小さな福の座敷童

針間有年

小さな福の座敷童

 引っ越し先のワンルームに座敷童がいた。

 さっそくスマホをかざし、ランクを調べてみる。数秒後、診断結果が出た。

 Eランクだ。この程度じゃ、どうにもならない。

 私は落胆した。


 座敷童、それは家に住む妖怪。身長百センチにも満たない小さな子供の姿をしている。それは丁寧にもてなせば、福を与えてくれるありがたい存在だ。

 座敷童はすべての家に居るわけではない。そのため、座敷童付の家にあたればとても運がいい。

 ただし、座敷童にはランクがある。SからEの六段階に分類されていて、Sが最上、Eが最低だ。

 Sランクの座敷童がもたらす福はとてつもない大きさだ。何をしても成功する。一方、Eランクの座敷童の福は駄菓子のあたりが出るくらいのものだ。

 かつて、私はSランクの座敷童の保持者だった。

 就職し、一人暮らしを始めた部屋にSランクの座敷童がいたのだ。

 平凡だった私の人生は変わった。何をしてもうまくいく。仕事も人間関係も恋愛ですらも。おかげでとても楽しい日々を送れた。

 だが、その福が及ばないところもあった。

 三人目の彼氏は申し分ない人だった。顔がよく、収入もよい。地位もあって優しい。だが、その優しさは私から座敷童を奪うためだった。その頃、すべてが成功し、有頂天になっていた私は人を疑うことを忘れていた。

 プロポーズされ、財産を共有し、そして、いつの間にか家を奪われていた。私は瞬く間に家を追い出される。

 座敷童付の家を失った途端、私の人生は真っ逆さま。職と婚約者を失い、仲良くしていた友人のほとんどが離れていった。

 誰とも顔を合わせたくなかった。都内から逃げ出すように地方のワンルームに引っ越した。

 それに追い打ちをかけるようなEランクの座敷童。

 ボロボロの赤い着物を着たみすぼらしいそれ。黒い髪もぼさぼさだ。こっちが惨めになってくる。

 そんな状況でも残念ながらお腹はすく。

 とりあえず、炊飯器でご飯を炊き、コンビニでサラダチキンとカット野菜を買ってきた。

 以前は外食ばかりだったから、料理なんか作れないし、作ろうとも思えない。

 食器や家財も多くは奪われてしまった。この家には本当に必要最低限のものしかない。

「あ」

 そこで気づく。座敷童にご飯を供えるための食器がない。

 Eランクの座敷童とはいえ、座敷童だ。供え物をしなくてはならない。

 仕方なく、お椀にご飯を、平皿にサラダチキンの切れ端と野菜を並べる。箸はコンビニでもらった割りばしだ。

 クローゼットの前で膝を抱えている座敷童の前にそれらを置き、私は自分の食事を用意した。

 折りたたみ式の小さな机に置いた質素な食事を見つめる。憐れだ。あまりにむなしい。

 貯金はある。とりあえず半年はふてくされることを決めた。


 翌日。

 暇なので近くのレンタルショップでマンガを借りてきた。

 相変わらずEランクの座敷童はクローゼットの前で縮こまっている。

 座敷童というのは無表情で、言葉も発しない。

 以前は仕事や遊びで家に居る時間が少なかったから考えたこともなかったが、一日中何もせずに同じ場所にいるのは座敷童とはいえ苦痛ではないのだろうか。私には耐えられない。

「マンガ、読む?」

 気まぐれにマンガを差し出すと、座敷童はそれを受け取った。早速マンガを開いたが、終わりから読み始めている。

「前から読んだ方が面白いと思うよ」

 そういって、表紙を指さすとおとなしく前から読み始めた。

 座敷童にマンガを読ませるなんて、ちょっとどうかしてる。

 座敷童はただ存在し、福をもたらすだけのもので、同居人でも、まして、ペットですらない。

 寂しいのか、疲れているのか。そんな自分が悲しくなる。

 私は現実から逃げ出すようにマンガに没頭した。


 借りてきたマンガを全巻読み終えるともう夕方だった。今日も料理を作る気はない。

 夕飯を買いに行こうと立ち上がる。座敷童が顔を上げた。

「買い物、行ってくる」

 無反応だ。当然のこと。

 私は部屋着同然の服をコートで隠し、玄関を出た。冬の寒さが身に染みる。

 私を裏切ったあの男は、今頃Sランクの座敷童を手に入れて人生を謳歌しているのだろう。そう思うと悔しくてならなかった。

 涙をこらえ、ショッピングモールに行くと、半額のお刺身が一パックだけ残っていた。ラッキーだ。

 もしかして、あの座敷童のおかげだろうか。お供えもあながち無駄ではなかったのかもしれない。

 私はお刺身パックをカートに入れた。それから、日用品売り場に向かい、子供用の小さな食器と箸を買った。

 家に帰ると、座敷童はまだマンガを読んでいた。私はそれを横目に、買ってきたサラダとお刺身を取り分ける。

 座敷童用の食器はプラスチックでできていて、いかにも安っぽい。少しでも節約したいという思いから安いものを買ってしまった。

 バチが当たらないだろうか。そう思いながら、座敷童に夕ご飯を供える。すると座敷童は手を合わせて、食事をとり始めた。

 座敷童の食事なんて気にしたこともなかったが、その行儀のよさに思わず感心してしまう。

 私なんか、誰もいないからと、手を合わせることも、いただきますを言うことすらなく食事をとり始めていた。

「いただきます」

 手を合わせて、食事を始めてみる。

 そんな簡単な儀式で区切りがついたのか、安い食卓への惨めさより、食べることの楽しみに気が向いた。

 半額で買ったお刺身は案外おいしかった。

 隣で座敷童が食事を終えた。箸を置き、また、手を合わせる。ちゃんとごちそうさまもしているようだ。

 私もそれにならった。


 一週間がたった。一月も中旬に入り、雪がちらつく日も出てきた。

 このアパートは寒い。エアコンを入れても、足元が冷える。

 相変わらずクローゼットの前で縮こまっている座敷童。薄手の着物に裸足。寒そうだ。

 座敷童が温度を感じるのかは知らないが、少し可哀そうになってくる。

 大きなお世話だとわかりつつ、私はショッピングモールで生地を買ってきた。ふわふわのボア生地とコットン生地。

 裁縫は得意だった。学生の頃は服やアクセサリーを手作りしていた。今もできるかどうかはわからない。だが、時間ならいくらでもある。どうせ暇だし、時間つぶしにもなるだろう。

 ミシンはないので、手縫いで少しずつ小さな服を作っていく。

 着物の上から着れるように、袖は広く取り、前にはジッパーをつけ、着脱しやすいようにした。長さは腰丈。いつも、フローリングに座っている座敷童。お尻が冷たそうだと思っていた。これだったら、座っても腰が出ないだろう。

 それから靴下。あまり温かそうとは言えないが、ないよりはましなはずだ。

 それは二日もしないうちに完成した。裁縫の腕は鈍っていなかったらしい。少し嬉しかった。

「よければ使って」

 私が小さな洋服と靴下を渡すと、座敷童はそれを受け取った。そして、私を見上げる。

「着てみてくれる?」

 そういうと、座敷童は靴下を履き、服に袖を通す。大きさはばっちりだ。

 座敷童が上着のジッパーを触っている。使い方がわからないのかもしれない。

 私が手を伸ばすと座敷童は一瞬びくっとした。怖がらせてしまったのだろうか。

 恐る恐る服のジッパーを閉めて見せる。

「こうするんだよ」

 私が手を離すと、座敷童はジッパーを握り、上げ下げする。何度も何度も試している。

「気に入ってくれた?」

 そういっても無表情だ。だが、座敷童は私の方を見て、こくん、と頷いてみせた。

 私は驚いてしまった。座敷童とコミュニケーションをとれるなんて聞いたことがない。だが、気に入ってくれた、それは大きな喜びだった。

「よかった」

 久々に心から笑えた気がした。

 

 それから私はちまちまと手芸をするようになった。

 膝を丸めて眠る座敷童に布団を作ってみた。座敷童は身体を伸ばして寝るようになった。

 髪を梳き、ビーズの飾りのついたピン留めを作った。長い前髪が邪魔そうだったからだ。座敷童は毎日それをつけては外し、光をあててキラキラ光るビーズを眺めていた。

 相変わらず表情はなかったが、喜んでくれているような気がした。

 自分の手で生み出したものが誰かに喜んでもらえる。それはとても嬉しかった。

 今日もピン留めを眺めている座敷童。私はそれに勇気をもらい一歩踏み出す。

「頑張ってみるね」

 座敷童に言うと、こくん、と頷いてくれた。

 私は手作りのカバンの写真をサイトにアップする。自分の作品をネットショッピングで売り出してみたのだ。

 自分が作った作品で誰かが喜んでくれたら、そう思った。もし、そんな誰かが現れてくれたら私は飛び上がってしまうだろう。身の程知らずだけど、そんな奇跡を願って。

 材料費とミシン、それから、作業台が欲しくて、一か月を過ぎたころにはパートを始めた。

 パートでもらえるお給料なんて、以前の仕事からするとおこずかい程度だ。だが、何もかも自由に手に入れることのできたあの頃より、お給料の範囲内でする買い物は胸が躍った。

「どっちがいいと思う?」

 表の花柄の生地、そして、裏の無地の生地。赤、黄、緑。三つを並べて、座敷童に聞いてみる。座敷童は緑を指さした。

「私もそう思ってた。ありがとう、自信ついた」

 座敷童はセンスが良く、時折、私が思いつきもしないような色の組み合わせを選び、驚かせてくれる。それがまた美しい色使いになるのだから、すごい。手芸をする者として尊敬してしまう。

 機嫌よく布に下描きをしているとスマホの着信音が鳴った。

 冷や汗が出る。親からの連絡は出たくない。もちろん、以前の同僚や先輩後輩なんてもってのほかだ。

 私は恐る恐るスマホを覗いた。そして、目を見開く。

 それはネットショッピングで注文が入ったことを知らせるメールだった。

「やったよ!」

 私は思わず座敷童にスマホ画面を見せる。無表情だから、わかっているのかわかっていないかも定かではない。だけど、興奮気味に話す私の言葉に座敷童は何度も何度も頷いてくれた。

 それからも少しずつ、私の作った作品は売れていった。売れたときはちょっぴり贅沢なスイーツを買って座敷童と食べた。

 手芸をして、マンガや本を読んで、時にお昼寝をして。ゆっくりと流れる時間。

 カーテンの隙間から陽光が差し込んだ。

「もうすぐ春だね」

 本を読んでいた座敷童が顔を上げ、こくん、と頷いた。

 あの頃は季節の変わり目なんてどうでもよかった。その頃が懐かしい。だが、こうして近い春を予感するのは悪くなかった。


 春が来た。ベランダから、洗濯物と座敷童の布団を取り入れる。

「日向のにおいがするよ」

 布団を広げると、座敷童はそこに飛び込んだ。めくれた着物の裾から切り傷が見える。

 ここ数か月で気づいた。座敷童の身体は傷だらけだ。

 この座敷童は以前、ひどい扱いを受けていたのかもしれない。

 ぼろぼろの着物や、乱れた髪。考えてみればいろいろとつじつまが合う。

 座敷童はただあるだけの存在だ。私もそう思っている。

 無表情で声も出さず、抵抗もしない。そんな座敷童を物として扱う人の話を聞いたことがある。

 殴ったり、蹴ったり。いいストレス発散だと、悪びれもせず言っていた。

 その座敷童はEランクだった。

 その頃の私は、Eランクなら仕方ないと思った。

 そう考えた自分が今となってはおぞましい。

 布団の上を転がる座敷童。膝を抱えて眠っていた頃に比べると、ずいぶん心を許してくれた気がする。

 そして、私も座敷童に心を許している。ただあるだけの存在。それは心地よいものだった。

 スマホの着信音が鳴る。

 また注文だろうか。浮かれた気分で画面を見ると、以前の同僚で、親友からの電話だった。本当は出たくない。だが、このまま無視するわけにもいかない。

 通話ボタンを押す。

『もしもし、里奈りな!』

 電話越しの彼女は妙にハイテンションだ。私は怯みながら尋ねる。

「どうしたの?」

『Aランクの座敷童がいる物件、見つけたよ』

「え」

 耳を疑った。

 不動産会社は所有している物件に座敷童が存在しているか否かを公言してはならない。

 座敷童付の不動産。それはとてつもなく価値があるもの。

 法律が定められるまでは、座敷童の所有権をめぐって裏社会の抗争が起き、何人もの人が亡くなったそうだ。

 だから、そんな物件を見つけられるはずがないのに。

『親戚の不動産屋から聞いたの。間違いないわ』

 彼女はAランクの座敷童を持っているうえに行動力もある。

『もちろん秘密ね』

 さすがだ。

『里奈。Aランクの座敷童を使いこなして、あの男を見返してやろうよ!』

 脳裏に憎い男の姿が浮かぶ。再び舞い戻った私を見て、驚き青ざめる彼を見てみたいものだ。

 なのに、私はすぐに、はい、とは言えなかった。

 Aランクの座敷童をもってすれば、あの頃までとは言わないが、人生は華やぐ。それは確定している。楽しい日々を送れるはずだ。

 私はあの頃を思い浮かべる。

 仕事をして、贅沢をして、毎日が充実していて。

『里奈?』

 電話越しの声にハッとする。

「少し考えさせて」

 そういって彼女を驚かせてしまった。私は一週間以内の返事を約束し、電話を切った。

 机の上の裁縫道具、出来上がった品々、そして、布団の上に座り、こちらを覗き込む座敷童。

 あの頃の生活は楽しかった。それは間違いない。

 だけど、今の生活もまた、楽しかった。

 私は悩んだ。

 

 約束の日の深夜。私の答えはまだ出ていなかった。

 親友の厚意に甘え、Aランクの座敷童がいる物件に引っ越すのが一番だ。それはわかり切っている。なのに、どうしてか決断できない。

 水を飲もうと、電気のスイッチを入れる。寝ている座敷童を起こさないように光量を最小限に抑える。

 座敷童は掛布団を抱き枕のようにきゅっと抱えて眠っていた。

 自然と笑顔になれた。

 とっくの前に知っていた。座敷童は、いや、彼女は私にとってかけがえのない同居人になっていたのだ。

 コップを取り出し、冷蔵庫を開ける。

 座敷童は家に住む妖怪。ここにしか存在できない。新しい生活を共にすることは不可能だ。

 冷えた水をコップに注ぎ、冷蔵庫を閉めた。

 その音で目が覚めてしまったのか、座敷童が目をこすりながら、私の方を見る。

「どうしよっか」

 私は思わずこぼした。座敷童が首を傾げる。

 その黒い瞳があまりに私をまっすぐ見つめるものだから、私はすべてを話した。電気をつけ、座敷童とベッドサイドに腰をかけて。

 自分の過去、それから、これからのこと。

 ひどいことを言っているのはわかっている。だって、選択肢の一つは彼女を捨てることだからだ。

 話を終えると、座敷童はベッドサイドから降り、作業台の紙とペンを持ち出した。そして、紙に何かを描き始める。

 何をしているのだろう。不思議に思い、紙を覗き込むと、そこには拙い文字が綴られていた。

『わたし だいじょうぶ』

 私は座敷童を心配していることを伝えた。もし、私が出ていけばあなたはどうなるのだろう、と。これはその答えだ。

 唖然としている私に座敷童は頷いて見せる。

 そして一生懸命、一文字ずつ文字を紡いでいく。私にその紙を見せた。

『あなた いちばん えらぶ』

 相変わらず無表情だ。それでも、彼女が私を思ってくれていることがわかった。

 だから、私は考える。彼女の言葉を心の中で反芻する。

 私の一番。私の一番大切なものはなんだ。

 あの男に復讐すること? 確実な幸せを手に入れること? それとも――。

『だいじょうぶ』

 拙い字でそう書かれた紙を、座敷童は私に差し出した。

 大丈夫。曖昧で根拠のない言葉。

 彼女はEランクの座敷童。成功を約束するような福は持ちえていない。そんな彼女からの大丈夫、は頼りないもののはずだ。

 なのに、心を温かくしてくれた。

 まるで、ここでの日々のようだ。

 未来は見えない。何をしてもうまくいくといったわけでもない。失敗もすることもあるし、運の悪い日もある。

 だけど、満たされていた。

 忘れていた趣味を思い出した。自分の作ったものが売れて嬉しかった。そして、大切な同居人との日々は愛しかった。

 それは、誰かにもたらされる福ではなく、自分が積み重ねた日々で出来上がった幸せだった。

 そう思うと、その一つ一つがかけがえのない宝物に思えた。

「私の一番、見つかったよ」

 目の前がかすみ、紙の上に涙が落ちた。

 座敷童がティッシュを持ってきてくれる。私は泣き笑いながら、それをありがたく使わせてもらった。

 私はこれからも日々を重ねる。いい日も悪い日も。私の未来は私の手で作り上げていく。

 座敷童の黒い瞳を見つめる。

「ありがとう」

 この小さな福と一緒に。


 白いワンピースを作ってみた。

 彼女も洋服に慣れてきたみたいだ。最近では蝶々結びもできるようになった。

 二人、エアコンの効いた部屋でアイスバーを食べる。

「あ」

 私は声を上げ、彼女にそれを見せる。食べ終わったアイスの棒にはあたりの文字。

「嬉しいね」

 そういうと、彼女はこくん、と頷いた。

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