ぐーたらおししょーは、川に落ちる。
「えーっと……」
方針が決まり、数日かけて村を出る準備をした後。
ティーチはスートらと連れ立って、領主の街に向かおうと旅に出た……のだが。
いきなり、二日目にして彼女とはぐれてしまっていた。
「参ったな……」
濡れそぼった体で、這い上がった河原に座り込んだティーチは、やれやれと上流に目を向ける。
崖から落下して急な流れに落ちたせいで、ずいぶんと下流に来てしまったようだ。
ーーーどうやって合流するかな。
一応、川沿いを登っていけばいいので方向は分かるが、スートたちがいる場所まで行くには崖を登らなければならない。
そうなると、お荷物が一つあった。
「おい、起きろよ」
ティーチはどうにか襟首を掴んで引っ張り上げた相手……両手に【抗魔の鎖】を巻いて気絶しているアーサスの体を揺さぶる。
すると、うめき声を立てて目を覚ました彼は、ぼんやりと焦点の合わない目をこちらに向けた。
「道連れにして死のうとするとか、何考えてんだ? そんな忠誠心の
アーサスは応えない。
何か様子がおかしいな、と思ったティーチは、さらに問いかけた。
「おい、大丈夫か? 頭でも打ったか?」
そこでようやく、何度かまばたきをしたアーサスは、いぶかしげに問いかけてきた。
「……えーと、どこのどちらさんっすか?」
「は?」
彼の言葉に、ティーチは思わず間抜けな声を上げる。
ーーー川に落ちた衝撃で記憶でもトんだか?
そんな風に思っていると、頭を振って体を起こしたアーサスは、両手が後ろ手に縛られているせいで上手く起き上がれず、戸惑いを見せる。
「え、何で
徐々にきちんと焦点が合ってきたアーサスは、どんどん青ざめていった。
「な、んで……え?」
「お前どうした?」
様子がおかしいので、ティーチはアーサスの背中に手を添えて起こしてやった。
「しっかりしろ。自分が何でここにいるのか、分かんねーのか?」
「いや、分かるっす……」
青ざめたアーサスは、小さく首を横に振った。
「でもなんか、ぼんやりしてて……僕、なんであんな事……!」
完全に意識を取り戻し、同時に青すら通り越して真っ白な顔色になった彼は、いきなりゴン! と石がゴロゴロしている河原に頭を叩きつけた。
「も、申し訳ありませんでしたァア!!」
豹変したアーサスに、ティーチは呆気に取られる。
「……お前本当に頭大丈夫か?」
「大丈夫す! いや、大丈夫じゃないんですけど!! ぼ、僕、どうしたら……!」
「いやちょっと落ち着け」
ダーッと涙を流して泣き始めた彼を、落ち着かせたティーチは事情を聞いた。
恐縮し続けるアーサスは、『黒蠍暗殺団』という組織の下っ端も下っ端、小間使いのような立場の人間だったらしい。
「僕、全然強くなくて、ビビリで、ひ、人とか殺せなくて! だから皆に腰抜けアーサスって呼ばれてて……」
するとある日、頭領に呼ばれて、妙な奴に会わされたらしい。
外套についたフードを目深に被ったソイツに、頭領は言ったらしい。
ーーー『この腰抜けを強く出来るなら、お前の言葉を信じよう』と。
「そいつが近付いてきて、目を覗き込まれた後……なんか、意識が遠くなって……意識がはっきりしたのが……」
「今、って話か。だが、その間の記憶がないわけじゃなさそうだな」
目覚めた直後は、よく分かっていなかったようだが。
「き、記憶はあるっす!! でもその、僕だけど、僕じゃない、みたいな、上手く説明できないんすけど」
また、すいませんでした!! と頭を下げるアーサスに、演技をしている様子はなかった。
ーーーもしかして、これがブレイヴの言ってた洗脳ってやつか?
彼も操り人形になって、その後、王国傭兵団の一員になった、ということなのだろう。
「その暗殺団の他の連中も、傭兵団に入ってんのか?」
「いえ……僕が、殺しました……皆……それ以外にも、僕、僕は……」
それは、悔恨の呻きだった。
ため息を吐いたティーチが頭を上げさせると、アーサスは鼻水を垂らして涙が止まらず、今にもショック死しそうな顔をしている。
「アーサス」
「はいっ!!」
「忘れろ」
ティーチはそう告げて、立ち上がった。
意味が分からなかったのか、呆然としてこちらを見上げるままの彼に、怒りを抑えながら言葉を重ねる。
「やっちまった事は仕方がねぇ。お前の属してた暗殺団も、他人の命を奪う仕事してたんだから、因果応報だ。……お前の罪の意識がそれで消えるとは思わねーけど、それでも、今のビビリのお前がやった事は、忘れちまえ」
彼の言葉は真実なのだろう、とティーチは感じた。
根拠はないが、これが演技だとしたら、ティーチらを道連れに死のうとした理由に説明がつかない。
洗脳されていたから、嗜虐的な性格になっており、罪も重ねたのだろう。
だが、ティーチはその事で彼を責める気にはなれなかった。
そして代わりに湧き上がるのは……彼の意識やブレイヴの肉体を奪った魔王への、怒り。
ーーーふざけやがって。
ティーチには、義憤はない。
自分の知らないところで人が死んでいくことなんか腐る程あると知っているし、それら全部を救う事は出来ない。
それは仕方がない事だ、と今まで思っていた。
「俺はな、アーサス。バカなんだよ。身近で何かが起こるまで、頭で分かっててもきっちり感じる事が出来ない」
「……?」
「スートが襲われて、ブレイヴに助けを求められて、そしてお前の境遇を聞くまで……ブレイヴが何のために戦ってたのか、ちっとも理解しちゃいなかった」
魔王がいる事で、起こること。
ブレイヴ自身も、旅立つ時にそれを身近なこととして感じていた訳ではないだろう。
だが、知っていただけのティーチと違って、彼は理解していたのだ。
「やっぱ、人に物を教えるほど上等な人間じゃねぇ」
知らないことだらけで、何が『おししょー』なのか。
「俺らに協力する気はあるか? アーサス」
「ど、どういう意味、っすか?」
「そのまんまの意味だ。記憶はあるんだろ? ……魔王をぶち殺して、ブレイヴの体を奪い返す。多分お前を洗脳して手駒にしたのは、あの野郎だ」
魔王は、王になったブレイヴに近づくために準備を重ねていたのだろう。
アーサスがいつ王国軍に編入されたのかは知らないが、下手をすると倒される前から、こうした計画を練っていた可能性がある。
王都は完全に掌握された訳ではない、と賢者ウィズは読んでいるようだが、アーサスのような下っ端にまで影響が及んでいるのなら、もう大半はその手に落ちているだろう事は容易に予測出来た。
黙り込んでいたアーサスは、目を伏せる。
「で、でも、僕は、とんでもないことを」
「今にも死にそうな顔してるが、お前が死んだら誰かが救われるのか?」
「うっ……」
ティーチの問いかけに、彼は言葉を詰まらせた。
「どうせ捨てる命なら、それをやらせた奴を排除してからじゃねーと、ただの逃げでしかねぇ。他の誰かのためじゃなく、お前がその手にかけた連中のために……やろうぜ」
ティーチは、アーサスの目をじっと見つめる。
「俺も、一度逃げた。メンドくせぇと言い訳して、ブレイヴに迷惑をかける言い訳してな。そんな俺が言えた義理でもねーが、忘れるのが難しいなら、せめて納得できる命の賭けかたを、しようぜ」
アーサスの境遇と、自分の境遇はまるで違う。
それでも、スートを迎え入れた時と同じように、ティーチは彼に自分を重ねた。
こんなことが起こっている状況で、自分が力を失って、それでも勇者が助けを求めたのが、自分なら、応えなければいけない。
「今すぐに答えが出せないなら、お前の命を、俺に預けろ。操られて、スートを襲ったことを後悔してるなら。殺しちまった連中に報いてやりたいと、少しでも思うなら」
たとえそれが自己満足であろうとも。
「魔王をぶっ倒してから、改めて答えを決めたらいい」
やらかした事の重さに耐えきれずに、彼が死を選ぶなら、それも仕方がない。
だが、その答えを出すのは今でなくてもいいはずだ。
「俺が、魔王を倒す。それに乗れよ、アーサス」
彼はそれでも、少しの間沈黙していたが。
「……やるっす」
「おし」
少なくとも、今すぐ命を捨てる選択は、しなかった。
今はそれでい、とティーチは満足して笑みを浮かべる。
目的を同じくする人間は少しでも多い方がいいし、事情を知ってしまえば、見捨てる事は出来なかった。
「なら、行こうぜ。とりあえずスートと合流しねーとな」
一応ブレイヴがついているが、出かけてからはやはり、魔物に遭遇する頻度が高かった。
今のアイツは戦力として期待できないので、魔物が出たらスート一人で対処することになる。
アーサスの鎖を解いたティーチは、とりあえず二人で濡れて重い服を絞った。
そして、彼と共に上流に向かって岩だらけでデコボコした川を、落ちた上流まで遡り始めると。
ーーー腰布につけた、【感知の呪玉】が、リィン、と音を立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます