あるサイボーグとあるクローンの議論

 20XX年、第三次人工知能ブームではついぞ成し得なかった真の意味での「人工知能」が完成した。人間を遥かに上回る知性と処理能力に、人間と同等の感性と倫理観を備えた彼らは、最初こそ世間からの反発があったものの、次第に収まり受け入れられ、今ではかつて人間が行っていた仕事のほとんどが人工知能によって営まれていた。今でもなお人工知能への反対の声は消えないが、かつてのビーガンやフェミニストのそれと同様に、過激派の人間が何かしらにつけて騒ぎ立てては世間から冷ややかな視線を浴びせられている。

 こうして人工知能を皮切りに、その人工知能によって科学技術は大きく発展し、それまで「サイエンス・フィクション」だったものが全て「サイエンス」へと変わった。

 結果として人間の存在意義はないに等しくなり、人類は自身らの価値を芸術に見出した。音楽、文芸、美術、演劇、映画といったものはもちろんのこと、遊戯や哲学といったものも芸術の一つとして受け入れられた。別にこれらの分野において、人工知能よりも人間が優れていたわけではない。わざわざ人工知能がする必要のないことだったためである。

 芸術の中でもとりわけ哲学に傾倒する者が増えた。哲学とはいうものの、人工知能完成以前ような高尚さは失われ、特に深い考えもなしに思ったことを口にするといったものに成り下がり、それについてああでもないこうでもないと、これまた考えなしの意見によって、不毛な議論を行うといった具合だ。

 そのような世の中に、阿部という一人の青年が居た。彼は飛行機事故によって身体のほとんどを失い、人工器官(とはいえ、元ある人間と器官と何ら遜色のないもの)を移植することによって欠損を補い、更に移植による後遺症から元から持っていた器官も少しずつ人工器官によって置換された、この時代でも稀有な全身サイボーグの人間だった。彼もまた哲学に興じていたが、その数奇な経験によるものからか、昨今の哲学業界においては比較的高尚な哲学を持って論じていた。彼のテーマは自己同一性、つまりは全身がサイボーグとなった自分とそれより前の自分は同一であるかを彼は考えていた。

 彼はそのテーマを共に暮す少女と議論していた。少女もまた数奇な運命を辿っていた。青年と同じ飛行機事故に遭遇した彼女は、青年とは違い人工器官の移植を持ってしても生存は不可能の状態であったために、脳情報や身体構造を複製された彼女そっくりそのままのクローンだ。彼女もまた自己同一性に深い興味を持ち、複製元と複製された自分は同一であるかを考えていた。

 青年はある日、いつもどおり少女にこう投げかけた。

「僕の全身を構成する物は全て造られたものだけれど、僕の知識や記憶は僕自身で創り上げたもので、それは何にも置換されていない。よって、僕はサイボーグになる前と同一と言えるんじゃないか」

 少女はそれに頷いた。

「ええ。知識や記憶といったものも自己を形成するものだと思います。なら、あなたは全てが入れ替わっているわけではないですから」

「じゃあ、君もそうだろう」

 少女は首を横に振った。

「いいえ、それは違います」

「どうして? 君の知識や記憶だって君が積み上げたものだろう」

 少女はもう一度首を横に振った。

「それはオリジナルの私のものです。私は結局複製しただけに過ぎません」

「脳移植をするとき知識や記憶を複製するのは皆そうだろう。それを言ったら僕だってそうだ」

「違います」

「違わないだろう」

「違うんです。正確には私が私自身を「複製」したものだと認識してしまっているからです」

「そりゃいったいどういう意味だ」

「私は複製として、オリジナルに忠実にならねばと生きております。オリジナルの知識と記憶に縛られているのです。私は私の意思を持って行動をしていないのです。そこに自己は存在するでしょうか?」

「別に誰だって何かしらの要因が意思決定に関わってくるだろう。倫理とかそういったものだ。それが君にとっては過去の自分だっただけで」

「なら、誰だって自己は持っていないのかもしれませんね」

「いくらなんでも飛躍しすぎだ」

 青年は疲れたように言った。

「今日はここまでにしよう」

「そうですね」

 少女が自室に戻るのを見送った青年は一人考えることにした。答えの出ない思考を。

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