第25話

 翌朝、日が昇ると同時に、ティアは小屋から連れ出された。

 前後を男に挟まれてティアは歩かされた。身体を縛る縄は、後ろを歩く男に握られていた。ティアをさらった箱馬車の御者をしていた男で、前を歩くのは仮面の男だ。


 ティアは疲労困憊だった。

 食事は与えられていたが、昨夜は柱に縛られたままだったので、よく眠れなかった。

 もうすぐ父親に会えるという思いだけが、ティアを支えていた。

 ポーケントッターがいて、メロディがいて、サンディがいて、マートがいて、クレアがいる。

『春の微風亭』での、あの楽しい日常に戻りたかった。


 やがて、ティアは森を抜けた。

 目の前に広い草地が広がり、その先に左手のボーン岬に向かって曲がるポートホープからの街道が見えた。

 後方から二つの金属音が聞こえ、ティアと男たちの両側に土煙と共に降り立った。

 仮面の男配下の、二機のソウルアーマーだ。


「……」


 ティアは胸の中で必死に祈り、そして信じた。

 ここは以前メロディと共に二人組の『人さらい』に襲われ、そして父親のポーケントッターによって救われた場所だった。


 それならば、今回もポーケントッターによって救われるはずだ。


「サー、ポートホープよりソウルアーマーが一機飛び立ちました。ポーケントッターです」


 傍らのソウルアーマーからドライバーの声が響き、仮面の男が頷いた。


「そうか――間もなく父親に会えるぞ」


 男のその言葉が終わるか終わらないかのうちに、南からあの甲高い飛翔音が聞こえてきた。

 すぐに、海から昇る朝日を受けて輝く、白銀の機体が空に現れた。

 ソウルアーマーにとって、ポートホープとこのボーン岬の森は指呼の距離だ。

 白銀の機体は見る間に大きくなり、男たちと五〇メートルほどの距離を開けて草地に降り立った。


「パパ……パパーーーーーーッッッ!!!」


 ティアが泣き叫ぶ。


「来たか、ポーケントッター! 我々の要求は分かっているはずだ! さあ、娘の顔に傷をつけたくなかったら、クックピットを開けて、我が輩に『剣の誓い』を立てろ!」


 仮面の男がティアに短剣の切っ先を向けて、ポーケントッターに怒鳴る。


 プシュ……!


 男の言葉を受け、ポーケントッターの光学透過装甲の腹が開いた。


「よしよし、聞き分けの良いのはいいことだ――」


 仮面の男の口元に笑みが浮かび、そして歪んだ。

 ポーケントッターのクックピットは、無人ではなかったのだ。


「誰だ、お前は!?」


「――わたしはメロディ・スプリングウィンド。ポートホープにある宿屋『春の微風亭』の女将です」


「なに~?」


「恥を知りなさい、アーチボルト家! 幼い子供を楯に『剣の誓約』を迫るなど、それでも栄誉あるゴドワナの貴族ですか!」


 飛行ゴーグルを被ってドライバーシートに座るメロディが、男たちを弾劾する。

 両手で操縦桿を握りながら、闘志と決意の籠もった瞳で仮面の男を睨み付ける。

 ティアをさらったのがアーチボルト家の手の者であることは、ヘーゼルダインの偵察によって昨夜のうちに判明していた。


「メロディ!」


 ティアが泣きながら、メロディの名を呼ぶ。


 メロディ! メロディ! メロディ!


「ティア、待ってなさい! すぐにそんな人たちやっつけて、助けてあげるから!」


「宿屋の女将風情が、我々を『やっつける』だと? ははははは! これは面白い! お前がそのソウルアーマーを操って、我が伯爵家の勇士と戦うとでも言うのか? ははは! これは傑作! 皆の者、笑え!」


「その『ソウルアーマー』が怖くて、ティアを誘拐したのはどこの誰です? 大貴族の使いの者なら、せめて正々堂々ポーケントッターさんに勝負を挑んだ上で、打ち負かして配下に加えたらどうですか? こんな卑劣で恥知らずな行い、名門アーチボルト伯爵家の名折れです!」


 メロディが啖呵を切ると同時に、ポーケントッターが右手にプラズマの光刃剣を形成させ、メインカメラを戦闘色である赤色に輝かせた。


「小娘が、吹きおるわ! ――よかろう、そこまで言うのなら遊んでやる! ウルフスタン! ジンデル! 少しご婦人のダンスの相手をしてやれ!」


 仮面の男に命じられ、傍らで待機していた二機のソウルアーマーが前に出た。


 その様子を見て、メロディはクックピットのハッチを閉じた。


「――乗ってきた!」


「オ見事デス、メロディサン! 後ハワタシニオ任セ下サイ!」


 ポーケントッターの全高8メートルの巨体が、後方に跳び退り、そのままメインスラスターを噴かして上空に飛び立った。プラズマの排煙に、大気が歪む。

 強い荷重に、メロディは奥歯を噛みしめた。アーチボルト家の二機のソウルアーマーが即座に追随してくる姿が、フロントスクリーンに浮かんだ小さな窓の中に映し出されている。


 ――と、とにかく、あの二体のソウルアーマーをティアから引き離さなくては!


「『ウルフスタン』ト『ジンデル』! 二人トモ音ニ聞コエタ剛ノ者デ、先ノ戦争デモ勲功ヲ上ゲタ、アーチボルト家ノ優秀ナ『アーマードライバー』デス!」


 クックピットの中に、ポーケントッターの声が響く。


「アノ二体ノ『ソウルアーマー』モ、『戦闘メモリィ』ヲ豊富ニ蓄積サセテイル手強イ機体デス!」


 ウルフスタンとジンデル、アーチボルト家の二人の家士が操るソウルアーマーは、当然のように左右に分かれて急追してくる。

 ポーケントッターを挟撃せんとする意図は、『ソウルアーマー戦』のズブの素人であるメロディにも明白だった。


「シッカリ歯ヲ食イシバッテイテ下サイ!」


「ど、どうする気ですか!?」


「イキナリ、奥ノ手デス!」


 言うな否や、ポーケントッターはその場で唐突に停止し、方向転換。今度はウルフスタンの操るソウルアーマーに向かって、弾けるように再加速した。


(――え?)


 メロディは、混乱した。

 視界が瞬間的に切り替わり、一瞬で前と後ろが入れ替わった……ように見えた。

 空中で一度急停止したというのに、これまでのような強い荷重は一切ない。


(な、なに!?)


 そして直後に訪れる、再度の荷重。

 メロディは、再びドライバーシートに押しつけられた。


慣性中和装置イナーシャルキャンセラー』を使った、瞬間ゼロターン。


 世界にソウルアーマーは数いれど、この技が使えるのはポーケントッターだけだ。

 ポーケントッターはこの奥義で、先の戦争の英雄になったのだ。

 その機動は、まさに『白銀に煌く稲妻』だった。


 突然逆撃を喰らったウルフスタンは、驚愕し目を見開いた。

 追っていたと思っていたポーケントッターが、瞬きをする間もなく次の瞬間には自分に向かって突き進んできていたのだ。

 ウルフスタンのクックピットに接近警報アラームが鳴り響くより早く、ポーケントッターの光剣が一閃した。


 ウルフスタンが辛うじてその一撃を受けられたのは、やはり彼が実戦経験豊富な優秀なドライバーだったからだろう。

 プラズマの光刃同士が激しくぶつかり合い、バチバチと猛烈な火花を散らす。


 しかし、速度、高度、体勢――どれをとってもポーケントッターが有利だった。

 鍔迫り合いになったのは一瞬のことで、ウルフスタンの機体は地上に向かって弾き飛ばされ、森の中に墜ちていった。

 その際アーマーがドライバーを救うべく自律行動を起こして、スラスターを全開。急制動に成功し地上への激突は免れたが、代わりに衝撃でドライバーシートにしたたかに後頭部を打ち付けたウルフスタンは気を失った。


 気を失いそうなのはメロディも一緒だった。

 生まれ育った場所が場所だったので、メロディは船に強かった。そのため、馬車に乗っても酔うことはなかった。

 しかし――しかし、これは違った。

 これは船や馬車とはまるで違う、文字通り別次元三次元の乗り物だった。

 さらに戦闘機動となると、『星空の遊覧飛行』や『聖ギルモア学園の消火作業』の時とも比べものにならない。


 メロディは歯を食いしばって、嘔吐感に耐えた。

 気を抜けば、胃の中の物を戻した次の瞬間に意識を失いそうだった。

 むしろ、アーマードライバーとしての訓練を積んでいないメロディが、今なお意識を保っていられるのは奇跡だった。


「大丈夫デスカ、メロディサン!?」


「わ、わたしのことは良いですから……早くティアを……ティアを……うっぷ!」


 メロディは両手で口を押さえて、喉まで出かかった胃からの逆流物を再び飲み下した。

 あの人なら、これぐらいのことで戻したりはしないだろう!

 あの人なら――スカーレット・クロスフォード侯爵夫人なら、これぐらいの戦いは難なくやってのけるだろう!

 負けたくない! 負けたくない! 負けたくない!


 ――負けたくない!

 わたしだってティアのことを――!

 ポーケントッターさんのことを――!


「ポ、ポーケントッターさん、は、早く残りの一機を――!」


 メロディがポーケントッターと共に必死の戦いを繰り広げていた頃、地上では、その様子を遠望していたこの一件の首謀者がいきり立っていた。


「――ええい、あんな平民の小娘に手こずりおって! ウルフスタンは何をやっておるのだ! アーチボルト家の名誉を汚しおって――あとで伯爵に報告してやる!」


 遊び半分、傲慢半分。絶対の自信を持って送り出した配下のうちの一機が――それも腕の立つ方の一機が――戦闘開始から僅かの間に叩き落とされたのだ。

 大貴族に使える者として、普段からその威を借りて平民たちを見下し、小さな自尊心を満足させている仮面の男にしてみれば、上空で展開される光景はこれ以上にない屈辱だった。


 ティアの縄を持つ御者の男が、そんな主の背中を、うんざりとした面もちで見つめる。

 嫌な仕事だ――と思った平民であるその御者の後頭部を、ゴン! と硬く平らな何かが強打した。


 背後で発した異様な音に、仮面の男が振り返る。

 そこに見えたのは、目を回して地面に伸びている御者の男と、その傍らに落ちたフライパン。そして幼女を抱えて森に駆け込んでいく、黒髪の女の後ろ姿だった。


「サンディス!」


「黙ってな! 舌を噛むよ!」


 ティアの軽い身体を小脇に抱えて、サンディスが樹木の間を走る。


「おのれ! 背後から忍び寄るとは卑怯な!」


 仮面の下で顔色を変えた男が、サンディスの後を追って森に分け入る。


「あの時の宿屋の女給だな! 馬鹿め! 軽いとは言え女の細腕で子供を抱えて逃げ切れるものか!」


 男の勝ち誇った声が背中から届き、ほどなくサンディスはその言葉どおり、ぶなの大木を背後に男に追い詰められた。


「はぁ、はぁ――手こずらせおって!」


 仮面の男が短銃をサンディスに向けて、にじり寄る。


「ふん、やっぱり一昨日追い返した、あのアークボルトとかいう貴族の使いっ走りか」


 傍らに下ろしたティアを抱きしめながら、サンディスが男を睨む。

 ティアは震えながら、近寄ってくる仮面の男を見つめた。


「アーチボルトだ! ――ふん、相変わらず気の強い女だ! だが、それが我が輩の好みでもある! 待っていろ、その小娘を木に括り付けたら、目の前で手込めにしてくれる!」


 短銃を向けつつ、ジャボネッカチーフを緩めながら好色な目つきで近づいてくる仮面の男。


「やれやれ、本性はただのスケベ親父かい」


 追い詰められているはずのサンディスだが、なぜか余裕に満ちた呆れ顔で肩を竦めてみせた。


「そんな真似が出来る状況かどうか、その見通しの悪そうな仮面を外して、よく周りを見てみるんだね」


「な、なに!?」


 その時なってようやく仮面の男は、樹木の間から十数丁のマスケット銃が自分に向けられていることに気づいた。


「ポートホープの自警団の中でも射撃に自信があって、貴族が大嫌いな連中ばかりを集めてきたんだ――外さないよ」


 絶句する男の顔から仮面が外れ落ちて、一昨日サンディスに追い返された『使いの者』の顔が現れた。


「覚えておきな。こういうのを『各個撃破』って言うんだよ」


 そしてサンディスは、樹木の間から現れたマジックアイに向かって叫んだ。


「勝負あったよ、ポーケントッター! ティアは取り返した! この勝負はわたし達の勝ちだ!」


 サンディスの声はマジックアイを通じて、すぐにポーケントッターとその内部に搭乗するメロディに届いた。


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