第29話 引越し

そういえば、せっかく少佐に昇進したのに、僕ら夫婦はずっとあの高層アパートの17階で暮らし続けていた。

が、訓練も一段落、戦闘にも勝利した。これを機に、思い切って引っ越すことになった。

佐官以上には、戸建てが割り当てられる。場所も、宇宙港に近い。便利さこの上ない住居だ。もっとも、何か起こったら真っ先に駈けつけろということなのだが。

防衛艦隊の駆逐艦艦長ともなれば、有事に備えなければならない。いつまでも尉官気分で過ごすなと、つい先日、バルナパス少将にも怒られたところだ。

というわけで、今日はその引越しの日だ。


元々、持ち物は少ない。僕はほとんどスマホの中に収まるものしか持っていない。他はせいぜい服や日用品くらいのものだ。イーリスだって、趣味といえば食べること。さほど荷物は……


多いな……特に服が。なんだ、この服の量は。

あちこちの収納スペースから出てくる、イーリスの服。


「イーリスって、こんなに服を持ってたのか?」

「持ってるぞ。いつも着替えているではないか。気づかなかったか?」


うーん、そう言われてみればしょっちゅう服が変わっていたな。でも、こんなにたくさん持っていたとは気づかなかった。


「にしても、どうしてこんなにたくさんの服を持ってるんだ?」

「ああ、カーリンやノーラ、それにレーナと出かけるたびに勧められるのだ。あれが似合う、これが可愛いと。」

「いや、そうだけど、その度に毎回買って、どうするつもりだったの?」

「その方が、ランドルフを惹きつけると言われたのだ。妻として、買わぬわけにはいかないだろうが!」


いや、もう夫婦なんだし、服で僕の気を惹く必要はないだろうに。


「それだけではないぞ!ほれ、下着もこんなにある!『勝負パンツ』という、男の気を惹く魔術のこもった下着もたくさん勧められたぞ!」


ああ、そういえばそんなものを着ていたっけ。暗がりの中、しかも脱がせるまでのわずかな時間しか目にしないので、気にしたことはなかったが。でもイーリスよ、一体どうして、僕の気を惹くものばかり買っているんだ?


などと考えながら、僕はアパートの玄関に向かう。そろそろ、引越し業者が来る頃だ。

が、扉を開けると、その向こうにいたのはセラフィーナさんだった。


「あれ!?ランドルフ艦長様!?」


……なんだ?どうして彼女がここに?もしかして、僕に用事があって来たのか?だが僕はセラフィーナさんに住所を教えていない。どうしてここにいるんだ?


「セラフィーナさん、なんでここに?」

「いえ、私の新しい住まいがここだと言われたもので、来たんですよ。なんでも、今日ここが空くからと。」


いや、確かに空くけどさ。こんな朝早くから来られても、まだ空いていない。


「……つまり、ここがセラフィーナさんの新しい住まいということ?」

「はい、そうです!でもまさかランドルフ艦長様のお住まいだったとは……」

「そういえば、今まではどこで暮らしてたの?」

「貧民街です。」

「ええ~っ!?貧民街!?」

「そうですよ。で、ようやくこのアパートに空きが出るから、引越せると言われて来たんです。」


なんとセラフィーナさん、今まで貧民街から司令部まで通ってたんだ。あそこまでは、車でも10分はかかる。この宇宙港の街に入ればバスが使えるが、その外は徒歩で向かうしかない。元王族なのに、なんと不憫な生活をしていたのか。

もっとも、貧民街と言っても、最近は随分と綺麗になっている。狭いながらもアパートが建てられて、多くがそこで暮らしていると聞く。

風呂とトイレは共同だが、今どきの綺麗な部屋らしい。とはいえ、この街の奥にあるあの司令部まで通うには遠い場所。よくまあ今まで、そんな環境に耐えていたものだ。


「なんだ、ここにセラフィーナ様が暮らすのか。」

「あー!イーリス!なんでここにいるのよ!」

「まだここは私のうちだ。悪いか。」


そりゃあ僕の妻なんだから、僕がいるってことは、イーリスがいて当たり前だと思うんだが、何を言っているんだこの元王族は?


「ところで、艦長様はいずこへ行かれるんですか?」

「ああ、宇宙港の側にある、佐官以上向けの戸建に移ることになったんだ。」

「えっ!?宇宙港側の家と言えば、この王都の人々の間で新貴族の街と呼ばれているところじゃないですか!そのような場所に移られるとは、さすがはランドルフ艦長様ですね!」


なんかこう、元王族に素直に喜ばれると、ちょっと気がひける。新貴族なんて呼び名があることを初めて知った。でも、本来ならセラフィーナさんの方がずっといい暮らしをしてたかもしれないんだよな。まあ、それはイーリスも一緒か。


しかし、運命の巡り合わせというものは残酷なもので、この星に来たばかりの頃は上司からパワハラを受けていた僕が、今や新貴族などと言われるほどの身分となった。一方で、その頃は奴隷市場で売られていたイーリスが、あれよあれよという間に「新貴族」の妻だ。一方で、王族でありながら、そのために抹殺されそうな立場となりつつも、なんとか奴隷身分に身を置くことなく、しぶとく生き抜いたセラフィーナさんは、ようやくこの官舎替わりのアパートに住めるようになった。人生、何が幸いとなるか分からないものだな。


と、そこにようやく引越し業者がやって来た。業者によって、次々に運び出される荷物。圧倒的に、イーリスの物が多い。


「そういえば、セラフィーナさんの荷物はどうやって運ぶの?」

「えっ!?私はこれだけですよ。」


そう言って、大きなカバンを見せてくれた。

ああ、そうか。そういえば彼女、王族だからといって特になにかを持っているわけではないんだよな。最低限の荷物が詰まったカバンだけを抱えて、ここにやって来た。生活が充実すれば、これからもっといろいろなものがこの部屋にも増えていくのだろう。


「おい、セラフィーナ様よ。後は頼んだぞ。」

「分かってるわよ!任せなさい!」


セラフィーナさんとなんだかよく分からない引き継ぎをして、我々はいよいよ新居へと向かう。

宇宙で組み立てられ、地上に下されたばかりの2階建ての戸建てに到着する僕ら夫婦。玄関の鍵を開けて、中に入る。


「狭い屋敷だが、綺麗でいいところだな。」


イーリスが昔住んでいた屋敷と比べたら狭いのは当然だが、今まで住んでいたアパートよりははるかに広い家。興味津々なイーリスは、早速2階に上がる。


「おい!部屋が3つもあるぞ!どうするんだ、これ!?」


どうするも何も、元々この家は子供がいることが前提の家だ。


「どうと言われても、子供らの部屋として作られているからな、この2階の部屋は。」


それを聞いたイーリスは、僕に抱きついてくる。


「そうか、やはりそろそろ、子作りに励まねばならぬな!」

「ちょ、ちょっと、イーリス!」


イーリスのこのセリフを聞いた引越し業者の人達はドン引きしている。いや、夫婦なのだから子作りするのは当たり前ではあるのだが、これほどあからさまに堂々と宣言されると反応に困るだろう。

で、業者の人達はイーリスの言葉を聞かなかったことにして、黙々と引越し作業を進める。家具を2階に上げ、冷蔵庫や調理ロボットを取り付け、大量の服を次々にタンスに収納していく。

その際にイーリスの持つたくさんの「勝負パンツ」を見てしまった業者の一人の心は、きっと穏やかではなかったであろう。ともかく、引越し作業は夕方には終了する。

そして、この広い戸建に、2人だけが取り残された。


「おい!ランドルフ!」


黄昏時の淡い夕日の差し込む2階の部屋のベッドの前で、急に叫ぶイーリス。


「な、なに!?」


さっきの子作り発言もある。僕は思わず、ドキドキする。まさかイーリスのやつ、これからベッドで……


「夕食を食いに行くぞ!」

「……は?」

「なんだ。私はなにか、おかしなことを言ったか?この引越しの前に、冷蔵庫はすっからかんにしてしまったから、この家には食うものがない。外に出ねば、我々は飢えてしまうぞ。」

「は、はあ……」


残念なような、ほっとしたような。ともかく、今はイーリスの食欲を満たさねばならない。

外に出る2人。行き先は、いつものショッピングモールだ。

だが、高層アパートに住んでいた時と比べて、ショッピングモールが遠くなってしまった。

そういえばこの家には駐車場がある。そろそろ、車を買うか。買い物の時には便利だ。

そんなことを考えながら、歩いてショッピングモールに向かう僕ら夫婦。


「おい、ランドルフよ。」

「なに、どうしたの?」

「いや……ちょっと、呼びたくなっただけだ。」


夫婦になって、もう3年近く経つ。だが、イーリスは未だに僕に甘えてくる。このときの表情は、そういう時に見せるものだった。

だから僕は、イーリスの手を握る。


「……今日は、何を食べようか?」

「そうだな、たまにはピザにするか。」

「おい、夕食だぞ!もっとまともな食事にしないか!?」

「うーん、そう言っても、なんだか引越しで疲れちゃって……手軽なものがいいな。」

「そうか。では、ピザにするか。ついでに、ケーキも頼もう。」

「はあ!?ピザにケーキ!?」

「なんだ、ピザは譲ったのだ、ならば、私のいうことも一つくらい聞き入れても良いではないか!?」


食い物に妥協しないのは、3年ほど前に出会った時から変わらない。これを食べるといいだしたら聞かないのがイーリスだ。

結局、ピザとケーキという高カロリーでアンバランスな夕食を食べる羽目になってしまった。

そんな食事から、僕らの新しい生活が始まった。


ところで、新しい家の風呂が広い。2人で入るには、ちょうどいい大きさだ。その日も家に帰るや否や、一緒に入る。

というか、まだ2人で入るのか?これもこの3年ほど、変わらない習慣だ。この甘えん坊な呪術師シャーマンと、僕は一生ずっと彼女と一緒に、風呂に入り続けることになるのだろうか?

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