恋の芽生え

「え、えー! ひょっとしてあのときの女の子!」

彼はびっくりしていた。ユカリは、彼が忘れていることに少しいらだった。

(もー、忘れるなんて。あたしがこんなに会いたい、会いたいって思っていたのに——。ぷんぷん! でも赤い糸、いや赤い風船を渡してたからきっと会えたんだね! 永森神社の女神様、ありがとう!)

ユカリは、そんな本心を隠しながら彼に言った。

「ふう、やっと思い出してくれたのねー」

「ほんと、また会えるなんて」

「夏休みはね、おばあちゃんの家に泊まることがあるのよ」

「随分、背も伸びたね」

「そう? これでもクラスの中くらいの身長かな。もう子どもっぽく見られないですむかな?」

ユカリは、「どう、今度は大人に見えるでしょ」と、少し誘惑めいたポーズを彼に見せて、彼の反応を楽しみにした。

「うん、随分、女の子っぽくなったよ」


カッチーン!

ユカリは、「女っぽく」でなく、「女の子っぽく」と言われ、ショックを受けた。

「あーー、『女の子』って言ったー。まだあたしのこと、子どもって思っているんだ!」

「ごめん、ごめん」

「そしてあいからず、適当に謝ればごまかせるって思っているんだねー」

ユカリは、「あたしのこと忘れるなんて……」と内心、いらだちを感じながら、彼を斜め目線で見た。

(でもいいか……会えたんだから)

ユカリはニコッと笑った。それから彼は、絵に気づいたらしく、ふっと話しかけてくる。

「ねえ、何を描いているの?」

「夏休みの宿題で、風景を描いているの」

「俺もその絵、見てみたいな」

ユカリは絵のあるところに戻って、絵をヒロトに見せた。

「へえー、きれいに描けているじゃん!」

「えへへ」

「いい風景みつけたね。ここの風景、俺、好きなんだ」

「そうよね、この風景いいよね。なんだか心も和んでくるし……」


ユカリは、夕方になって日差しも弱くなったので、かぶっていた麦わら帽子を取った。

——そのとき、さわやかな風が吹いてきて、ユカリの髪が頬にかすかに当たり、ユカリは髪をそっと手で脇によせた。

いい風……ん?

ユカリは視線を感じ、ヒロトの方を向いてみた。するとヒロトが、じーっとこちらを見ている。

「うん、どうしたの?」

「え、いやー。確か以前、中学一年と言ってたよね。今、中学三年だろ。受験はいいのか?」

「私ね、美術コースの学校に行きたいから」

「なるほどね、それで絵を描いていたんだね。それにしてもよく描けているね」

「えへへ、褒(ほ)めてくれてありがと」

「ところで、えーっと……そういえば君の名前、しらなかったっけ?」

ユカリは思った。

(そういえば……、あたしの名前、言っていなかったなあ)

「天宮(あまみや)由加里(ゆかり)、ユカリって呼んでね」

「俺は、早川寛斗(はやかわひろと)」

ヒロトの表情が優しく穏やかになる。ヒロトは年上だ。しかし、ヒロトの優しそうな表情がユカリにとって、かわいく見えた。

そして思わず、妙なことを口走ってしまった。

「クス、じゃあ、ヒロトって呼んであげるね!」

「ヒロト? それに呼んであげるって。まるで上から目線じゃん。俺は三つも年上だよ。先輩だぜ。せめてヒロトさんって呼んでくれよ」

「はい、はい、わかりました。ヒロト」

「ぷっ」

ユカリは、思わず笑いだした。ヒロトもユカリにつられてしまい、笑ってしまう。それから少し、二人の間は、静寂に包まれた。


——ユカリは、考えている。

(ヒロトとまた会えたのは嬉しい。でも今日、このまま別れるのも……どうすれば……そうだ!)

そこでユカリは、今、思いついたことを、思い切ってヒロトに話すことにした。たださすがに、それを話すのは勇気がいる。ユカリは心臓が今までにないくらいドキドキしていた。

「あたしね、八月二十九日までおばあちゃんの家にいてね。それまで絵を描きにここに来るの……」

「そうなんだ」

「ところでね、風景だけだと少し寂しいかなって思っていてね。人も描いた方がいいかなって思っていたところなの。それでね……男性のモデルを絵に入れたいなあって思って……」

ユカリの声が次第に小さくなる。

「ヒロトってさ、長身でスタイルいいでしょ。モデルにちょうどいいかなって……」

ヒロトがこちらをじーっと見ている。ユカリは心臓が飛び出そうなくらい、緊張していた。

(やっぱ、だめかな……)

ユカリがもじもじしていた。すると……

「じゃあ、俺がそのモデルやってみるよ!」

「え、いいの? ほんと助かる! 嬉しいな」


こうしてユカリは、ヒロトをモデルにして絵を描くことになった。絵を描きはじめた頃は、ヒロトがずーっとユカリを見つめているポーズだったので、さすがにお互いに照れていた。

「ヒ、ヒロト。あんまし、じーっと見ないでよ! 恥ずかしいじゃない……」

「ユカリがこういうポーズをしてって言ったんじゃないか!」

「いーだ!」

言い訳になっていないユカリのしぐさを見て、ヒロトはほほ笑んだ。ユカリは、絵を描きながら思っていた。

(ヒロトは、イメチェンしたあたしを見てどう思ったかな? 今日はピンクの服を着ているけど、どう感じたのかな? こういうことにヒロトは鈍感そうで、言葉に「かわいいよ」と出すタイプではなさそう。でも本当は、彼から「似合うね」って言ってくれたらやはり嬉(うれ)しいな……)

ユカリは、いかにも女子学生が考えそうなことを思っていた。

(でも、ヒロトにモデルを頼んでいるからこそ、しっかり描かないと。ヒロトがせっかくモデルを三週間引き受けてくれたんだ。真剣に描いてヒロトを喜ばせよう……)


澄んだユカリの目が、ヒロトと風景をじーっと見つめて、絵を描く。そして絵を描き続けるたびに、ユカリのヒロトへの想(おも)いは次第に大きくなっていった。


(やっぱり、あたし、ヒロトが大好き!)

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