第4話 新生活

 すっかり暗くなった街を歩き、宿舎である高層アパートに帰る。イーリスにとっては、初めての場所だ。

 僕は20階建てのこのアパートの17階に住んでいる。エレベーターで登り、17階に着く。

部屋に入り、明かりをつける。するとイーリスが尋ねる。


「まるで、昼間のようだ。どうしてこんなに、明るい?」


 明かりをまじまじと見つめるイーリス。そういえば、ショッピングモールでもそうだった。この街の明かりが、不思議でたまらないらしい。


「ああ、ライトだよ。電気の力でつけているんだ。」

「デンキ……?」

「ほら、他にもこう言うのもある。」


 僕はテレビをつける。ただの黒い四角い額縁のようなものから、突然動く絵が見えたため、驚くイーリス。


主人あるじの部屋はすごい!こんな魔術、見たことがない!」

「いや、魔術ではないよ。科学といったほうがいいかな。」


 今日買ってきた服や日用品を取り出す。それに、服や下着を……ちょっとためらいながらも、タンスの空きスペースに片付けていく。


 その間、イーリスはベランダから外を眺めている。ここは17階、街を一望できる場所。ほぼ真っ暗だが、この宇宙港の街は明かりがところどころ点いており、ちょっとした夜景が見える。そのベランダの下の夜景が、珍しくて仕方がないらしい。

 おまけに、すぐそばを大きな民間船が通り抜けていく。交易が始まったばかりだが、大型の民間船が出入りすることが増えてきた。まるで山のように大きなその船が通り過ぎるのを、唖然とした顔で見上げるイーリス。


 にしても、身体のあちこちが痛いな……結構殴られたからな、あの砲撃長に。いや、もう砲撃長ではないな、あの男は。僕はこの痛みと引き換えに、パワハラ上官とおさらばできた。怪我の功名というやつか。


 さて、ようやく部屋も片付き、あとは風呂に入って寝るだけ……と、ここに至って、2つの重大な問題に気がついた。


 一つは、風呂だ。そういえばイーリスって、ここの風呂の使い方がわかるのか?いや、多分分からないだろう。

 もう一つは、寝る場所だ。ベッドが一つしかない。他に寝る場所がない。このままでは、彼女と共に寝るしかない。


 ショッピングモールでは日用品のことばかり揃えることに気を取られていて、そんな簡単なことに気づかなかった。そういえば、2人いれば、2人分の寝床がいるんだった。

 いや、その前に風呂だ。一応、イーリスに風呂のことを聞いてみる。


「あの、イーリス。風呂の入り方って、分かるかい?」

「フロ? なんだ、それは?」


 ああ、やっぱり知らない。仕方がないので、風呂場に連れていく。


「これがシャワー。ここをひねると、お湯が出るんだ。まず、このボディーソープを使って体を洗って……」


一通り説明するが、口だけではよく分からないと言う。


「分からない。主人あるじよ。一緒に入ろう。教えて欲しい」

「ええーっ!?い、一緒に入る!?」

「2人は夫婦だ、問題ない」

「いや、そうだけど……」

「なんだ、主人あるじは、私のこの身体が、嫌いか?」

「いや、そんなことないよ。むしろ、魅力的すぎて困るくらいで……」

「なら、問題ない」


 たどたどしい発音ながら、ずばずばと話すこの元奴隷。


「い、いや、確かにそうだけども……本当にいいの?」

主人あるじは私の裸体を見て心満たされ、私はお風呂場で綺麗になる。両者共、いいことづくめ。何も問題はない」


 などと尤もらしい正論を返してきたので、結局一緒に風呂に入ることになった。


 とりあえず、裸同士で向き合って、身体を洗うことになった。なんというか、ものすごいシチュエーションだ。

 僕はタオルを取りお湯で濡らして、ボディーソープをつける。イーリスもそれを真似て、ボディーソープをつける。それで身体を洗おうとした時、イーリスが口を開く。


「おい、主人あるじ。」

「なななななんですか!?」

「……やはり、ひどく殴られたな」


 よく見ると、僕の身体のあちこちにアザができている。砲撃長に暴行された痕だ。


「いやあ、こんなの大したことな……いててて!」


 タオルで擦り付けると、やはりしみる。


「やはり、痛いか?」

「まあ、しょうがないよ。ゆっくり洗うしかないな」


 ボディーソープをつけて、タオルでゆっくりとこする。その様子をじーっと見るイーリス。


「こう言う感じで、身体をこするんだよ……いてて……」

「そうか。こうやるのか」


 それを見て、見よう見まねで体を洗い始めるイーリス。そんなイーリスに、どうしても目がいってしまう。こんなに近くにいて、見るなと言うのが無理な話だ。

 それにしても、白く透き通るような綺麗な身体をしている。胸のあたりは小さめだが、それがいい。まるで真っ白な美女の裸体の彫刻が動いているようだ。思わずその身体のラインに、見とれてしまう。

 そこで急に、イーリスが叫ぶ。


「問題が起きた!」

「えっ!? 問題!?」

「背中は、どうやって洗うのだ!?」


 手を背中に回して一生懸命、タオルを背中に当てようとしているが、手が届かず苦戦している。

 おかげで、胸のあたりが丸出しだ。これはこれでいい光景だが……いかんいかん!


「ちょっと、貸してごらん。ほら、背中を洗ってあげるよ」

「うむ、すまない、主人あるじ


 少し痩せた、真っ白な肌の背中が私に向けられる。後ろの身体のラインも、これはこれで、興奮してしまう。


 さて、なんとか煩悩と格闘しながらも、平静さを保ちつつ背中を洗う。そのあとに、シャワーでお互いの身体を洗い流す。

で、同様に髪の毛も洗い。2人揃って、風呂に入る。

 狭い風呂だ。元々ここは、1人用のお風呂。そこに2人で入っている。

 とても気恥ずかしい。でも、イーリスは特に恥ずかしがることもなく、黙って湯船に浸かっている。


 身体中、傷口がしみるが、もうそんな痛みは、この際どうでもいい。目の前にあるこの光景に、私の神経のほとんどが費やされていて、痛みも感じられなくなって来た。

 ほどほどにあったまったところで風呂から上がり、着替えをする。イーリスは買ってきたばかりの寝間着を着て、リビングの方に向かう。

 こうして僕は、無事に一つ目の「入浴ミッション」を、完遂した。


「そうだ。主人あるじよ」


そういえば、さっきからイーリスは、僕のことを主人あるじという。ちょっと気になるな。もう奴隷じゃないんだから、名前で呼んでもらおう。


「あの、イーリスさん。そろそろ主人あるじではなく、名前のランドルフで呼んでくれていいよ。僕もイーリスって呼ぶから」

「では、ランドルフ。一つ忘れていたことがあった。」

「えっ!? なに!?」

「あのまじないは、一回発動すると無効化する。だからもう一度、まじないをかけ直さなくてはならない」

「そ、そうなの?」

「だから、今から、まじないをかける」

「あの……まじないって一度かけたら、何か起きるまで何日くらい有効なものなの?」

「何かが起きるまではずっと有効だ。ではランドルフ、まじないをするぞ」


 というので、僕はまた彼女の前に立つ。


「デア シュピリッチ……アイザ ルガゼット マヌ エラ……」


 そう唱えると、彼女はまた、キスをする。

なんだかうっとりとした顔で、僕を見つめながら顔を離すイーリス。


「……これで、大丈夫。ランドルフ、次の危機からも、守られる」

「あの、イーリス……これって、毎回キスするものなの?」

「キス、ではなく、口移し。私の魂に宿る精霊を、口移しで受け渡しているんだ」

「えっ!? てことは、イーリスの命削ってるとか、そんなことはない!?」

「大丈夫、役目を終えたら、精霊は私に、帰ってくる。命を削ってるわけでは、ない」


 良かった。彼女の寿命と引き換えに、なんて言われたら、さすがに躊躇してしまう。


「さてと、イーリス。これから寝るんだけど……困ったことがある」

「なんだ?」

「ベッドが、一つしかないんだ」


 そう言って、寝室のベッドを指差す。


「どこが、問題だ?」

「いやあ……見知ったばかりの男女が、いきなり一緒のベッドというのは……」

「私は、構わない。寝よう」

「あ! ちょっと、イーリス!?」


 ズカズカとベッドに行くと、布団の上に寝転がるイーリス。その隣を、ポンポンと叩く。


「私は、ランドルフのもの。一緒に寝よう」


 そう言って誘うイーリス。私は、なんとなくそーっと横に入り、イーリスの方を見た。

僕のすぐ横で、虚ろな目でこっちを見ながら、微笑みかけてくる。そして……すぐに、寝てしまった。


 スースー寝息を立てて寝るイーリス。今までどういうところで寝てきたのかは分からないが、きっとこんな柔らかな寝床ではなかったのだろう。

 しかも、布団が心地よ過ぎる上に、今日はいろいろとあった。一気に疲れが出たようだ。

 時々神秘的なことを話し出す呪術師シャーマンだが、こうしてみると、やはり20歳そこそこの娘だ。寝顔はとても可愛らしい。

 さて、僕も寝よう。布団をかけて、この呪術師シャーマンの寝顔を見ながら、眠りについた。


 そして、翌朝。


 僕は目を覚ます。横にイーリスは、いない。あれ? まさか逃げた? と一瞬思ったが、彼女は隣のリビングにいた。

 そこで、調理ロボットがせっせと朝食を作っている様子をじーっと見ていた。


「おい! 朝からここで、腕だけの妙なモノが、ゴハン作ってるぞ!」


 そうか、こんなものを見るのは初めてなのだろう。僕は言った。


「これは調理をしてくれるロボットというものだよ。もうすぐ朝食ができるから、待ってて」


 やがてその調理ロボットは、焼いた目玉焼きやベーコン、それにトーストを並べ始めた。

だが、ここでも一つ、重大なことに気がついた。

 そうだ、このロボットに一人分の朝食しかセットしていなかった。

 おかげで、そこに並んだのは、一人分のトーストと、一人分の目玉焼き。

 あちゃー……やらかした。この部屋は、何もかもが一人用のままだった。


「これ、先に食べてて! もう一人分作らせるから!」

「奴隷の私が、ランドルフより先に食べられない。ランドルフが、食べるんだ」

「いや、イーリスが……」

「いや、ランドルフが……」


 結局、トーストと目玉焼きを半分に切って、一人分を半々で食べることにした。


「もう一人分ができたら、また半々にして食べよう」

「分かった。じゃあ、食べよう」


 半分のトーストに、半分の目玉焼き。そんな朝食が、妙に微笑ましい。

 ああ、なんだか知らないけど、一人じゃないっていいなあ。イーリスの方を見ると、彼女もこちらを見て微笑んでくれる。目玉焼きとトーストが、美味しいらしい。


 それにしても、この一件で気づいたことがある。


 そうだ、食材をたくさん買わないといけない。この先、2人分が必要だ。

 イーリスって、何が好みなんだろう?そういうことも聞かなきゃいけない。

 それに、彼女用のスマホと電子マネーもいる。最低でもこの2つがないと、この街ではやっていけない。教えることも多い。


 案外、この7日間は大忙しだな。ついでに、ベッドも2人用の大きいやつにしたいし、イーリスに家電やスマホの使い方、それに買い物の仕方など、いろいろ教えてあげないといけない。

 そして、イーリスと一緒に、カフェでパンケーキでも食べに行きたいなぁ。

 こんな具合に元奴隷、いや、呪術師シャーマンとの微笑ましくも異様な日常生活が始まった。

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