第5話 任務
「じゃあ、行ってくる。帰りは4日後になるけど、それまで一人で大丈夫?」
「大丈夫だ。この3日間、昼間を乗り越えてきた」
「帰ったら、すぐにこの部屋に直行するから! じゃあ、行ってくる!」
イーリスがうちに来て10日。こっちでの生活を覚え、買い物も、スマホの操作も、そして家電の使い方も覚えてきた。
だが、相変わらずお風呂は一緒に入りたがる。しかし、この4日間はそういうわけにはいかない。
駆逐艦7767号艦に乗って、12光年先にあるブラックホール宙域のパトロール任務に就くためだ。このため、4日間は宇宙に出ることになる。
最近、連盟軍の動きが妙に活発になってきた。何か仕掛けてくるのかもしれない。そうなったら、4日では帰れない。
頼むから、僕の任務時には、妙な動きをしないでくれ。
まだ、こっちの生活に慣れていない妻を抱えているんだ。一人寂しい生活を、4日以上も過ごさせるのは忍びない。
そう思いながら、僕は宇宙港に急ぐ。
そして、駆逐艦7767号艦に乗り込んだ。
「はぁ~っ!」
食堂で一人、ため息をつく。そこに現れたのは、同僚で航空科のハーロルト中尉だ。
「なんだぁ? 上官殴って、7日間も奴隷とイチャイチャしてた奴が、何をお悩みなんだ!?」
僕の話は、すっかり有名になっていた。奴隷を妻にしたことも、彼女をかばって砲撃長と大喧嘩したこともだ。あの一件で、奴隷市場に行ったこともすっかりバレてしまった。
「それを言わないでくれ。僕にとって、あまり思い出したくはないことなんだから」
「いいじゃねえか、別に。それに、その一件のおかげで、あのパワハラ上司をクビにできたんだ。今はまともな砲撃長に変わって、言うことなしじゃないか」
「……まるで僕が砲撃長をクビにしたみたいにいうなよ。イーリスを目の前で蹴られたら、カッとなって当然だ」
「でもその奥さん、奴隷市場で買ってきたばかりだったんだろう? なんだってお前みたいな気弱な奴が急に、あの『沼』の街に行こうと思ったのかねぇ?」
その会話に、割り込んできた人物がいた。主計科のカーリン少尉だ。
「ほんっっとですよ! よりによって、奴隷市場で女を買うなんて! 何考えてるんですか!?」
この女士官、とにかくきつい物言いをすることで有名だ。僕はあまり得意ではないタイプ。
だが、よりによって、この一件で彼女の標的になってしまった。
「いや……無論、今でも最低だと思ってるよ。パワハラに押しつぶされそうになって、あの時は確かにやけになっていたのは事実だし、とんでもないところに行ってしまったんだと後悔しているよ」
「思ってるだけなんて、誰でもできるわよ! でも、買ったんでしょう!? しかも今も、部屋に閉じ込めたまま! 女の敵よ! 悪魔よ! まったく、その娘が可哀想だわ」
「そうなんだよ、この4日間、一人にしなきゃいけないんだ。心配で心配で……」
「は? あんたといる方が、心配でしょう!どう考えてもあんた、その奴隷の娘に好き放題やってるんじゃないの!?」
「うん、そうだな、あの謹慎中の7日間、一緒にパンケーキ食べに行ったり、食材を買いに行ったり、スマホの使い方を教えたりして、本当に僕にとっても充実した日々だった」
「なにそれ? そんなことが幸せなの!?」
「そりゃあ、異国から連れてこられて、しかも檻の中にいた彼女がだよ、外に出られて、不自由なく暮らせる。見たこともない食べ物を食べたり、新しいことを知ったり、僕らにとっての当たり前でも、楽しくて仕方がないみたいだよ。そんな姿を見ていると、僕まで楽しくなるんだ」
「……いや、あんたが楽しんでるだけじゃないかって聞いてるの!」
「そりゃあ、イーリスが喜ぶ顔を見るのは楽しいよ。だんだんと表情が明るくなってきたんだ。それが嬉しくてね」
「なによそれ!? それじゃあまるで、その奴隷が幸せになったのを望んでいるみたいじゃないの!」
「いや、もちろん望んでるよ。そうだ、カーリン少尉、一度イーリスに会ってみない?そういえば、女友達も作ってあげなきゃって思ってたんだ。ずーっと僕としか接してないからね」
「わ、分かったわよ! 会ってあげようじゃないの! まったく、てっきり女奴隷を不幸にしてるかと思ったら、幸せにしてるだなんて、なんて男なの!?」
ぷりぷりしながら、食堂の入り口に向かうカーリン少尉。それにしても、妙な罵られ方だなぁ。その少尉は、入り口に設置されているタッチパネル式のメニュー表を叩くように注文している。皆が使う機械に八つ当たりは、よくないなぁ。
「なんだ、今の話、本当か? それなら俺も奴隷、買ってみようかな。」
「いやあ、僕の場合は運が良かっただけだと思うよ。みんながみんな、そういう奴隷ばかりじゃないと思う。それにもう、二度とあそこには行きたくないよ……あんな背徳感のある場所なんて、足を踏み入れるもんじゃないよ、本当に」
「そうか?私は良かったと思ってるよ」
そこに別の男が現れた。そう、彼こそが奴隷市場の存在を教えてくれた人物、航海科のエックハルト中尉だ。
「エックハルト、そういやあお前んとこの奴隷はどうなんだ!?」
「いやあ、もう奴隷じゃないよ。パウラとは上手くやってるよ。確かに最初は怖がられたけど、美味しいものを食べに行ったり、可愛い服を着せたりしてあげたら、だんだんと心を開いてくれてさ。私も、この4日間が耐えられないよ。早く帰ってあげたい。」
「なんでえ、みんないい思いしかしてねえじゃねえか!」
「だけどさ、私の場合、最初はパウラを逃がしてやろうとしたんだよ。」
「は?なんだそれ?なんで奴隷を買っておいて、そんなことするんだよ!」
「奴隷市場のこと聞いた時に、一人でも開放してあげなきゃって思ってさ、それであの店に乗り込んだんだ。ところがパウラを買って、手枷や首輪を外して逃げてもいいといっても、逃げないんだ。それどころか何か食べさせて欲しいと懇願されたんだよ。彼女は解放されたところで、どこにも身寄りがない。北方の国の出身で、戦さで家族は皆殺しにされたそうなんだ。だから、解放したくてもできなかった。」
「あー……僕も同じだ。罪悪感が半端ないから、途中で僕もイーリスに、自由に逃げてもいいよって言ったんだけど、やっぱり行き場がなくて、引き取るしかなかったんだ。」
「あそこは、結局帰るところのない人ばかりが売られているんだ。国が滅んでいたり、親に売られたり……すぐ近くに家があるけど、親元に帰ったところでまた売られてしまうと言って、帰りたがらない奴隷もいるという話も聞いたよ。」
ああ、彼も同じだったんだ。てっきり奴隷を買った話をしていたから、下心から買ったのだとばかり思っていた。むしろ、解放が目的だったんだ。
それに比べて、僕はどちらかというと憂さ晴らしというか、下心から足を踏み入れた方だ。とてもエックハルト中尉の志には及ばない。
だが、僕のところも、エックハルト中尉のところの元奴隷も、その後は順調に生活できている。こういう救済法もあるのだなと、そう思った。
しかし、イーリスは他の奴隷とは違う。まるで最初から、僕に巡り会うことが決まっていたようなことを言っている。おまけに、彼女は
こんな奴隷、他にいないだろう。ものすごい偶然で、僕はイーリスに出会えた。
いや、やっぱり彼女のいうように、最初から定められた運命だったのか?
そんなことを考えながら、僕は砲撃管制室にいた。
砲撃科は2交代で、5人のうち、2人づつが砲撃管制室に入る。今は砲撃手である僕と、バリア担当が座っている。戦闘時でない限り、砲撃長はいない。この砲撃管制室は、戦闘時には5人になる。砲撃手は2人、それぞれの役目は、一人が照準、もう一人が発砲だ。
戦闘時には、艦の操縦系がこの砲撃管制室に移行される。その操縦系を使い、敵を狙う。
目標は砲撃長が指示する。レーダー上に付けられたID番号を砲撃長が指定するので、それを狙い、砲撃する。
僕は砲撃役だ。照準役は、同僚のゲラルト中尉がする。
バリア担当は、先輩のカールハインツ大尉だ。さらにレーダー係がもう1人就く。
「いやあ、あの砲撃長がクビになって良かったよ。今度の砲撃長はまともだ。お前も俺も、毎回殴られたり蹴られたりしたからな。よくやったよ、お前は!」
「いや、だから、僕がクビにしたわけじゃないんですって。あれは僕の妻が蹴飛ばされたから……」
「奴隷妻だろう?もう仲良しでべったりだって、艦内じゃ有名だぜ!」
「あ、あはは、もうそんな話になってるんですね……べったりなのは認めますけどね。でも彼女はもう自由なんだし、奴隷ではないですよ。それよりも、この4日間が寂しくないか、心配で……」
「本当にべったりだなあ。いいなあ、俺にもそういう彼女、欲しいなぁ」
こりゃあ、この人もいつか奴隷市場に足を踏み入れそうだな。いいのかな、こんな話が広がってしまって。なんだかとても、いけないことをしているような感じがする。
「さてと、もうすぐワープだ。ブラックホール宙域に入るぞ」
「連盟の奴らも、何か仕掛けて来なきゃいいですけどね。何事もなく終わって、早く帰りたいですよ」
「そればっかりは敵次第だ。レーダーから目を離すな!」
「了解!」
もうすぐワームホール帯に突入する。その先は、ブラックホールが居座る宙域。
砲撃用レーダーには、今は長距離レーダーの画面が映っている。
『ワープまで、あと10秒!9、8、7……』
カウントダウンが始まった。いよいよ、敵味方が混在する、紛争宙域に入る。緊張が走る。
『2、1、ワープ!』
外を映すモニターに目をやる。一瞬暗くなり、すぐに明るい場所に出た。
遠くに、小さな黒い点が見える。光すらも吸収し、一度吸い込んだものを2度と外に逃さない宇宙の落とし穴、ブラックホールだ。
ここにあるブラックホールは、シュバルツシルト半径が50キロ。これでも、太陽の数百倍以上の大きな天体が寿命を迎えたなれの果てである。
このブラックホールができる前の超新星爆発により、多量のワームホール帯が形成された。ここが宇宙の交差点となってしまった所以である。
だが、レーダーには、そんなブラックホールよりももっと物騒なものが映っていた。
なんだ、これは?長距離レーダーの端に、方形の塊が映る。
直後、緊迫した艦内放送が流れる。
『敵艦隊発見! 数、およそ1万! 距離、2000万キロ! 接触予定時刻、8時間後!』
敵の一個艦隊が、このブラックホール宙域に現れた。明らかに、
この瞬間、僕は4日で帰れないことが、確定してしまった。
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