ユカリとの再開

ヒロトは今、高校一年生。高校入学試験を首席(しゅせき)で合格し、高校に入学した後のテストでヒロトは常に学年トップを維持していた。部活は陸上部に入り、夏休み前の大会では、高校一年生でありながら長距離ランナーとして県南大会で入賞し、県大会の準決勝まで勝ち進んだスポーツマンでもある。ユカリと出会ったのは、学校が夏休みに入ったときのことであった。


ヒロトは、家庭の事情から高校入学して間もなく、バイトをはじめる。ただ高校はバイトが禁止だ。ヒロトは入学試験を首席で受かったため、先生はヒロトを進学エリートとして育てようと考えていた。しかしヒロトは、先生にもクラスメイトにも家の事情やバイトのことを一切話さなかった。ヒロトの家庭は、とても大学に行ける状況ではないと知っていたので、ヒロトは、大学進学を考えていなかったのだ。


ヒロトは、高校一年のとき、学年主任の先生の任命でクラスの代表に選ばれる。学校は田舎の高校であるためか偏差値は平均より低く、先生方は一流大学への進学実績を出すことばかり考えている。先生方は当然、ヒロトは進学するものと勝手に思い込んでいた。そして母にもその旨を伝え、母もすっかりその気になってしまった。


ヒロトには違う学校に通うふたつ上の兄がいる。兄は学校でよくトラブルを起こし、問題になっていた。そんな兄を両親もよくは思っていない。兄は中学の頃から家で暴れて父とよく喧嘩(けんか)していた。ヒロトは小さい頃から、家ではわがままを言わない性分だ。自分がわがままを言わず我慢することで、家庭が少しでも丸く収まるならそれでもいい。家族にこれ以上、負担をかけさせたくない。ヒロトは小さいながらも家族を守ろうと思っていたのだ。


ヒロトはもとより勉強が好きではない。中学二年までは中程の成績だ。ただ、当時の担任の先生から「君はやればできるよ」と助言をもらい、中学三年の秋から真剣に勉強に取り組んだ。そのため冬のテストでは、学年で三十番以内に入る。有名な私立校に合格する可能性さえ出てきたが、私立に行く学費はない。そこでヒロトは、近くの県立高校を受験することになる。ここなら自転車でも通えて、交通費もかからない。高校の授業料の一部と自分の小遣いくらいは自分で稼ごうと思い、高校に合格したらすぐにバイトをはじめた。


ヒロトは高校を入学して間もなく、朝に週三回の新聞配達、夕方に週三回の工場のバイトを入れた。バイトのある夕方は部活に出られない。ヒロトは「勉強のため」とうそを言って部活を休み、内緒でバイトをしていた。学校の先生は、「あなたが頑張ればみんなも頑張るから、勉強を頑張ってほしい」と繰り返しヒロトに言う。小さい頃から「イエス」しか言わなかったヒロトの習慣も重なり、先生が言われたことにも、ヒロトはただ、「はい」とだけ答えるだけだった。


ヒロトは、家からバイト先までの片道五キロメートルを走って通うことがある。バイト先に行く途中、山頂にある永森神社の階段をわざわざ通り、そこで脚力と持久力を鍛える。そしてテスト前になると、仕事帰りに永森神社のベンチに座り、歴史の年表や英単語を暗記し、朝はパン、夕飯は自分でつくったおにぎりを食べながら勉強していた。そしてヒロトは、高校一年から二年まではずっと学年一位の成績を維持し、陸上では県南大会入賞を何度も獲得したのだ。

ただ家庭の状況は、ますます悪くなっていた——。


兄は高校時代から、「専門学校に行きたい」とよく言っていたが、父が猛反対する。結局、兄は高卒後、働きもせず、家でぼーっとする日々を過ごした。そして兄と父が、取っ組み合いの喧嘩(けんか)となる。兄が母からもらった小遣いで何かものを買うたびに、父はそれを蹴っ飛ばす。それを見たヒロトが喧嘩(けんか)を止める日々となった。さらにヒロトの成績がよいことを理由に、今度は兄がヒロトに対して嫌がらせをするようになった。


ヒロトは、大学に行きたい気持ちはない。むしろ家を出て、働きたい気持ちが強い。母の見栄(みえ)にも困っていた。先生と母との二者面談で、先生から「彼は優秀です。ぜひよい大学に進学を……」と相変わらず言ってくるため、母も未だにその気のようだ。

「どこにそんなお金があるのか……」とヒロトは思ったが、大学受験まで日数があるので、ヒロトは適当に周りの環境に合わせることにした。

先生からは「あなたが頑張ればみんなも頑張るから」と、しつこいくらいに言われる日々だ。ヒロトは家族のこととバイトだけでも大変な状態だ。これ以上、他のことに気をつかうのはムリと思っていた。しかしクラスのみんなと学校のためになるのならと思い、「大学に行くのは難しい」ことを言わないようにしていた。


しかし高校三年となり、大学受験が近づいてくると、クラスの人たちの見る目まで変わってきた。

「あいつは大学受験で有利になるために、部活を週三回しかやらない」

「いつも早く帰るのは、少しでも抜け駆けして勉強するためだ」

「勉強しない振りをして、俺たちを油断させているんだ。そういう汚いやつだ」

「早く寝ると言っておきながら、いつも早朝の四時には部屋のあかりがついているぜ。やはりこっそり勉強しているんだぜ。あいつは」

 

 ヒロトに対する、さまざまなうわさがクラス中に広まっていた。

朝夕のバイトと部活に加え、家庭騒動がひどくなり、さらに学校での嫌がらせやいじめまでひどくなる。次第にヒロトは、体も心もボロボロになっていく。そして高校三年の六月のある朝、ヒロトは起き上がれないほどの立ちくらみに襲われ、一週間ほど休みをとった。結局、高校最後の陸上大会はいい成績を残せなかった。そして学力テストも、高校三年になってはじめて、学年一位を譲ってしまうことになる。その頃から、ヒロトはバイトを辞めることになる。もちろん、ヒロトのバイトがなければ、大学に行けるわけがない。


(そもそも俺は、大学に行くつもりはあったのか。母や先生から言われているだけではないか……。それに俺は、母や先生からこうしてくれと言われたとおりにしただけだ。

それが先生や家族、クラスメイトのためだと思ったからそうした。なのにこの仕打ちは、なんだ!)

ヒロトは、学校にも家にも居場所がなく、バイトを辞めて気の合ったバイト仲間と会うこともなくなってしまう。そしていつしか、早朝ランニングも止めていた。



こうして高校三年の夏休みがやってきた。

(陰険(いんけん)な目で見るクラスメイトたちと会わなくなるので、少しはほっとできるな……)

ヒロトは、日々、勉強している振りだけしている。兄は専門学校に行けなかったのは弟のせいだと言い出す。毎日腹いせで、兄はヒロトのすぐそばで、音楽やゲームを夜遅くまでやっていた。そしてヒロトのいるすぐ脇で、父と兄は喧嘩(けんか)し、それをヒロトが止める日々だった。

(一体、俺の本当の居場所はどこだろうか。一体、俺は何を目指しているんだろうか……)

 ヒロトは、心身ともに限界に達していた。


夏休みも中盤に入り、八月初旬になる。

(今日の午後は外で散歩しようか。外は暑いが、家にいるよりましだ……)

ヒロトは外に出かけ、湖近くの公園に足を運んだ。ヒロトは、湖を眺めながら公園のベンチで横になり、しばらく寝そべっていた。湖の先には、山頂の永森神社が目に入った。

時は十六時過ぎ……。

(久しぶりに、永森神社へ行ってみるか……)


永森神社は、以前、バイトが終わった帰りによく立ち寄った場所でもある。永森神社は標高百メートルの小さな山の頂上にあり、神社の広場からは永森村の全景が見渡せた。そこから見渡せる村の景色がとてもきれいで、ヒロトはその景色が好きだった。

(あの景色を見れば、少しは気分を取り戻せるかな……)

ヒロトはその景色を見ようと永森神社に向かった。永森神社に続く長い階段を上り、神社に着いた。そして礼拝殿の脇にある小道を少し歩くと、永森村を見渡せる広場がある。ヒロトはその広場に到着した。するとそこには、人が一人いた。


(あれ、珍しいな。こんな時間に人がいるなんて……)

よく見ると、その人はピンク色のリボンのついた麦わら帽子をかぶった少女だった。どうやら、絵の具を持ってきて永森村の風景を描いているらしい。

(今どき、水彩画を描くなんて珍しいな。でもこの風景は、俺のお気に入りの場所。ここをスケッチするなんて嬉(うれ)しくなるな)

ヒロトは少しだけ安らいだ気分になる。ヒロトは、少女の絵描きの邪魔をしてはいけないと思い、少女から十メートルほど離れた所に行き、そこから風景を眺めることにした。ヒロトは永森村の景色を見て一呼吸した。


「うーん、やはりいい景色だ」

そのとき、ヒロトの脳裏に麦わら帽子がふっと浮かんできた。ヒロトは、先ほどの少女をちらっと横目で見てみた。

(それにしても、あの麦わら帽子……どこかで見たことがあるような……)

ヒロトは何かを思い出しそうだが、何も思い出せなかった。

「ま、いいか」

再びヒロトは、永森村の景色を眺めることにした。

——すると少女が、急に声を出してきた。

「ああ!」

少女はヒロトに向かって叫び声をあげた。ヒロトはその声を聞いて少女を見ると、少女はヒロトを指差し、こちらを向いていた。

「おにいちゃん、久しぶり!」

(はて、どこかで聞いたような声……)

しかしヒロトは、誰だか思い出せなかった。

少女は、何も思い出せないヒロトの様子に気づき、ゆっくりこちらに歩いてくる。そしてヒロトの目の前まで歩いてきて、ピタッと止まった。少女はじーっとヒロトを見つめている。そして少女は、一言だけ語った。


「フウセン……」

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