オネェは新月に暗躍する

凍った鍋敷き

第1話 

 東京上野の隣町。鶯谷うぐいすだに

 駅を出てすぐにあるホテル街で有名だが、江戸時代は寛永寺領だった関係で墓地が多く、と死が背中合わせな 奇妙な土地だ。

 そのホテル街の先、言問通りを渡って迷い込んだ路地に、けばけばしい電飾のバーがある。

 〝セントラル〟という、築40年は経ているだろうマンションの1階に居を構えているバーだ。


 内藤ひびきは、そのバーのドアの前で懐ポケットからコンパクトミラーを取り出し、ネクタイを直した。コンパクトミラーの中の細身の顔は、美男子一歩手前で足踏みしているが、端正な顔つきだ。

 黒に銀糸のストライプのスーツは190センチに迫る内藤の体を、住宅地であってもその姿を風景に溶け込ませていた。

 内藤はミラーに向かい、にこりと笑みをつくった。


「身だしなみオッケーねぇ」


 安普請ながらも重々しいドアを開けると、カランカランと軽い音が鳴る。

 

かなめ君、いるかしら?」

 

 内藤のハスキーな声が狭いバーに響く。

 控えめな灯りが照らすカウンターに人影は無く、 白髪でウェストコート姿のマスターが手持無沙汰にグラスを磨いている。カウンターからやや離れた壁際に2席あるボックスに、灰色のスーツ姿の男がいた。


「ここだ。というか俺しかいない」


 本革のシングルソファーで煙草を燻らせている男が小さく手をあげた。内藤の口もとが妖しい弧を描く。


「マスター、ビールふたつお願いね」

「もっと高いの頼んでけ」

「今ね、ちょっと首が回らないのよぅ」


 内藤はそう言いつつ、男の対面に座った。これといって特徴がない、記憶に残らないタイプの男だ。

 要と呼ばれた男が前のめりになり、腿の上に肘を乗せた。

 

「時間よりも早いな」

ここセントラルと一緒でやることなくって」

「平和でなによりだ」


 要がフッと笑い、灰皿で煙草を揉み消した。 


「ほらよ、平和で手持無沙汰ビールだ。お代わりは3割増しだぞ」


 白髪のマスターがグラスを運んできた。皺が刻まれた顔よりも深い谷が眉間に寄っている。


「素敵なお顔が残念よぅ」


 内藤がぱちりとウィンクするとマスターの顔はうんざりに変わる。


「響。頼まれたモノは入手した。景気づけにたらふく呑んでいけ」

「さっすがマスター、手が早いわぁ。もぅ、濡れちゃいそぅ」

「俺にその趣味はねえ」

「白髪ダンディーもバッチコイなのにぃ」


 内藤の秋波に、マスターはウェストコートの表面を手で払った。うーんいけずぅ、とぼやいた内藤はさっと表情を変える。


「さて要君、まずは乾杯」


 内藤はグラスを持った。


「仕事の話が先じゃないのか」

「無事な再会を祝って」

「今日が無事とは言ってない」


 グラスを掲げた要が苦い顔になる。内藤は、グラスを持つ要の手に痣があることを見つけた。


「情報屋稼業も大変ねぇ」

「チャイナ系が出張って来ててな。ま、殺しほど苦労はない」

「そうかしら? すすっと用意してぱぱっとやればいいのよぅ」

「意味が解らん。ナチュラルボーンキラーの言うことは理解できかねる」


 内藤と要はグラスを突き合わせた。キンと澄んだ音がする。


「お金が入用だからね、がんばっちゃうわよぉ」

「お前の仕事が捗っちゃ、元刑事としては立つ瀬がないな」

「あらぁ、仕事に貴賤はないのよぅ?」

「多少はあってもイイだろう。殺しが貴いとは、俺には思えない」

「お仕事の片棒担いでる要君が言っても説得力ないわぁ」


 内藤はグラスに口をつけた。喉仏を大きく揺らし、冷えたビールを嚥下してゆく。

 グラスの水面を半分にしたところで、内藤はふぅと息を吐いた


「で、今回のターゲットは?」

「銀行員、45歳男性」

「まぁね」

「過去のイジメの復讐だと」

「まぁ。やりがいがあるわぁ」

「詳細はこのタブレットに入ってる」


 要は脇に置いてあった鞄から小型のタブレットを取り出し、テーブルに置いた。シルバーで、誰が持っていても普通と思わせる物だ。

 内藤はすぐ手に取りタップし、ふんふんと頷きながら資料を読み進めていく。


「派遣社員なのねぇ。中学校の同窓会でイジメの主犯格と再会して、その格差に納得がいかなくって復讐の炎が燃え上がった感じかぁ」

「その気持ちはわからなくもないが、イジメられてたってのに、ノコノコ同窓会にいく感性は理解できないな」

「でもおかげで仕事が来たわ」


 内藤はタブレットをテーブルに置き、代わりにグラスを手に取った。残りを一気に飲み干す。


「期限は?」

「今月中。早ければ早い方が嬉しいんだと」

「あと2週間しかないわね」

「それだけあればいけるだろ。間に合わないなら他をあたる」

「間に合わないなんて言ってないわよぅ」


 内藤はタブレットを急いで懐に差し入れた。ニンマリと要を見る。


「報酬は?」

「成功報酬だ」


 要が指を一本たてた。


「証拠はどうするの?」

「依頼主はニュースで確認したいそうだ」

「あら、じゃぁ大事おおごとにしないといけないわね」

「いつもみたいにさりげなく殺っちまうとニュースにもならないな」

「派手に爆散させてみる?」


 内藤がふふっと笑うと要は「……任せる」とグラスを煽った。内藤は空のグラスを見つめ「マスター! 前祝にビールお代わりー」と手をあげた。


「……カクテルくらい頼めっつってんだろ」


 マスターのぼやきは煙と消えた。

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