第32話 二日目のクロハ

 8.7キロとはいえ、その重量はかなりある。両手で持って振り回せるサイズでもなし――ただ、ユキはやはり、軽いという感想を抱いた。


 一振り。


 剣の先端を地面につけ、軽く柄を握るようにしつつも、まずは躰を前へ飛ばす。

 この時、速度を出すため、剣をやや斜めに立てておくのが特徴で、前に出た勢いを使いながら背負うようにして振り、再び先端が地面に当たる。

 この動作が、一撃だ。

 軽い運動ということで、朝からキーメルが軽く相手をしているが、ユキの場合、剣を振る回数がかなり少ない。少しだけ引きずるよう剣の位置を変えながらも、その周囲をくるくると動く。

 剣の重量もあるため、動きの途中で変化もあるし、攻撃に対する防御、受け流しも剣を使えばいい。なにしろ、躰を隠せるくらいには幅があるのだ。

「なるほどな。では、新しい大剣での動作を一つ教えよう」

「はい?」

「使い分け――いや、使いどころはお前が考えろ。難しくはない、基礎の一つだ」

 貸してみろと、キーメルは大剣を受け取り、ユキよりも細い腕でひょいと軽く持ち上げた。

「うむ、さすがに重いな」

「え、持ち上げてますけど……」

「全身で持ち上げているからな、腕だけではない。さて――メェナ、どうする」

「あー、うー、……うー」

「お前が教えなくて、誰が教えるんだ?」

「……わかった。楽しみが減るなあ」

「なあに、どうせ私が相手だ、――回避に専念しろ」

「はあい」

「ああ、先に言っておこう。いいかユキ、着地をせずに振れ。この重さなら問題ない」

 先端が地面についた状態で、ふわりとキーメルは浮いた。

 跳んだのではない、まさに、浮いたと表現するほど、その行動は軽かった。


 一閃。


 くるりと空中で回転するよう剣を持ち上げて振り下ろす。

 地面に足がついていなくとも、躰の回転だけで一振りを完成させた――が、驚いたのはそこからだった。

 一歩、後ろに下がって回避したのは当然だが、そんなメェナに対して、振り下ろしの動きで浮いた躰を、柄を中心にして制御したキーメルは、手前側に躰を入れながら、あろうことか。


 メェナに対して、剣を蹴飛ばした。


「――っ」


 柄から手が離れている。

 8.7キロの大剣がそのまま、メェナの眼前に落ちてきた。


 迷いは一瞬。

 その一瞬の間で、大剣はぴたりと、首筋で停止していた。


「左右を迷ってどうする。柄があるのは上だろう? これが楯ならばわかるが、剣は基本的に柄を握るものだろうに」

「く……そう」

「さて、このようにパターンが一つ増えるだけで、相手の挙動を制御もできる。使い方もそうだが、同じことしかやらないと、すぐ対策を練られるぞ。まあ、その上で打開する方法もあるにはあるが」

「どうも」

 大剣を返され、改めて握れば、かつてと比べて軽いと感じるが、持ち上げようとしても簡単には上がらなかった。

「思考を忘れるな。柄に触れながら躰を伸ばし、先端の方に足を入れて上へ叩く。そうすれば一時的に持ち上がるだろう? その場合における力の運動を把握して、手元で再現してやればいいだけのことだ」

「……理屈では、そうですけど」

「そうとも、全てが理屈だとは言わないが、理屈があれば再現はできる。仮にそれができないなら、理屈が間違っているわけだ。そういう考察は日ごろからやっておけ」

「はい」

「――ちなみに、メェナには、同じことに二度引っかかるなと、教えてある」

「うん……むしろ、こっちから大剣を蹴り飛ばすくらいじゃないと駄目だね」

 メェナは何度か、小さく頷いている。

「後退距離をとっても、小さい踏み込みの差で大きく間合いが変わるから無駄。左右に逃げても対応される。だったら、対応させない方向に動かないと……」

「しかし、今のお前では魔物の群れに対しては、苦労するだろうな」

「群れ――ですか」

 むしろ、その方が楽だと思うのだが。

「範囲制圧をすればいい、そう思うだろう? だがな、逆を言えば、それしかできん」

「それは……」

「群れは、機能的な行動をとる。足の速い三匹が周囲を囲い、お前の一撃を待ってから、追加の二匹が跳びつき、それに対応したところでとどめ。――メェナが相手にしている魔物は、それくらいの知能を最低限、有している」

 さてと、キーメルは腰に手を当てた。

「では、そろそろ私も戻るとしよう。あまりシルレアを一人にすると、あとが面倒だからな」

「またシル姉に押し付けてきてたの?」

「人聞きが悪いことを言うな、ゼダに押し付けたのだ」

「何してんの」

「今は戦場の整理だな。両軍合わせて、六百くらいが沼地を中心ににらみ合いをしているところで、なかなか面白いぞ」

「沼地の魔物が第三勢力?」

「うむ。まあゼダも、まだまだ学ぶことは多い。それとユキ、あまりメェナの対策を練るな。こだわると、――メェナ以外には通じない技術ばかり手に持って、戻れなくなる」

「わかりました」

「メェナ、学校には戻れ」

「はあい」

 そのまま、姿を一瞬にして消したキーメルに驚くものの、メェナが。

「あー見透かされてたー」

 なんて、間延びした声で言うものだから、すぐ我に返った。

「……なに、ユキちゃん」

「いやなんか、ボクの常識がどんどん変わっていくような気がして」

「あるある」

「ないんだよ」

「あるよ?」

「普通はないの!」

 自分は、学校の中ではそれほど弱い部類ではないと思っていたし、大剣を持てば訓練で負けるとも思っていなかった。

 思い上がりか?

 いや、そうではない。

 冒険者として通じるかどうかはともかく、――戦闘技能において、ここにいる連中の実力が、飛びぬけている。

 対応も、思考も、何もかもが、あまりにもユキの常識から外れていて。

「ドクロクさんとも話したけど……魔術についても、まだ時間がないと呑み込めない」

「あれか、新しい発見がありすぎて消化できないみたいな」

「それ」

「あたしも魔境まきょういただきに初めて入った時はそんな感じで、死にかけたなー。現場でそれになると、軽いパニック入って、かなーり危険だよ」

「あんた、さらっと言ったね」

「へ? なにが?」

「魔境に入ったの?」

「そりゃ入るでしょ、近くにあるんだから。経験してわかったけど、やっぱり魔物の住処って、人の方が異物として排除されるから、怖いね。場を荒らしているのはこっちになる」

「言いたいことはわかるけど」

「大丈夫、ユキちゃんもそのうち連れてってあげるから」

「……」

 どう反応すべきか、迷った。

「あー、迷うってことは連れてってもいいね。あたしこれでも、ちゃんと拒絶する場合は無理強いしないから。……たぶんね?」

「そこは断言して」

「先のことはよくわからん!」

「いいけどさ」

「とりあえず、早いうちに冒険者登録だけはしておこう」

「え、こっちでやるの?」

「あっちでもいいよ? あたしもついでに、一緒にとって良いって許可貰ったから。冒険者の仕事の八割は、魔物絡み。最低限、戦闘技術の所有が合格ラインで、人格とか成果とかは、後回しだから、楽なものだよ。たまに呼び出しもあるけど、拒否権はあるし、年に一度くらい成果出しておけば問題ない」

「そういえば、資格を取ったあとがどうなのか、あんまり知らないかも」

「依頼を受けなくても、魔物の素材とか流しておけば、それでいいし。お姉たちも、金がいる時は、空飛ぶトカゲとか狩って、素材を売ってるし」

「……それ、竜のことだよね?」

「そうだけど」

「トカゲって、言い方」

「だってあいつら、空飛んでるだけで、ほかは間抜けだから」

「や、空を飛んでることが問題でしょ?」

「どこが?」

「攻撃が届かない」

「ほら、それ。結論は出てるじゃない。攻撃が届けばどうにかなるんでしょ?」

「う……そう言われると、うん、そう聞こえるかもしれない」

「だから、届く手段を得ようって、訓練するわけ。応用って、そういうとこから広がってくんだなーって、最近は感じるようになった」

「それでも最近なんだ」

「今まではずっと、基礎ばっかだったから。言われたことだけをやってると駄目で、言われないことをやっても駄目。同じことを繰り返すのが基礎なのに、体調によって毎日、それが同じことじゃなくなるってのを感じ始めて、うん、まあ、そんなで」

 曖昧だなと思いながら、剣を振ろうかと考えて、けれど、肩にかけたタオルで汗を拭い、ユキは一息を落とす。雑談をしながらでも、メェナはずっと棒をくるくると躰を使って動かしていた。

 ほとんど目で追っていない。

 それだけ馴染んでいるのだろう。

「……ボクの何が面白そうだったの?」

「うん?」

「この大剣は確かに珍しいけど、さっきみたいに、メェナなら対応できるでしょ」

「んー、あー、まあね、うん、ここから先、どこまで行くのかに興味があるってのが理由の一つで、学校で友達でもいれば楽しめるかなってのも、そう」

「……友達いないの?」

「何故か怖がられてる。なんでだろ、どっかの馬鹿を吹っ飛ばしたからかな?」

 間違いなくそれが原因だ。

 鉛筆一本で本を貫き、その先端をこつんと当てただけで縦回転しながら飛んで、怪我をしたのだが、メェナは相当に手加減をした。

「剣を振るって、誰でもできるんだよね。子供だって、木の棒を手にしたら、真似をしたりするし、振り回すことはできるでしょ? これ、走るのも同じ。誰でも走れる」

「まあ」

「だから、――

「……? 走るって、足を交互に出してればできるでしょ?」

「うん、じゃあそこからね」

 肩で棍を上に投げると、それは回転したまま落ちて、メェナの影の中で消えた。

「これ、あたしが最初に教わったことで、ここから踏み込みの応用に改良してきたんだけど。走るっていうのはね、足を前へ出すことも重要だけど、一番気にしないといけないのは、地面を蹴るってこと」

「――ああ、なるほど」

「これがわかってない人、多いんだよね。そのくせ、踏み込みは地面を蹴る。――まあ、今のあたしは、可能な限り地面を蹴らない方法を訓練中だけど」

「え、なにそれ」

「足音を立てない踏み込み」

 それをやると。

 、目の前にいる。

「ね?」

「……うん、わかったから離れて。ちょっと近い」

「おっぱい大きかったら当たってたね!」

「まだこれから成長するから!」

「その時を楽しみにしてやろう」

 何様だ、この女は。

「これと同じでね? 剣を振るってことを、腕力だと勘違いしてる連中が多いの。スキル至上主義だったから、それも仕方ないんだけど。でもユキちゃんは、大剣の性質上、それを知らなくても、腕の力だけに頼ることができなかった」

「うん、全身使わないと扱えないもの」

「だから、どんな得物を持っても、全身で扱うでしょ? それって基本なんだよね。んで、そういう鍛え方がわかったから、これは成長を含めて、面白そうだなーって」

「そういうところ見抜くんだ……」

「ユキちゃんにやる気があれば、だけどね」

「そりゃ、やる気はあるけど……ん?」

「おーう」

 大剣を持ちながら、ドーガがこちらに来た。

「完成?」

「馬鹿言え。キーメルはどうした」

「お姉ならもう行ったよ」

「なんだ、いねえのか。俺はもう寝るところなんだが、その前に耐久試験だ。メェナでいい、ちょっと殴れ」

「棍は?」

「あ? どっちでもいいぞ。――よっと」

 先端を突き刺し、ドーガは離れる。

「おう、ユキ、お前も離れておけ」

「え、ああ、うん」

 両手の親指と人差し指で四角形を作ると、そのまま広げ、中央付近に右手を入れて、棍を取り出した。

 どうやら、影以外からでも取り出せるらしい。

「まあ、やってみるかあ……」

 まずは棍の先端を当て、左足を前にした半身で槍のように構えると、そこから5センチほど離れた。

 改めて、こつんと先端を当てる。

「ん、壊し方まで注文しないよね?」

「おう」

 一息。


 息を止めないのに、まず、驚いた。

 それは呼吸の中で行われる。


 前に出した左足を踏むのが、最初。その力が腰に来る前に、後ろ足で地面を噛み、前へ動く力とし、その二つが腰で合流した。


 ――何故だろう。

 ユキにはそれが、とても、とても遅く、ゆっくりと見えた。


 腰の回転による力が増幅し、さらに力の方向性が決まり、背筋を通って肩へ。

 肩の動きは小さく、だが、一切のロスもなく両腕へ伝わり、それはこんで合流する。

 そして、棍が向かう先へ、全ての力が――そうだ。


 これこそ、躰をすべて使った攻撃だ。


 音は二つ、だがほぼ同時。

 剣が破裂したよう折れたものと、――棍が手元で破壊された音だ。


「あちゃあ……やっぱ今のあたしじゃ、無理があったかー」

「おう、ご苦労さん。新しい棍は工房にある、待ってろ」

 そう言ったドーガは、すぐ戻ってきて、真新しい棍を手渡した。

「――お姉?」

「耐久試験はお前に任せて、どうせ折れるからそいつを渡せってな」

「最初からあたしにやらせる気だったじゃん……」

「ははは、まあな。どうだ?」

「芯が入ってる感じがする。あと、1グラムくらい軽いでしょ」

「1.3グラムな」

「なんの木?」

「さあな、今回の仕事の報酬を先にもらったと言っていた」

「へえ……」

「その得物に馴染むまで、ユキとやるなよ」

「そのへんも織り込み済み? やっぱお姉には頭が上がらないなあ。そっちは?」

「おう、折れたというより、砕けたに近いが、入っているひびから計算して、いろいろ調整だな」

「早めにとは言わないけど、確実にね?」

「当たり前だ、俺の仕事を何だと思ってる――ああユキ」

「うん?」

「あの馬鹿弟子には言うな。こいつを完成させて持って行く時に顔を出す」

「わかった」

 よしと、軽い声と共に、棍をしまって。

「じゃあユキちゃん、昼食終えたら戻ろうか」

「ああうん、そうだね。……もしかして、また高速馬車?」

「そうだけど」

 またあれかと、憂鬱な気分になった。

「え? 嫌なら山越えする? それなら夕方から行けば、明日の朝には到着するけど」

「そっちは嫌!」

「じゃあ我慢だね」

「……メェナは嫌じゃないの?」

「うん? 我慢しようって思うほどじゃないかな。――あの程度の不快感、いちいち気にしてたら精神を病む」

 戦場で安全地帯がなく、少しでも眠るため、屍体の中に紛れて休むのと比べれば、天国のようなものだ。


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