二人の時間

ヒロトは思い出した。

ヒロトの前に現れた少女は、二年前にこの永森神社で出会った女の子だった。

「え、えー! ひょっとして、あのときの女の子!」

二年前、彼女は背が低く、随分幼い顔をしていた。しかし今では背が伸びて、かわいくなっていた。少女は、少しあきれるような表情をしている。


「ふう、やっと思い出してくれたのねー」

ヒロトは答えた。

「ほんと、また会えるなんて」

「夏休みはね、おばあちゃんの家に泊まることがあるのよ」

「ずいぶん、背も伸びたようだね」

「そう? 今ではクラスで中くらいの身長かな。もうこれで、子どもっぽく見られなくてすむかな?」


少女は、「どう、これで少しはきれいになった?」と言わんばかりのしぐさをして、ヒロトに話しかけてきた。ヒロトには、そんな少女のしぐさが、逆に滑稽(こっけい)に見えてしまった。

「うん、だいぶ、女の子っぽくなったよ」

ヒロトは褒(ほ)め言葉として、「女の子っぽく」と言ったつもりだった。しかし少女には、褒(ほ)め言葉には聞こえず、むしろネガティブに捉(とら)えてしまった。

「あー、『女の子』って言ったー。まだあたしのこと、子どもって思っているんだー」

ヒロトは再び、少女に叱られた。見た目は変わっても急に切れて、自分のペースに巻き込む性格は変わらぬままのようだ。

(なんだよー。まだ二年前のこと、根にもってんのかよ……)

女心は複雑とは言ったものだが、俺にはこの少女がよくわからねえ。ま、とにかく謝ればいいか。

「ごめん、ごめん」

ヒロトは謝った。

「ふーん、あいかわらず適当に謝ればごまかせるって思っているんだねー」

少女は、軽蔑(けいべつ)のまなざしで見るような斜め目線をヒロトに向けた。

(げ! しまったあ。また、このパターンかよー)

ヒロトはあたふたした。少女はヒロトの慌てる姿を見て、くすっと笑った。

その笑顔を見て、ヒロトもほっとし、にこっと笑う。

(でも、こうして笑えたのも久しぶりか……)

ヒロトはふっと、少女が描いていた絵を思い出した。

「ねえ、ところで何を描いていたの?」

「夏休みの宿題で、風景を描いているのよ」

「へえー、風景画かあ。俺もその絵、見てみたいな」

「いいよ!」


少女は、絵を描いていた場所に向かう。

ヒロトは、少女の後ろをついていき、少女が絵を描いていた場所にたどり着いた。そしてヒロトは、絵をのぞいてみた。

「へえー、きれいに描けているじゃん!」

「えへへ」

「いい風景みつけたね。ここの風景、俺も好きなんだ」

「そうよね、ここの風景いいよね。心も和んでくるしね」


そのとき少女は、リボン付きの麦わら帽子を取った。

(そういえば、以前も麦わら帽子をかぶっていたな……)

麦わら帽子をしていない少女の姿を、ヒロトははじめて見た。麦わら帽子を被っていても髪が短いのはわかっていたが、想像以上に短かった。しかし今、流行(はや)りの髪形をしているようだ。そして服や靴をよく見ると、オシャレ好きのように見えた。

山頂で絵を描くのにここまでオシャレするかなあ?という疑問はあったものの、それはどこかに吹き飛んだ。


ちょうどそのとき、さわやかな風が吹いて、少女の髪が頬(ほお)にかすかに当たり、少女は髪をそっと手で脇によせた。ヒロトはそのしぐさを見て、「けっこうかわいいんだな」と少しどきっとする。

すると少女は、ヒロトの視線を感じたためか、ヒロトの方を向いてきた。

「うん? どうしたの?」

少女から問われると、ヒロトは、慌てて目線をそらした。

「え、いやー。確か以前、中学一年と言ってたよね。今、中三だろ。受験はいいのか?」

「私ね、美術の学校に行きたいから……」

「なるほどね、それで絵を描いていたんだね。それにしてもよく描けているね」

「えへへ、褒(ほ)めてくれてありがと」

「ところで、えーっと……そういえば……君の名前、知らなかったっけ?」

「天宮(あまみや)由加里(ゆかり)、ユカリって呼んでね」

「俺は、早川寛斗(はやかわひろと)」

「じゃあ、ヒロトって呼んであげるね!」

「ヒロト? それに呼んであげるって……まるで上から目線じゃん。俺は三つも年上だよ。先輩だぜ。せめてヒロトさんって呼んでくれよ」

「はい、はい、わかりました。ヒロト」

ユカリははじめて、「わかりました」と敬語を使った。しかし最後は、「ヒロト」と呼び捨てだった。

「全然、わかってねえなあ、ユカリは……」

「そんなことないよー。ヒロトの考えていることぐらい、すぐわかるんだからね!」

ユカリは、以前にヒロトと会ったときのことを思い出す。ヒロトは顔に思っていることが出てしまうことを思い出し、ユカリはクスッと笑った。

ヒロトは頭をかきながら答えた。

「もう呼び名なんてどうでもいいや……ヒロトでいいよ」

「わかった、ヒロト」

「ぷっ!」

ユカリは思わず笑いだし、つられてヒロトも笑ってしまった。それはヒロトにとって、学校や家庭の嫌なことを忘れ、久しぶりに心から笑えたときでもあった。


それから少しの時間、二人は沈黙する。——するとユカリは、これまでとは違う小さめの声で話しかけてきた。

「あたしね、八月二十九日までおばあちゃんの家にいてね。それまで絵を描きにここにくるの」

「そうなんだ」

「ところでね、風景だけだと少し寂しいかなって思っていてね。人も描いた方がいいかなって思っていたところなの。それでね、男性のモデルを絵に入れたいなあって思って……」

ユカリの声が次第に小さくなり、照れくさそうにヒロトに話しかけた。

「ヒロトってさ、長身でスタイルいいでしょ。モデルにちょうどいいかなって……」

ヒロトは照れくさそうに言うユカリがおかしく見えた。ずっと強気だったユカリがもじもじしているのを見て、かわいらしく見えた。

「じゃあ、俺がそのモデルやってみるよ!」

「いいの? ほんと助かる! 嬉(うれ)しいなあ」

「よし、決まり!」

「でも……ヒロトだって進学とかあるんじゃないの?」

ヒロトは一瞬、表情が硬くなった。

「いいさ、別に俺は……」

ユカリは、ヒロトの表情が一瞬固くなったことに気づいた。ユカリは、やはり迷惑なのかなと思ったので、日程を決めようと思った。

「じゃあ、時間を決めようか。月、水、金の十六時から十八時はどう?」


こうしてヒロトは絵のモデルをすることになった。ユカリは、はじめにどの風景を描くかを決めようと考えた。ユカリはもう一度最初から、絵を描き直すようだ。山から見える風景には、角度を変えれば永森村の街並みを見渡せる風景、湖と川が見える風景、田んぼだけの風景が見えた。

ユカリは、永森村の雰囲気が最も感じ取れるポジションを選んだ。そしてモデルのヒロトが、どのようなポーズをするのがよいか、いろいろ悩んだ。立ったり座ったり、後ろを見たり、前を向いたりと、さまざまなポーズを試す。そこで決まったのが片手を木にふれて、真正面からユカリの方を向いているポーズだった。


ヒロトにとって、ユカリと会うときが、辛い日常から解放される唯一の時間でもあった。モデルをしているとき、常に正面にユカリがいて、じーっとこちらを見ている。絵を描きはじめた頃は、二人はずっと見つめ合っている状態になったので、二人は少し照れていた。

しかしユカリが真剣に絵を描きはじめてから、ヒロトも真剣にモデルの役目を果たそうとした。澄んだユカリの目がヒロトをじーっと眺めている。

そんなユカリを見ていると心が次第に和らいでいく。ちょうど、今年の八月は平均より温度が低く、十六時以降なので、夏のむさくるしい暑さは通年よりも和らいでいた。絵を描くスポットも日陰を選んでいるので、それほどの暑さは感じられない。


ある日曜日のこと。絵を描くのは月、水、金なので、ヒロトは家にいた。

「早く、月水金が来ないかなあ」

いつの日か、ヒロトはユカリと会うことが待ち遠しくなっていた。


場所は代わってユカリのおばあちゃんの家……。ユカリは、おばあちゃんの家の一室で涼んでいる。おばあちゃんの家は農家で古い家だが、家と土地は大きく、二階建ての離れの家があり、ユカリはその一室に宿泊していた。ユカリは小さな頃からおばあちゃんと仲がよい。ユカリの父は地方公務員、母は看護師をしていて、小さいときから両親が忙しいときには、おばあちゃんがユカリの面倒を見てくれていたのだ。

今年は、美術部の夏休みの宿題として風景画を描くことになっている。そこでおばあちゃんの家に、長期間、泊まることになった。

「ヒロトと会うときは、雨が降らなければいいなあ」

ユカリはテルテル坊主をつくって眺めていた。ユカリは絵を描きたい気持ちもあるけど、それ以上にせつない気持ち、ヒロトと早く会いたい気持ちでいっぱいのようだ。そして祈るような気持ちを込めて、ユカリはつぶやいた。

「あーした、天気になあれ!」

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