6

俺は弱くない。それを証明するために菅谷がいる。証明しなくてもそれは紛れもない事実であることはわかっていが、形ある何かで確認しておきたかった。

教壇の前に彼を立たせてその頭上から黒板消しを叩いて粉を振り下ろす。

「ちょっと、これは酷いな。汚れが、、、」

 上半身が白い粉まみれになりながらもやはり笑い続ける。もしかしたら、こいつは何かの病気を持っているのかさえ思う。

「じゃあ綺麗にしてやるよ」

 そう言って、置いてあったトイレで汲んでおいた水が入っているバケツを手に取って彼に勢いよくぶっかけた。彼自身とその周りが水浸しになる。

 その光景をいつものように教室は静まり返っていた。そしてクラスメイトはそんな俺を止めるわけでもなく黙って沈黙し見つめている。

 俺自身はこんなヘラヘラして頭のおかしい奴をこういう目に合わせることは何と思っていないが、社会一般的にはこれをいじめと言って悪いことのようだ。でも、それならば誰かこの中で一人でも止めに入ってもいいじゃないか。それがないということはこのクラス全体が俺という存在に恐れをなして言えないということじゃないか。

 優越感。

「どうしよう。ビショビショだよ」

 笑っているが少し困った顔をしている。菅谷を見下ろして、もっと困らせてやりたいという欲求に襲われる。

 俺は教壇を降りて菅谷の机に向かって歩いていき置いてあった鞄を取ってくる。

「これは必要だからもらっておくとして」

 鞄を物色して財布を抜き取って中身の札束だけ取り出してポケットに入れる。

「あ、そんなに。困るなあ」

 構わず鞄を物色し続ける。

「これはいらない。これも、、」

 教室の窓を開ける。冬の冷たい風が吹きこんでくる。そこから弁当箱、筆箱などを投げ捨てる。

「ああ、参ったなあ」

 後ろから彼の声が聞こえる。

 捨てていく中で一つのノートを見つける。

「ルーツノート。何だこれ?」

「それは僕が生まれたルーツを探ろうと思って記録しているノートだよ」

「ルーツ?」

「そう」

 やはりこいつは頭がおかしい。こんなノートなど聞いたことがない。

「ふと浮かんできたこととか、感じたこととか、起こった出来事。それを掛け合わせると僕が生まれたルーツがわかるんだよ」

「はあ? で、それを知ってどうするんだよ」

「僕の生まれた意味を知る」

 生まれた意味。その言葉は突き刺さるものがあった。

「ちなみに聞いてやるけど、お前が生まれた意味は何だよ」

「僕はみんなを笑顔にするために生まれてきたんだ」

 みんなを笑顔にするために生まれてきた。

 それはどういう意味かは理解できなかった。だが、その言葉を発したときの彼はどこか説得力があって、カッコよくて羨ましかった。

「何だよそれ。くだらない」

 その時、急に俺がわからなくなった。どうして俺はこんなことしているんだろう。急に幽体離脱したように自分の身体を遠くから俯瞰して見ている感覚に襲われる。

「そうだね。くだらないかもね」

 肯定されたのに腹が立った。見下されて馬鹿にされた気分になった。

「じゃあさ、お前はどうしてこんなくだらないかもしれないことをしているんだよ」

「え? 趣味かな?」

 やはりこいつは頭がおかしいんだ。まともに耳を傾けて言葉に影響させられることはない。こいつの利用価値はストレス解消と優越感を満たすためだけの存在。自分に言い聞かす。

「くだらないモノやっているんじゃねえよ!!」

 より遠くへ。そのノートを窓から投げた。二度とその不愉快なノートが見つからないようにという思いを込めた。

「おい。席につけ」

 と、チャイムより早く担任が教室へ入ってくる。

 俺は菅谷に空になった鞄を渡して席へ着く。

「ちょっとホームルーム前に聞いておかないといけないことがある。今日、ある教員の机に置いてあった学期末テストで使われるはずだった問題用紙とその回答がなくなった」

 クラスメイトがざわつく。

「しかも、そのなくなったのが高校二年生の問題用紙だけだそうだ」

 そう言って、教師は俺の方を見つめる。

「誰かここのあたりはないか?」

 疑われている。すぐに察した。そんなことやっていない。

「おい! 俺がやったっていうのかよ!」

 焦った俺は吠える。

「黒木は知らないか」

 担任は完全に俺だと思っている。

「知らねえよ!」

「普段の態度と学校を休んでばかりいる。そこから言って、疑われても仕方ないと思うけどな」

 やっぱりだ。周囲を見渡す。担任どころか、このクラス全体が俺がやったと疑いもないことを察した。

「だから、知らないって!」

 だが、それを証明できるものもいなければ、証明してくれる人もいない。急に自分の学校での立ち位置が気づかされた気分になった。

 やはりここは俺の居場所じゃない。

「お前じゃないんだな? 黒木」

 もう答えなかった。これで退学になっても仕方ないと思った。こんな理不尽でつまらないところなんてこっちから辞めてやる。

「ふざけんな!」

 自分の机を蹴って立ち上がり教室を出た。

「おい黒木!」

 教室を出てもどこへ行っていいかわからなかった。とりあえず学校を出て土井たちと遊ぶしかないかと考えたが、あの日以来あいつらとは連絡を取っていない。そうすると誰もいないじゃないか。誰もいない。

 急に襲ってきた孤独。それに今にも押しつぶされそうだった。

 気持ちを紛らわすように近くにあったゴミ箱を蹴り上げ、ゴミが廊下に散らばった。

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