Marry you
「毎日一緒にスーパー行きたいです。」
彼曰く、一世一代のプロポーズだったらしい。たかが大学二年生の恋愛が結婚まで辿り着ける確率はどれくらいなんだろう。
偶然同じ学部で同じサークルで同じ音楽を聞いてただけの私に運命を感じてくれた彼は、少し純粋すぎるように思えた。
「あおいちゃんがいてくれたらどこでもいいよ。」
私が講義中に投げた「今日どこ行く?」に対する解答ならその優しさは見当違いで的外れだ。アイドルの始球式での投球くらい届かなくて受け取りにくい。バッテリーを困らせるボールを投げた彼の名前は優太。名は体を表すとよく言ったものだが、あまりに大雑把な優しさは人を困らせることを知らない。
「磯丸行こうよ。明日二限からでオンラインでしょ?うちで受ければいーじゃん。」
講義中、スクリーンに映るいらすとやの魚が並べられたマグロの刺身に見えるぐらいには魚介を欲していた。マグロ、帆立、イカをあてにして安酒を呑み明かしてしまいたい。フライデーナイトまではあと24時間と半分もあるが待ってあげる余裕はない。
「ん!分かった。」
教授は今日も話し続ける。半数以上の学生は教育論なんて狭い脳の片隅にもスペースを割いていない。今日の夕飯か、アルバイトか、はたまた夜のお相手探しか。
斜め前に座る男子学生の右スワイプは8回に1回くらいのペースで止まって、左にいったり、また戻ったり。彼の黒縁メガネを通した女の子たちは厳しい関門をすり抜けたとは知らないで生きていくんだろう。彼もどこかで誰かの厳しい関門をすり抜けているのに。門の主かのように堂々と突破したのか、ちょろちょろ動くネズミみたいに少しの隙間を走り抜けたのか。そんなことは私の人生に一欠片も関係はない。今は磯丸水産のメニューと睨めっこしなくちゃいけないのだ。児童の気持ちに寄り添う前に海鮮ユッケかネギまみれ鮪のどちらを選ぶべきか、残り26分のうちに決めなくては。卵で和えるかネギにするか、それが問題だ。
シェイクスピアもきっとワインのアテで悩む日もあったろうに。ふと顔を上げると二列前の女学生も右スワイプを繰り返していた。振り返れば液晶画面と変わらぬ距離に出会いはあるんだよ。その事実に気付けるのは傍観者だけだ。季節は春。出会うにはちょうどいいじゃないか。
「じゃ、お疲れさーん」
ガシャン。グラス同士がぶつかって氷とアルコールが揺れる。結局私はwhichから始まる二択問題を解けず、王様と名の付いたイカの塩辛でとりあえずの海鮮欲を満たす事にした。プリプリとした弾力のあるイカに絡みつくワタと強い塩辛さで冷えたジンジャーハイボールはもう半分もない。結局頼んだ海鮮ユッケは思っていたよりそうでもなくて、思いがけず頼んだ鶏皮餃子は中々美味かった。
「気づいたらもう2年生になっちゃったねー。ずっと大好きだよあおちゃん。」
「ありがと。それで最後にしてお会計しようか。」
「その前に一個言いたいんだけどさ」
三杯目の山ブドウサワーに口をつけて優太が話し出した。耳も頬も男梅サワーくらいの赤さに染まった彼はヘラヘラしながらふにゃふにゃ笑っている。そろそろか。帰るにはまだ飲み足りないが、これ以上面倒な酔い方をされる前に解散したかった。
「あおちゃんさ、いつも僕が好きって言ってもありがとうって言うから寂しい。僕のこと好き?」
間に合わなかったか。一歩出遅れた私をアルコールが巡って芯を捉えない瞳孔が見つめた。いかにも酔った顔をしているくせして濁った瞳の底には、嘘を許さない怒りを横たえている。
「僕は生きて行きたいなって本気で思ってるよ。あおちゃんは?僕のこと好きなの?ねぇ。」
「うるさ。」
頭で思った言葉がアルコールと苛立ちに押し出されて飛んだ。
「え、どうしたの」
「どうもこうもない。しつこい。そう言う酔い方嫌いだって散々言ってんのまだ伝わってなかったんだ。」
一言で止めるべきだったのだ。しかし、一度弾みがついた言葉は激流になって、とめどなく流れて目の前の困り顔の彼にぶつかる。こうなってしまっては話している自分でさえ激流に押し流されるだけだ。
「優太の好きは自分勝手で押し付けがましくて重い。無理。伝えてないじゃないでしょ、受け取らないだけでしょ。被害者ヅラして鬱陶しい。」
私が発した言葉の意味を理解するための処理速度はだいぶ遅いようだ。優太の脳の容量は何バイトだろう。
戸惑う目、半開きの口、汗をかいたグラスから伝う水滴が白くて柔らかな、ささくれなんて一つも無い手の甲を撫でた。
机に落ちた水滴はグラスか果たして優太の涙だったか、今となっては思い出せない。
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