第2話

 内藤は夕方の錦糸町に来ていた。ターゲットの身辺調査が目的だ。

 今井聡。清潔感ある髪型に、細身の眼鏡の美中年。やせ形で、健康面でも羨まれるだろう。

 これが今回のターゲット。

 要にもらった情報でほぼ網羅できているが、実際に人物を視認することはマストだ。

 内藤は帰宅を始めた人影を縫うように、駅前の広場から歩道橋を渡り、海側に歩いて京葉道路を越える。長身の内藤は目立つが、スーツとビジネス鞄によりさほど違和感はない。スーツは都会の迷彩服だ。

 目的の銀行の、道路挟んで向かいのカラオケが入るビルの脇に、内藤は消えた。

 避難階段に身を隠しながら、内藤はタブレットで今井の行動パターンを確認する。顔は眺める程度ですませた。

 殺しの相手の顔など、その場で確認すれば良いだけのこと。頭に入れるべきは行動パターンだ。

 ターゲットの予想外の行動は依頼の失敗に繋がる。衝動的な殺しなど成功しない上にがない。

 内藤の美学だ。


「奥さんに高校生の娘ふたり。付き合い程度の呑みはするけど基本は市川いちかわの自宅へ直行。あら良いお父さんねぇ」


 内藤は頬に手を当て、うっとりとタブレットを見つめた。

 過去の所業と現在はイコールではない。もちろん過去の上に現在があるが、人は変わるものだ。

 イジメというのは本人に悪気がないものも含む。今井が罪の意識に囚われているとは限らない。

 だからこそイジメがなくならないのだ。


「ということは、電車内と最寄駅で殺っちゃうと目立たないかしらね。まぁ確認してから決めようかしら」


 うっとりしながらも内藤の意識は仕事に向いている。

 報酬は成功報酬で、ニュースで確認という証拠をあげなければ内藤の物にはならないのだ。

 夕闇が冷気を連れて舞い降りる頃、銀行から今井が出てきた。内藤はビルの避難階段から双眼鏡で確認。通りへ戻った。横断歩道を駅へ向かう人波に紛れ、今井の後ろにつく。


 ――あぁ、加齢臭もたまらないわね。ダンディ、ダンディだわ


 長身の内藤は、今井の身長がちょうど鼻のあたりに来る。嗅ぎたくもないモノも嗅がざるを得ないのだが、内藤にはご褒美だった。

 ちなみに、内藤は35歳である。オネェであり殺し屋でありhentaiでもあった。

 駅へ着くと内藤は今井と距離を作る。人間3人を間に挟んだ距離だ。長身の今井からは視認できるからである。

 人混みとともに電車になだれ込む。ドア横の狛犬ポジションに陣取る今井に対し、内藤は座席間の通路に入り、つり革をつかんでいる。つかんでいる腕越しに今井の姿を確認していた。

 電車は江戸川を渡り、千葉県へ入る。市川は千葉県に入って最初の駅だ。ドアが開くと作られる乗客の流れに押され、内藤はホームに出た。ラッシュに疲れた、という表情を作りつつ、今井を追う。


「人は多いけど、ここでやってもスルーされちゃうかもしれないわね」


 駅前のロータリーにでた内藤はそうごちた。

 帰宅を急ぐ人らが足早に通り過ぎていく。そんな人たちは、騒ぎが起きてもそちらに気をやることなく、歩き去る。気にならないわけではないが、巻き込まれるのはごめんだ、というのが正直なところなのだ。

 情報過多な現代でニュースになるほどの出来事は多い。その他の雑音に負けない舞台が必要だった。


「うーん、ここよりは錦糸町の方がましね、はぁ、思ってたよりずっと面倒ねぇ」


 嘆息した内藤は、気を取り直して今井を追う。今井はロータリーのバス停に並んでいた。


「バス停も、ちょっとアレね。警察に通報はしてくれるだろうけど、ニュースにはならなそうねぇ」


 内藤が再び嘆息をついた時、今井に駆けよる制服姿の女の子を見た。


「今日はお父さんと一緒のバスだね!」

「おかえり。今日は部活はなしか」

「テストが近いらからねー」


 女の子は残念そうに肩を落とした。おそらく今井の娘だろう。 

 たわいのない会話を交わす親子。内藤はしくじったという顔をする。

 内藤は踵を返し、足早に駅へ向かった。


 その足でセントラルについた内藤は景気よくドアを開けた。白髪のマスターの視線が刺さる。


「マスター、ビール!」

「はちみつでも入れてやろうか?」

「あら、サービスしてくれるほどのねぇ」


 内藤は薄暗い店内を見渡す。人影はない。内藤はカウンター席に座った。 


「ほらよ」


 目の前に置かれたビール。だがそのビールには手をつけず、内藤はカウンターに頬杖をついた。

 内藤は、あの親子に〝普通〟を見てしまった。普通であれば手に入れられたかもしれない世界を。

 殺しに情は無用だ。淡々と依頼をこなす性格が必要とされる。でなければ生き残れない。


 遠くを見る目はピクリともしない。

 カウンターの向こうでマスターが内藤をチラ見し、フンと鼻を鳴らす。「まったく」とぼやくと棚にあるボトルに手を伸ばした。

 生ぬるくなり始めたビールグラスの横に、琥珀色をたたえたカットグラスが置かれる。


「マッカラン。秘蔵の30年ものだ」


 内藤が顔を上げた。視線を上げた先の、マスターの目じりの皺が優しく歪む。内藤はカットグラスを手にし、一気にあおった。


「はぁ、ほんと、目の毒だったわぁ」

「堅気の世界はまぶしく見えるもんだ。一皮むきゃ、同じ穴のむじななんだがな」

「化けの皮があるだけ、違うのよぉ」

「お前だってクソ厚いつらの皮があるだろうが」


 マスターがビールグラスを口につけた。息つくことなく飲み干し、小気味よい音でカウンターにグラスを置く。


「3年前に店を持ったっつって足を洗った時に、そのまま残ってりゃよかったんだ。なんで戻ってきやがった」


 マスターは口についた泡を腕で拭う。

 口をむにゅりと曲げ、言い淀んでいた内藤は、カットグラスを両手で包み込み語りはじめた。


「……アタシってこんなんだから、まっとうに生きていけなくってさ。でもそれなりの幸せってやつを求めたんだよねぇ。アタシ、店を持つのが夢でさぁ。がんばって店を持とうねっていってくれた恋人彼氏にさ、だまされたのよぅ。気がついたら店の権利があいつの名前になっててさぁ。アタシ、借金だけ抱えさせられてごみダメに捨てられてたのよぅ」

「……美人局かよ」

「アタシ、だからねぇ」

「そうじゃねえ」


 マスターがペシと顔に掌を当てた。

 

「どうでもよくなったっていうか、人が信じられなくなったっていうか、お先真っ暗だったわけよ」

「縋りつくのが泥船だとか思わなかったのか?」

「泥船だって一息つけるじゃない」

「ごみダメには変わりねえぞ」

「その時のアタシにはどうしようもなく暖かく見えたのよぅ」


 内藤がさみしそうに笑った。


「幸せそうな家庭とか、ちょっとうらやましかったりするのよねぇ」

「いまさら堅気に憧れるのはやめとけ。辛くなるだけだ」

「ん、それはわかってるつもり……あら、要君から電話だわ」


 内藤は内ポケットからスマホを取り出す。


「要君、何か用? いま? マスターのところだけど……え、中止? 依頼者が荒川で遺体で見つかった?」

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