第17話 死者への手向け
僕の意識は、ちょうどイーリスの後ろにいた。
なんだ、何が起こるんだ?ごく平凡な同郷の娘達が顔を揃えたその場所で、なぜ精霊が発動するんだ!?
だが、こうなっては僕にはどうすることもできない。僕はただ、僕を見守るしかない。
きっと何かが、起きるはずだ。
が、先に動いたのは、僕ではなくノーラさんだった。
何か手に持っている。それは、包丁だ。それを握りしめたまま、イーリスめがけて突進してくる。
だが、その包丁を持った手を僕が掴み、手首をひねる。手首を抑えられた上に、包丁を落とすノーラさん。
ここまで、ほぼ一瞬の出来事。まるでスローモーションのように見えた僕にとっては、それは長い時間の出来事のようだが、周りはまだ、何が起きたのか把握していない。
だが、包丁が地面に落ちたあたりから、皆の顔色が変わる。もっとも、この段階でイーリスはほとんど顔色を変えていない。
そこで、僕は僕に戻る。まだ、ノーラさんの手を握っていた。
ノーラさんは、言う。
「……くそっ! 精霊の宿主を、変えたのか!?」
僕が、精霊によって動かされたことが分かったようだ。イーリスをにらみながら、叫ぶノーラさん。
「おい、ノーラ! お前、なんてことを……」
ツェーザル少佐が、青ざめた顔で口を開く。するとノーラさんは応える。
「ツェーザル様! こいつはイリジアス王国を滅ぼした張本人なんですよ!」
ああ、どうやらパウラさんの時と同じ話だな。あれのさらに激しいバージョンだ。僕は手首を抑えたまま、ノーラさんに尋ねる。
「あの、国王陛下が先に民によって殺されたって話は、知っているのか?」
「知っている! 私はイリジアス王国のクレーブルク公爵家出身の長女、ノーラだ! あの事件のことは、当然知っている!」
公爵家!? てことは、イーリスと同格の家柄?こいつはとんでもない人物が現れた。
ということは、パウラさんと違い、陛下が精霊によって「死」を選択されたことを知った上で、イーリスへの恨みを晴らそうとしていたことになる。
「私の公爵家は一族もろとも殺されて、私と妹だけが奴隷商に売られた! だが、一緒に生き残った妹とは別れ別れになってしまい、私だけになってしまったのよ!」
「そんなことを言われても、私にはあの時、どうすることもできなかった。第一、私自身も一族を殺され、私だけが生き残った」
「そんなものは自業自得だ! だが、その場にいた
「いや、それはできない。一度発動した精霊は、
「そんなことはない! そんなこと、あってたまるものか!」
「そなたがなんと思おうと、これは事実だ。私自身、陛下の振る舞いを、ただ後ろで見ている他なかったのだ」
僕は手首を離す。その場で、泣き崩れるノーラさん。イーリスに向かって、叫び出す。
「じゃあ、誰を恨めばいいのよ! 誰にこの怒りと悲しみをぶつければいいの!? こんなもの抱えたまま、生きてなんかいられないわよ!」
「それは私とて同じ。いや、ここのいるパウラもライナも、同じだ」
「あんた達はそれでいいかもしれないけど、私は嫌なのよ! 目の前で、父親の首が斬り飛ばされるところを見ているのよ!」
「あ、それは私も同じだから」
「私もだよ」
「私もだ」
「……そんな光景見てて、なんであんたらは平気でいられるのよ!」
うわぁ……セントバリ王国軍って、そんな残酷なことをしていたんだ。いくら民を顧みなかった貴族だからって、娘の前で肉親の首を掻っ切るとか……やはり、文化レベル2の星での戦争は、凄惨で悲惨だ。
そんなノーラさんに向かって、イーリスは言う。
「我々はいずれ、歳を取り、そして死ぬ。その場で殺された父上や母上、それに兄弟とは、いつか
「私はイリジアス王国を滅ぼしたやつを殺し、私も死んでそいつの首を、その
「バカか、そなたは」
「ば、バカとは何よ!」
「私を殺していたら、そなたは地獄行きだ。
それを聞いて、ノーラさんは黙り込んだ。戦さで敗れ死んだものは、その死をもって罪を償われ、
「そなたの気持ちはわからんでもないが、私は別のものを
「なによ、別のものって!」
「この先を、死んでいった者達の分まで幸せになる。それを、遠い未来で出会う親兄弟らに聞かせる。そのことが、私は死者への最高の手向けだと思っている」
「な、なんですって!?」
「そなたがもし私を殺し、遠い将来、仮に
それを聞いたノーラさんは、泣き出してしまう。
「うわーん! そんなのいやだよーっ!」
あまりに大きな声で泣くものだから、周囲の住宅から見られている。
だがイーリスは、ノーラさんが落とした包丁を拾い上げ、なんとそれをノーラさんに手渡した。
「何を泣く必要があるか。まだそなたは、何もしとらんではないか。私はこうして無事だし、そなたはまだ引き返せる。ともかく、これは返す。こやつはもう、精霊を発動することができぬ。その上で、これからの行動を選べ」
包丁を握るノーラさん。そして、そのまま立ち上がる。
だが、もはやイーリスを刺そうとはしない。
「あ……あのね、今日来てくれる同胞のみんなのために、お料理作ったの! 是非食べていってちょうだい!」
急に態度が変わったぞ。さっきまでイーリスに殺意丸出しだったのが嘘のようだ。普通の明るい奥さんに変わった。
「あー、そうなの……じゃあ、せっかくだし、いただこうかな?」
「わ、私はハーロルト様がよろしければ……」
「当然、いただこう! どんな料理なのか!?」
「あのね、タラ料理なのよ!」
「ぐぇ! タラだと!?」
「わぁ、私、タラ、大好き!」
「バターってやつを使って調理するとね、とても美味しいのよ! イリジアス王国で食べたタラ料理とは、わけが違うわよ!」
「そ、そうなのか……ならば、いただこうか」
包丁でイーリスを襲ったことは、なかったことにされている。ツェーザル少佐を欺くためか、それとも本当は迎えるつもりで、イーリスを見た途端に感情が暴発したのか。わからない。だが、そんなものを作ってくれていたんだな。
「そうだ、ランドルフ」
「なんだい?」
「
「ええーっ!? ここで!?」
「また危険な目にあうやもしれんぞ! こういうのは、すぐにしておくものだ! では、行くぞ!」
いや、たった今、危機は去ったでしょうが。だが、イーリスは止まらない。
「いや、ちょっと、イーリス!」
「デア シュピリッチ……アイザ ルガゼット マヌ エラ……」
いつもの呪文を唱え始めた。そしてそのまま、私の頬を両手で押さえて、キスをする。
この儀式がどういうものか、すでに知っている人達の前だからまだいい。だが、ここは外だ。しかもさっき、あれだけの騒ぎを起こした後だ。間違いなく、他の佐官の家族からは見られていることだろうな。
まあともかく、これで一件落着、なのかな?このまま何事もなく、過ぎて欲しい。
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