ヒロトとユカリ~第一章 あの思い出の階段で

ヒロトは高校一年生。今は夏休みの早朝、六時過ぎ。ヒロトは新聞配達のバイトの帰りに一人の女の子と出会うことになる。ヒロトはバイトが終わった後に、よく通る道がある。

それは永森村の山頂に続く階段の道だった。そして山頂には神社があった。

普通は、通り道として神社の階段を上っていく人はいない。大抵は、山沿いにある道を通り、ぐるっと回って山の反対側に行く。

しかしヒロトは、あえてきつい坂の階段を走って山頂まで上っていく。ヒロトは、自宅から新聞配達の仕事場まで走って通っていた。学校があるときは自転車で行くことが多いが、今は夏休みだ。陸上部の練習も兼ねて、あえて走って仕事場まで通うようにしていた。

平地をただ走るより、階段の上り下りをすることで瞬発力もつく。ヒロトはそう考えていた。山頂にある神社の名は永森神社。ヒロトは今、新聞配達を終えて、永森神社の階段を走りながら上っている——。


今、ユカリは、山の麓(ふもと)と山頂の神社を結ぶ、長い階段途中の広い踊り場にいる。ユカリは、おばあちゃんに買ってもらったばかりの白のワンピースを着て、麦わら帽子をかぶっていた。髪形はショートヘアで顔は小さい。背は中学一年にしては低く、クラスでも一番低い。背が低く、細身で童顔なのでよく小学生と勘違いされ、ユカリは小学生に見られることを、とても気にしていた。

ユカリは木に引っかかった赤色の風船を取ろうと、ぴょんぴょん跳ねていた。しかしジャンプしても風船までは届きそうにない。


ヒロトは、麓(ふもと)から神社のある山頂に向かって階段を走っている。その途中……。

「おや? こんな朝早くから……」

ヒロトは、麦わら帽子をかぶった女の子が風船を木の枝に引っかけてしまい、取ろうとしても取れず、困っていることに気づいた。

「よおし!」

ヒロトはさらに早く駆け出して、女の子のいる場に向かった。

 ——パシッ!

ヒロトは軽くジャンプして、枝に引っかかっていた風船を難なくキャッチした。

「よし! きちんと取れたぞ!」

本当は、助走してジャンプしなくても取れそうだった。しかしヒロトは、かっこいいお兄ちゃんの姿を演じようと茶目っ気がして、わざわざ走ってジャンプし、風船を取ってみせた。

それからヒロトは、にこっと笑って、女の子に風船を渡そうと、手の近くまで風船を近づけた。ヒロトが女の子を見ると、白のワンピースに麦わら帽子をしている。背は低く、どうやら小学生だ。

(……小学生にしては、ずいぶんオシャレなワンピを着ているな……)

ヒロトはそう思った後、女の子に声をかけた。

「ほら、今度は風船を放しちゃだめだよー」

女の子は、ヒロトをじーっと見ている。

 ん?

ヒロトは、女の子がじーっとヒロトを見つめ続けていたので、どうしたのかな?と思った。すると女の子は、ヒロトから風船を取って、お礼を言った。

「ありがとう……おにいちゃん」

「あ、いえいえ、よかったね。お嬢ちゃん!」


 ——ヒロトが返事すると女の子は、急にムッとした顔をした。

 え?

先ほどまでとは正反対の表情をした女の子に、ヒロトはギクっとした。女の子はとても怒った表情でヒロトをにらんでいるようだ。

ヒロトは、女の子が何か気に障ったかな?と思って、質問してみた。

「お、お嬢ちゃん、どうしたのかな?」

ヒロトが声をかけると、女の子はさらにムッとした表情になり、怒ったような口調で言い返してきた。

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんって、あたし、小学生じゃないもん! これでも中学一年なんだから!」

すっかり、小学生と勘違いしたヒロトは、心の中で思った。

(なんだよ、風船なんか持ってて……しかも「もん」だなんて……ガキって思われても仕方ねえじゃねえか。それに普通、風船を取ってあげたら喜ぶんじゃないか?)

ヒロトは内心、そのように思いつつも、面倒なことはごめんと思い、謝ることにした。

「ごめん、ごめん。俺が悪かったから……」

(なんで、風船を取ってあげたのに謝らなければならないのか。困ったガキだな)

 ——すると女の子は、さらに反発してきた。

「ああー! ほら! 今また、あたしのことガキみたいって思ったでしょ!」

ヒロトは、内心を読まれたのかと少しびっくりした。

(ああ、そのとおりだ。ほんとにガキじゃねえか!)

ヒロトの本心が聞こえたかのごとく、女の子は言い返してきたのだ。実はヒロトは、表情に心の様子が出やすいタイプだった。ヒロト自身はそのことに気づいていないが、顔に見事に現れる。その表情から女の子はヒロトの本心に感づいたのだ。

「お、お嬢ちゃん! 俺ね、別にそんなふうに見ていないよ」

ヒロトは、うその言い訳をした。

しかし女の子は、さらにきつい言葉を言い出したのだ。

「あー、ほら。またお嬢ちゃんって言ったー。やっぱりガキだって思ってたでしょう!」

(なんでこんな子どもに振り回されなければならないんだ、俺は。それに初対面の人に、随分なれなれしいことを言うじゃないか。この女の子は……)


ヒロトは、早くここから立ち去りたいと思い、どうしようか考えた。

(ええい! 面倒だから、ただひたすら謝って、さっさとここを離れよう!)

ヒロトは、女の子にただひたすら謝ることにした。

「本当にごめん。このとおり謝るから。ね、ね、許して!」

ヒロトは謝って、何度も頭を下げた。しかし女の子は怒りが収まらず、火に油だった。

「お兄ちゃん、なんでそんなに何回も謝る必要あるの? やっぱりガキだと思って、適当に謝れば収まりつくんじゃないかって思ったのね! もう、絶対、許さないから!」

今度は、女の子は腕組みをして、斜め目線でヒロトをにらみつけた。

(なんなんだよ、この女の子は……)

ヒロトは、すっかり女の子のペースに巻き込まれてしまった。ヒロトは、もう、言い返す言葉もなく、呆然(ぼうぜん)とした。


(親切に風船を取っただけなのに……なんでこんなに怒られて、謝らないといけないんだ。もう勘弁してくれよー)

ヒロトは、ずっと下を向いて黙ってしまった。

「ぷっ」

すると女の子は、噴き出すような声を出した。

おや?と思ったヒロトは、顔をあげて女の子の顔をのぞいてみた。すると……

「ぷっ、あはは」

女の子は急に大笑いした。

ヒロトは女の子の気分を害したとばかり思って、ひたすら謝っていたが、女の子は笑い出したのだ。ヒロトは、女の子がヒロトをからかっていたことに、ようやく気づいた。ヒロトは女の子にすっかりだまされてしまった。ただ、根っからこだわらない性格をしていたヒロトは、思わず自分を自分で笑ってしまう。

「あはは」

「あはは」


——二人は、その場でしばし笑っていた。

「まいったな、俺。すっかりだまされたよ」

「お兄ちゃんって、ほんと、バカ正直ね。でもおもしろかったわ」

「おもしかったって……大人をからかうもんじゃないよ」

「何よ、お兄ちゃんだって高校生くらいじゃないの?」

「俺、高校一年。君、小さいけど中一でしょ。三つも違うよ。三つも違えばもう大人と子ども!」

「あー、また小さいって言ったー」

ヒロトはギクッとした。

「また、振出しに戻っちまうのかよ」


今度は少し間を置いて、女の子は答えた。

「ま、いいか。風船取ってくれたしね……」

そして女の子は、にっこり笑った。

「よし、じゃあこれで、ゆ・る・し・て・あ・げ・る!」

ヒロトは、ふうーっと息をした。

すっかり安心したヒロトを見て、女の子はふっと何か思いついたようだ。

「そうだ! お礼にこの赤い風船、おにいちゃんにあげるよ!」

女の子は、赤い風船をヒロトへ差し出してきた。

さすがにヒロトは、風船なんかもらったって困るなあと思った。

「いや、別に俺、風船なんてほしくないから」

「はい、あげる!」

女の子はヒロトの話を聞かず、強引にヒロトの手をつかみ、風船を握らせた。

「あたし、これで帰るから! それじゃあバイバイねー」

女の子は走って階段を下りていった。


(……ったく、俺の話を聞いているのか)

ヒロトは、ふーっと小さく息をし、握っている風船を見つめた。

「赤い風船か……」

ヒロトは風船を持ったまま、女の子が去っていくのを眺めていた。

そして二十メートルほど階段を下りた後、女の子はまた、ヒロトの方に振り返った。

「くすっ」

ヒロトは、女の子が少し笑った顔をしたのがわかった。

「ばいばーい! ありがとね、おにいちゃん!」

ヒロトも笑顔で返事した。

「ああ、バイバイな!」


最後はお互いに笑って、女の子はその場を去っていった。

(随分(ずいぶん)、勝手な女の子だったな。でも明るくって、元気のいい女の子だったな……)

最初はわがままな女の子の対応に困ったものの、ヒロトは晴れやかな気分になっていた。

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