第24話
クレアは駈けた。
元々大人しい性格で、他の子供のように駆けっこや木登りといった身体を動かす遊びは好まなかったが、それでも心臓が破れるほどに全力で駈けた。
市街地に入り、通りを駆け抜け、自宅の前すら脇目も振らずに走り抜けた。代書屋の父親が仕事場からその姿を見つけ外に出て声を掛けたが、クレアが立ち止まることはなかった。
『春の微風亭』へ――『春の微風亭』へ!
途中、何度も転んだ。
転ぶ度に膝や肘を擦り剥き、血を流した。
それでもクレアは意に返さずに、走り続けた。
そして目指す宿屋に駆け込むと、呆気に取られた様子のメロディたちに仮面の男が放った手紙を両手で突きだして、そこで初めてボロボロと大粒の涙を零した。
「ティアちゃんが……ティアちゃんが……!」
クレアの話を聞き、酒場は騒然となった。
酒場には、メロディとサンディス、それ以外の二人の女給の他、ポーケントッターとスカーレットがいたが、時間帯的に他の客の姿はなかった。
「テ、手紙ヲ読ンデ下サイ、メロディサン!」
「は、はい!」
ポーケントッターに急かされて、メロディが手紙の封を開ける。
「娘は預かった。
明日の夜明け。ボーン岬の森にて待つ。
ソウルアーマー一機で来い。
約を違わば、娘の命はない」
「――ポ、ポーケントッターさん!」
手紙を読み上げるなり、メロディが真っ青になってポーケントッターを見た。
「こ、こりゃ、間違いなく誘拐だよ!」
サンディスも騒いだ。
「すぐに警吏と自警団に知らせよう! 町の名士の娘が拐かされたんだ! アイツらの仕事だよ! ティアを取り戻させるんだ!」
「でも、約束を破ると、ティアの命がないって!」
メロディが青ざめた表情で、サンディスに反論する。
「その手紙、見せてくれ」
スカーレットがそう言って、メロディから脅迫状を受けった。
「……流麗な筆跡だ。この書体は平民のものではない。それにこの言い回し、貴族か、それに準ずる教育を受けた者だな」
「き、貴族ですって?」
「便箋その他の質も良い。身代金の要求がないことを見ても間違いなかろう。ソウルアーマー一機で来いと言ってることから、目的は金ではなくポーケントッター自身だな」
脅迫状を一読すると、スカーレットは簡単に看破した。
「ティアリンクを盾に、ポーケントッターに無理やり『剣の誓い』を立てさせようというわけだ。そうなれば、主となった人間が召し放たない限り、もはやポーケントッターはその者の意のままになる」
言いながら、スカーレットの表情に侮蔑の色が浮かぶ。
「そ、そんな……」
メロディは絶句した。
そんな無法な行いが許されていいのだろうか。
いやそれ以前に、果たして人はそんな無慈悲な行いを思いつくものなのだろうか。
「これだから貴族って奴は!」
サンディスが吐き捨てる。
「昔からよく行われていることだ。どうしても所有したいソウルアーマーが意に沿わぬときに、弱みを握って無理やり忠誠を誓わせることはな」
現在、王都の貴族たちのサロンでは、英雄『白銀の稲妻』を誰が所有するかが大きな話題になっている。
地方貴族であり、国境守備の総司令官であるスカーレットにとって、そういった中央貴族たちの狂躁ぶりは侮蔑の対象でしかなかったが、当初はお遊び程度だったその競争が次第に白熱し、今や貴族たちの名誉と面子が懸かった抜き差しならない争いになっていることは容易に想像できた。
「人の――人の気持ちをなんだと思ってるんですか!」
メロディがスカーレットに食って掛かった。
「ティアにも心はあるんですよ! ポーケントッターさんにも心はあるんですよ! それなのに――それなのに、どうしてこんな酷いことが出来るんですか!?」
メロディはスカーレットを詰った。
今度こそ、今度こそ我慢できなかった。
今度こそ本当に、メロディは貴族が嫌いになった。
「貴族とは……度し難きものなのだ」
メロディの詰問にスカーレットが顔を背けたとき、幼い声が叫んだ。
「ケンカはやめて!」
全員が、声の主を見た。
クレアが涙と悲しみと怒りに歪んだ顔で、狼狽える大人たちを睨んでいた。
「ケンカはやめて下さい! ティアちゃんを助けて下さい! ティアちゃんは――ティアちゃんは、クレアのたった一人の友達なんです! お願いします! ティアちゃんを助けて!」
そしてクレアは、泣きじゃくった。
メロディは女給の一人に、クレアを厨房に連れて行き、怪我の手当をして、暖かい飲み物を出すように命じた。
「クレアサンノ言ウ通リデス。今ハ大人同士デイサカウヨリ、ティアヲ助ケ出ス方法ヲ考エマショウ」
「この『ボーン岬』の森というのは?」
ポーケントッターの言葉を受けて、スカーレットが訊ねた。
「この町の北にある森です。尖った骨のような形の岬に被さるように広がっています」
メロディが答える。
そこは以前、自分とティアが二人組の『人さらい』にさらわれかけた場所だった。
不吉な符合に、メロディの不安がいや増した。
「座標ハメモリーシテアリマス! ワタシガ偵察シテキマショウ!」
「待て、ポーケントッター。お前がいなければ話がまとまらぬ――バイロン!」
「イエス、マダム」
スカーレットに呼ばれて、ポーケントッターとは別のマジックアイが酒場に入ってきた。
スカーレットがパルキアから搭乗してきたソウルアーマー、『サー・バイロン・ヘーゼルダイン』のものだ。
「お前が行け。裏口からだ。おそらくはソウルアーマーがいる。見つからないように注意しろ」
「心得テイマス」
代々クロスフォード家に使える忠烈無比な騎士は、そういうとポーケントッターに、情報のリンク共有を要請した。
ポーケントッターは、自分のメモリー内にあるボーン岬の森の位置座標をバイロンに解放し、共有した。
「頼ミマス、サー・ヘーゼルダイン」
「任セヨ。ポーケントッター」
かつての同僚に頼もしく言い残すと、ヘーゼルダインのマジックアイはスカーレットに命じられた通り、裏口からこっそりと酒場を出て行った。
「向こうにもソウルアーマーがあるなら、おそらくこの宿もマジックアイで見張られているはずだ。あとは――」
そこで言葉を区切ると、スカーレットはメロディに向き直った。
スカーレットの射るような視線が、メロディに突き刺さる。
「――メロディ・スプリングウィンド、お前はティアリンクのために命を捨てられるか?」
「……」
『春の微風亭』の若き女将は、平民としての、そして女としての矜持を込めて、その目を見つめ返した。
◆◇◆
「怖がることはない。お前を傷つけるつもりはない」
仮面の男は、柱に縛り付けられて座らされているティアに言った。
「お前を傷つければ、ポーケントッターが怒り狂って、まとまる話もまとまらないからな。だから明日の朝まで大人しくしているがいい」
「……あなたなんか、パパが来ればすぐにやっつけられちゃうんだから」
精一杯の抵抗の意思を示して、自分をさらった男を睨むティア。
みすぼらしい小屋の土間に直に座らされているので、夏場でなければ身体が冷え切っていたところだ。
その小屋は半年前、ティアとメロディをさらおうとした二人組の『人さらい』が根城にしていた小屋なのだが、もちろんティアは知らない。
「ふむ、さすが『白銀の稲妻』の娘と言ったところか。なかなかの覚悟だ。平民にしておくのは惜しい」
仮面の男は、感心した様子で頷いた。
「確かにお前の言うとおり我が輩もポーケントッターが怖い。だからお前をこうして人質にした上、主人の許しを得てソウルアーマーを二機も呼び寄せているのだ」
「パパは、あなたの言うことなんか聞かないわ!」
「それが聞くのだよ、ポーケントッターの娘。無理やりにでもなんでも『剣の誓い』を立てさせてしまえば、ソウルアーマーは主に逆らうことは出来ない。お前の首筋に短剣を突き付けて
誓約さえ結んでしまえば、次の瞬間には『実の娘のお前を殺せ!』という命令すら確実に実行するのだ」
「そ、そんなことないもん!」
「あるのだ! それが『封魂型自律式重戦闘甲冑』――古代レムリア人の手によって戦うためにだけ作られた巨大な機械人形『ソウルアーマー』というものだ! どんな残酷で残虐な命令でも逆らわずに従わなければ、戦場では役に立たん!」
仮面の男は、怯え狼狽したティアを見て、自分の絶対的に優位な立場に満足し、トドメの一言を放った。
「英雄だなんだと言われているが、要は戦場でどれだけの人間を殺したかではないか? お前の父親であるポーケントッターこそが、まさに戦闘人形である『ソウルアーマー』の鑑。証明なのだ。お前の父親は人殺しだ」
「……」
ティアはショックのあまり言葉を失った。
それが……それが『ふ~こんがたじりつしきじゅうせんとうかっちゅう』の意味……?
それが、あの優しいパパの正体……?
違う……違う……パパは人殺しじゃない……。
パパはゴドワナを救った英雄……白銀の稲妻。
だって……だって……。
だって、ママがそう言ってたもん……。
ティアが沈鬱な表情で押し黙ったとき、小屋に一人の男が入ってきた。
昨日スカーレットがまとっていたようなアーマードライバー独自の搭乗服に身を包んでおり、土間に縛られて座らされているティアに同情の籠もった一瞥をくれると、仮面の男になにやら耳打ちをした。
「――なに、王都から通信が? 王命か?」
「はっ、それに伴ってか、ポートホープからレディ・バーミリアルのソウルアーマーが急遽飛び立ち、北に向かいました。まもなくこの森の上空を通過します」
「そうか――だが、警戒は怠るな。王命にかこつけて、この娘を取り戻しにくるやもしれんぞ」
搭乗服の男は頷くと、すぐに小屋を出て行き、自分の乗機に再搭乗して警戒態勢を採った。
直後、小屋の薄板を透して、ソウルアーマー独特の飛翔音が響いてきた。
その硬質の甲高い金属音は、小屋の遙か上空を南から北へ一瞬で過ぎ去り、遠ざかっていった。
「どうやらレディ・バーミリアルがパルキアに帰ったようだな。お前を奪い返しにきたのかと思ったが違ったようだ。昨日あの宿屋に侯爵夫人が現れたときには驚かされたが、このタイミングで王命が下るとは、我が主はやはり運がいい」
すでにして勝利者の声色で話す男に、もうティアは抗うことは出来なかった。
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