ここに来て急におかしな行動を取り始める我々に、戸惑っている頃ではなかろうか?
だが、敵艦隊はその宙域から動かない。どうなっているんだ?てっきり、背中を見せた我々を追尾してくるものと思っていたが、敵はその場をまったく動かない。
それはそれで不可解だな。敵にとっては、我々の背後を突く絶好のチャンス。なのに、全く追いかけてくる気配がない。妙なものだ。
あまりにおかしな行動をとる我々に、何かを感じているのだろうか?ともかく、我々は前進を続ける。
敵艦隊との距離は、1200万キロまで開く。敵は相変わらず動かない。我々は敵に背後を見せたまま、前進を続ける。もう30分ほど、そんな状態が続いている。
ところで、さっき少将閣下が打電してきた作戦名「迂直の計」ってなんだ?僕はそっと、スマホに入っている事典で調べてみた。
迂直の計。
その一節とは、「迂を以って直となし、患を以って利となす」。つまり、戦場を迂回しつつも、その先に新たな戦場を設定する。そして、弱みを強みに変える。そういう意味の一節のようだ。
もっとも、その兵法書にはもっとも難しい戦術の例として述べている。戦場に出遅れて、敵に先手を取られた時には、自らの置かれた状況をひっくり返す発想をせよと言っているのだが、そんなに甘くはないとも説かれている。
なるほど、分からん。精霊よ、つまりどういうことだ?迂回して、その先に戦場を設定する?敵が誘いにのってくればそれも可能だが、敵は全く動かないぞ。
バルナパス少将も、この一節のことを知っていたのだろう。だからこそ、すぐさま作戦行動に出た。しかし少将閣下よ、この先、どうされるおつもりか?
まったく状況が理解できないまま、さらに10分が経過する。そばにいたカーリン中尉が、僕にそっと耳打ちする。
「ちょっと、あんた、どうするつもりよ!」
「そ、そんなこと言われても、しょうがないだろう!僕が言い出したことじゃないんだから!」
「何言ってんのよ!みんなはそう思ってないわよ!もう敵の勢力下に入り込んじゃったし、おまけに後ろには敵がいるし、いくら戦術に疎い私でも、ヤバイ状況だってすぐに分かるわよ!どうするのよ、これ!私を生きて返すんじゃなかったの!?」
うう……そんなこと言われても、僕だって誰かに聞きたいよ。だが、無責任な精霊の妙な意見具申のおかげで、もう引き返せないところまで来てしまった。
それに輪をかけるように、司令部からさらにおかしな通信が届く。
「艦隊司令部より打電!『全艦、ワープ準備!』」
「……は?ワープ!?」
「はい!すぐ前方にワームホール帯があります!」
「司令部よりさらに追伸!『全艦、砲撃戦用意!ワープアウト先は……』」
艦橋にあるモニターに、ワープ先の場所が映し出される。
その瞬間、僕はこの艦隊行動の意味を、ようやく理解した。
「全艦、戦闘配備!砲撃管制室、砲撃戦、用意!」
『りょ、了解!砲撃管制、砲撃戦用意!』
「短距離レーダー起動!」
「了解!短距離レーダー、起動!」
「ワープアウト後に、直ちに戦闘を開始する!ワープ直後に、操艦権を速やかに砲撃管制に移行!」
「航海科、了解!」
「ワープまで、あと2分!」
もはや、船外服を着ている余裕はない。だが、そのあたりまで考慮した上での精霊の行動だろう。
船外服など、要らない。我々は、絶対に負けない。
「ワームホール帯、突入!ワープ!」
ついに我々の艦隊はワープに入る。星の見えない、真っ暗な空間へと入る。
が、すぐに通常空間へと飛び出した。
このブラックホール宙域は、無数のワームホール帯が存在する。
その中には、この宙域内でつながるワームホール帯もあるようだ。
今回飛び込んだのは、そんな宙域内で閉じたワームホール帯の一つだった。
その出口は、なんとあの敵艦隊後方、20万キロの地点だ。
「司令部より下令!『全艦、砲撃開始!』」
「操艦権を移行!砲撃科、砲撃開始!撃ちーかた始め!」
『了解、主砲装填!撃ちーかた始め!』
キィーンという主砲の装填音が、艦橋内にも鳴り響く。
レーダーには、20万キロ先の敵艦隊が捉えられていた。
『主砲、発射!』
ガガーンというけたたましい轟音とともに、主砲が発射される。ほぼ同時に、300隻の艦隊は一斉に砲撃を開始する。
不意を突かれた敵艦隊は、背後に現れた我々に気づいて反転を開始する。が、最初の一撃でかなりの数が沈んだ。
なにせ、不意に背後を取られてしまった。まさか我々の艦隊が、こんなところに出現するとは想定していなかった。
それにしても、よくこのワームホール帯の存在を知っていたな、バルナパス少将は。
偶然にも敵艦隊があそこにいたからできた作戦だ。もし敵が前進していたら、この手は使えなかった。にしても、どうして敵艦隊は背後を向ける我々を追って、前進しなかったのだろうか?それはそれで、気になる。
「砲撃を続けろ!敵艦隊を追い込むぞ!」
敵も反転を終えて、ようやく反撃に転じた。だが、今回の艦隊は
練度の高い
だが、ここで敵は、大きな失態を犯す。同時に、敵がどうして前進しなかったかの理由も明らかになる。
「て、敵艦隊が突然、爆発しました!」
突然、敵艦隊の内部で大爆発が起こる。それも、尋常ではない数だ。
「爆発、さらに連鎖中!」
光学観測が不可能なほど、真っ白な爆発による光の球が光り続ける。一体、何が起きているんだ?
爆発は数分間持続する。しばらくすると、光がようやくおさまる。レーダーサイトには、もはや敵の艦隊がいない。
「れ、レーダーに感なし……敵艦隊、消滅……」
これまで、数百隻単位の戦闘というものを何度か経験しているが、敵艦隊を全滅に追い込むなど、経験したことはない。
いや、この宇宙での長い連合、連盟の戦いの歴史の中でも、ほとんど聞いたことがない話だ。30パーセント殲滅すれば大勝利と言われる宇宙戦闘で、これほどの戦果はもはや異例中の異例だ。
その後、司令部より戦闘の報告があった。
味方の損害は0。小破が2隻、15名死亡という程度で済んだ。一方で、敵艦隊で生き残ったのはわずか2、3隻。まさに、完全勝利である。
そして、あの光の球の正体は、敵艦隊が仕掛けた宇宙機雷だった。
敵は機雷原の前で前後して、我々を誘っていた。どうやら我々をその機雷原に誘い込むのが目的だったようだ。だから敵は、接近しては離脱を繰り返していた。何度かそれを繰り返すうちに、罠の存在にバルナパス少将は薄々気づいていたらしい。
とはいえ、打つ手があるわけでもなし。かと言って、我々の領域に入り込んだ敵を野放しにできない。攻めあぐねているところに、私の意見具申が飛び込んでくる。それを受けて、少将閣下は周辺のワームホール帯の情報を調べさせたらしい。
すると、データベース内にちょうどあの敵艦隊の後ろにつながるワームホール帯を見つけたそうだ。
そこで突然、敵に背を向ける行動に転じる。敵は機雷原を前にして、我々が再び反転するのを待っていたようだ。だが、そんな敵の思惑とは異なり、我々は突然、敵の背後に現れた。
そこで敵は反転、迎撃に転じるが、我々に追い込まれて後退する。その結果、自分自身の仕掛けた罠に飛び込んでしまう……
まさに、宇宙戦闘における「迂直の計」だ。我々は迂回しつつ、有利な戦場を引き寄せた。
もっとも、これはたまたま都合のいいワームホール帯があったからできた作戦だ。毎回こんなにうまくいくわけでもない。
それに、トドメを刺したのは我々の主砲ではなく、敵の仕掛けた罠そのものだった。なんだかとても、勝った気がしない。
一つ間違えたら、我々があの機雷原に飛び込んでいたかもしれないのだ。まさに、紙一重の勝利。指揮官があの有能なバルナパス少将でなければ、一体どうなっていたことか……
前回の偵察隊排除に続く大勝利。いずれも、精霊のもたらしたもの。しかし、今回も偶然の要素が高い。
だが、これで敵が侵攻を思いとどまってくれれば……そう願わざるを得ない。
「あーあ、今回も生き残っちゃった。」
帰路についた我が艦の中で、ぼやくカーリン中尉。
「なんだ、そんなに嫌なのか、ピエリックさんに謝ることが?」
「まあ、喧嘩した直後だったらまだ良かったけどね。さすがに喧嘩してからもう3日も経ってるから、不安なのよねぇ……」
確かに、あまり間をおくのは良くないな。その気持ちは、分からないでもない。
「だけど、今のこの状況は、あんたの中の精霊が『最良』と判断した結果なんでしょう?」
「そうだな。その通りだ。」
「だったら今、私が今、思っている通りに動くのが、きっと最良の結果をもたらすはずなんだよね。」
「だろうな。」
「そうよね……わけわかんないうちにこの艦隊も思わぬ勝利も得たわけだし、こんなところでうじうじするより、前に向かって行動しろってことなのよね、きっと。」
「まあ、きっとイーリスがいたら、そう言うだろうな。」
「あんたに言われるとしゃくだけど、イーリスちゃんが言ったとなれば、素直に受け取れそうね。分かったわよ。私、彼とちゃんと向き合ってみるわよ。でも、こればっかりは『迂直の計』とはいかないわね。こればかりは迂回せずに、まっすぐに飛び込むことにするわよ。」
勝利に喜ぶでもなく、この艦長にタメ口を叩く主計長は、食事をとりながらあと1日後に到着する王都で自分のとる行動に不安を抱えつつも、少しでも前向きになろうとしていた。
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