時間よ、止まれ

ヒロトが絵のモデルをはじめてから二十日が経とうとしていた。

今日はユカリと会う約束の日。今、ヒロトは永森神社に着いたところだ。

(ふうー、十五時三十分か。少し早かったかな)

ヒロトは、約束の十六時より早く着いたので、礼拝殿の近くにあるベンチに座って、約束の時間までゆっくりくつろぐことにした。

「ユカリと会えるのもあと少しか……」

ヒロトがベンチに座って数分後、急にヒロトの両目が誰かの手で塞(ふさ)がれた。そしてすぐ後ろから、少女の声が聞こえた。

「だーれーだ!」

ヒロトは急に両目を塞がれたので一瞬びっくりしたが、すぐにユカリの仕業(しわざ)と気づいた。

「お、おい。止めろ、こら! 何も見えないじゃないか! ユカリ!」

「あはは、びっくりした? ヒロト」

「あははじゃないよ、ユカリ」

ヒロトは大笑いしているユカリを見ながら、頭をかいていた。

ん?

ヒロトがユカリを見ると、ユカリはスケッチをいくつか持っていた。

「あれ? ユカリ。今日はたくさんスケッチを持ってきてるね」

「あ、これね。今日はね、今まで中学で描いたスケッチ持ってきたの。ヒロトに見てもらおうかなーって思って……」

「へえ、見たいなあ」


するとユカリは、ヒロトの左隣にひょこんと座ってきた。

「えへへ。実は、美術部の人以外にはめったに見せないんだあ」

ユカリの右腕がヒロトの左腕にぴったりくっつくほど、ユカリはヒロトのすぐ近くまで寄ってきた。ユカリが描いていたのは風景がほとんどだ。

「へえー、いろんな風景を描いているんだ」

ヒロトは、ユカリの描いた絵を一枚一枚じっくり見た。ユカリは一枚一枚の絵に込めた風景の想いをヒロトに説明した。

「あたしね、画家になりたいの。こんな時代に画家になるなんて、もちろん現実性がないことはわかっているけど……でも、絵を描くのがとても好きなんだ……」

二人はその日、絵を描くことは止めて、ずっとベンチに座ってユカリの絵を見ていた。


こうして時間は夕方の五時三十分になる。しばらくヒロトは、ステッチを一人で眺めていたためか、ユカリは沈黙し、隣で静かに座っている。

(ユカリ、急に静かになったな)

しばらく静かにしているユカリの方を振り向くと、なんとこっくりこっくり眠っていた。

「なんだ、ユカリ、眠っていたのか。そういえばさっき、最後の仕上げで昨日、眠っていないって言っていたっけな」

ヒロトは、ユカリが起きるのを待つことにした。するとユカリの顔が、ヒロトの左肩に寄りかかってきた。ヒロトは、ユカリの顔が、間近に接近していることに少しどきっとする。

「しょうがない、どくわけにもいかないし、このままでいるか……」

ユカリの小さな顔は、ヒロトの腕に完全に寄りかかっていた。

(このままずっと時間が止まってくれたら……)

ヒロトは、とても幸福な気持ちになっていた。

(ユカリは、俺のこと、どう思っているのかな……)


ヒロトが少し肩を動かし、楽な姿勢をすると、ユカリが目を覚ました。

「うーん、あれ? あたし眠っていたんだ……」

ユカリは、ヒロトに寄りかかって寝ていた現実を知り、顔を少し赤くして、ヒロトの肩から慌てて離れた。

「ああー、ヒロト。あたしが眠っている間、変なことしなかった?」

「す、するわけねーだろ!」

「ほんと?」

「ほんとだ。なんでおまえなんかと」

「あやしーなあ、まあいいか。あ! もうこんな時間!」



——こうして残りの日々も過ぎていった。そして最終日になり、絵がちょうど完成した。

「よし、完成! ギリギリ間に合ったよ!」

「よかったな、絵が完成して……」

「本当にありがとうね、ヒロト。でも……なんだかムリを言っちゃったかな?」

少し目がとろんとしたユカリを見て、ヒロトは言った。

「そんなことないよ! 俺、とても楽しかったよ」

「ほんと!」

ユカリは笑顔で答えた。

「待って、ヒロト。えっと……お礼に……」

「ん?」

ユカリは最初、少しもじもじしていたが、「えいっ」とヒロトに何かを渡してきた。それは永森神社のお守(まも)り、絵馬(えま)だ。その絵馬には「ヒロトがハッピーになりますように。ありがとう、ヒロト」と大きく書かれてあった。

ヒロトは、ユカリと会うときだけ救われた気持ちになる。本当はヒロトが、ユカリに感謝したいくらいだった。

ヒロトは、学校や家族のさまざまなトラブルに、気持ちがすっかりめいっていた。ユカリの絵のモデルをしているときが、ヒロトにとって唯一の安らぎでもあった。そんなヒロトに絵馬までプレゼントされ、ヒロトにとって、これ以上ない嬉(うれ)しさであったのだ。

ヒロトは感動し、ユカリの手を思わずぎゅっと握った。

「ユカリ! ありがとう! 俺、この絵馬、ずっと大事にするよ!」

——ん?

ヒロトは、ユカリが顔を赤くしていることに気づく。ヒロトはユカリの手を両手で握っていることを知り、慌てて手を放した。

「ご、ごめん……」

するとユカリは、ふだんの強気の口調に戻った。

「な、なに、手を強く握るんだよ! まったく……! 今、いやらしいこと考えてたでしょ!」

ユカリは顔を赤くし、腕組みした得意のポーズで、ヒロトを横目で軽蔑(けいべつ)するように見ていた。ヒロトもその姿を見て、言い訳がましいことを言い出した。

「なに、言ってんだよ。俺はガキに興味はないの!」

「ああー、また子ども扱いしたー。やはり、今もあたしのこと、子どもだと思っていたのね! それにあたしたち、三つしか違わないじゃないの! このスケベ! 変態!」

「変態はねえだろ!」

「えへへ……じゃあ、スケベは認めるんだ。ヒロトのドスケベ!」

「ドスケベだけは勘弁してくれよー」

ヒロトは、ユカリのペースに乗せられてしまった。こうなるとヒロトは、ユカリにはかなわない。

「いいわ、もう許してあ・げ・る」

ユカリは笑みを浮かべていた。

「なんだか、最初に会ったときのこと、思い出すね」

「あー、俺たち変わらないなあ」

「でも、いいんじゃない。ヒロトはヒロトなんだから……」


 ——ユカリはヒロトをじーっと見つめ続けている。そんなユカリを見て、ヒロトは照れながら言った。

「な、なんだよ。……ん?」

ヒロトは、ユカリのバッグにぶら下がっていた絵馬に気づいた。ヒロトは、その絵馬を見て質問した。

「あれ? ユカリ。もう一つ、絵馬を持っていたんだね」

「この前の行事で、祈願したときにヒロトの分と一緒にもらったんだ。この神社はね、祈願した人にも、お願いすれば絵馬をもう一つ、くれることがあるんだよ!」

「そうか、地元の俺でさえ知らなかったな。じゃあ、そっちの絵馬にも、何かお願い事したんだろ。何て書いたんだ? 見せてよ」

ヒロトが、ユカリのバッグについている絵馬に触れようとしたら、ユカリが急に恥ずかしがった。

「だ、だめー、こっちは絶対見ちゃだめ!」

「なんだよ。そんなに見られたくないから、そんな目立つ場所にぶら下げておくなよ」

「でもぶら下げたいの!」

「ったく、わかんないやつだなあ」

「べー!」

ユカリは目をつぶって舌を出した。


「ところでさ、ユカリ。山口の両親のところにもう帰るんだろ……」

「うん、だから……」

再びユカリは、笑みを浮かべながら、ヒロトをじーっと見つめていた。

(ここは思い切って言ってみるか……)

ヒロトはドキドキしていた。

「あ、あのさ、ユカリ」

「なあに、ヒロト」

「いや、なんでもない」

そんなヒロトの行動を見て、ユカリは思った。

(もうー!)

ユカリはじれったいとばかり、一瞬怒った顔をしたが、すぐにニコッと笑って言いだした。

「えへへ、ヒロト。実は、あたしとまた会いたいなーって、今、思っていたでしょ!」

(図星だ……。俺の気持ちを知っていて言っている……)

相変わらず、ヒロトは顔に出ていた。しかしヒロトは、本心がばれないようにユカリに反論した。

「別に……そんなこと思ってねえよ」

ユカリは、ヒロトの気持ちが、顔の表情からなんとなくわかっていた。そんなヒロトが年上なのにかわいく見えた。

(でも、ヒロトから直接、会いたいって言ってくれたらやっぱり嬉(うれ)しいな……)

そこでユカリは、ヒロトに気のないふりをして、わざといじわるするかのように言った。

「あ、そう。じゃあこれで、バイバイね」


ヒロトは焦った。

「いや、それも……」

(もう! ほんとにじれったい男だ!)

ユカリはメモをヒロトに渡し、最後にヒロトに言った。

「そこにあたしの携帯電話番号とメルアドが書いてあるよん」

(え……)

「じゃあね、ヒロト、連絡ちょうだいね!」

ユカリはたったと走り去っていった。

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