第75話 バイトの面接、そして



 バイトを始めようと思ってから、一週間ほどが経った。

 すでに俺はバイトの面接に申し込んで、土曜日の今日がその面接の日だった。


 家から十分ほど歩いたところにある喫茶店、そこに向かう。

 学校とは反対方向にあるので、行くのは少し面倒かもしれないけど、許容範囲だろう。


 ドアを開くとチリンチリンという音が響き、レトロな雰囲気の店内に入る。

 いわゆるカフェみたいなも今風のオシャレな空間じゃなく、昔ながらの雰囲気を持っている喫茶店といった感じだ。


 個人的に働くとしたらこっちの方が会う気がしたので、こちらの喫茶店に応募した。


 店内は結構広く、まだ昼前なので客はそこまで入っていなかった。


「いらっしゃいませ」


 優しい笑みを浮かべた五十歳くらいの男性が近づいてきた。


「あの、本日バイトの面接で伺わせていただいた久村司です」

「ああ、君がそうなのか。いやー、嬉しいね。どうぞどうぞ、中に入って」

「はい」


 客に見せるような笑みじゃなく、本当に嬉しそうに目尻に皺を寄せて笑った男性、店長らしき人と一緒に店内の奥の方に入っていく。


 ヤバい、バイトの面接なんて久しぶりだから、今更ながら緊張してきたな。


 奥の在庫とロッカーが置いてある部屋に入り、男性と向かい合って座る。


「初めまして、この店の店長を務めている斉藤です」

「は、初めまして。久村司です、本日はよろしくお願いします」

「こちらこそね。あまり緊張しないでいいよ、軽く履歴書を見て話したいだけだからね」

「はい、あの、履歴書です」

「ああ、ありがとうね。うん……ああ、そこの東條院高校に通ってるんだね。近いのはいいね、こっちに通いやすいでしょ」

「はい、家からも徒歩十分ほどで来れます」

「ああ、そうなんだね。こっちとしても交通費出さなくていいなら助かるよ」


 そうして軽い感じで面接は始まったが、なんか本当に面接というよりは、雑談しながらやっていく感じだ。


 前にバイトしたのはチェーン店だったから面接もしっかりしていたが、ここは個人経営の喫茶店だから、そこらへんは緩いのかもしれない。


 俺としてはそっちの方がありがたいし嬉しいな。


「バイトを始めるきっかけは何かな?」

「きっかけは、その、正直お金を稼ぎたくて……」

「あはは、バイトなんてそんなもんだよねぇ。高校生ってなったら遊びたいと思うし、全然おかしなことじゃないよ。むしろ健全な志望動機だね」

「あ、ありがとうございます」

「部活とかはやってないの?」

「はい、やってません。なので学校終わりに十六時くらいから入ることも出来ます」

「そっか、いやー、嬉しいねぇ。今日はこの後暇かな?」

「え、あ、はい、そうですね、帰ってもやることは特にないです」

「じゃあこの後から入れるかな?」

「えっ?」


 この後から入る? それはつまりバイトに入るってことだよね?


「えっと、もう面接は合格ってことでいいんでしょうか?」

「ん? ああ、そうだね。バイトは募集してたし、久村くんもいい子そうだしね。ぜひバイトに入ってもらいたいんだけど、いいかな?」

「も、もちろんです! よろしくお願いします!」


 おお、よかった、合格だ。

 凛恵や聖ちゃんに「バイト始める」ってあんだけ言っておいて、面接で落ちたら合わせる顔がなかった。


「それで、今から入れる?」

「あ、はい、大丈夫です」

「そっか、よかった。もちろん今日からバイト代はつけるし、最初はそう気張らず、軽い流れと接客を覚えてくれるだけでいいから」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあこれ、ここの制服ね。バイトが始まる時はここで着替えていいからね。下はないけど、今久村くんが履いてるような黒色のズボンを自前で履いてきてね」

「はい、わかりました」


 制服を受け取り、斉藤店長は部屋を出ていった。


 制服は上がネイビーのシャツに、黒のネクタイ。

 ネクタイは付けやすいように結ぶタイプではなく、外して止められるタイプのやつだ。


 そして腰から下だけの茶色っぽいエプロン、確かソムリエエプロンという名前だったはず。


 全体的に暗い色だけど、落ち着いててこの店の雰囲気に合っている気がする。


 よし、面接も受かってバイト入ることになったし、頑張って働くか!


 そう思ってこの場で着替えようと服を脱ぎ始めたら、部屋の外からチリンチリンと音が鳴ったのが聞こえた。


 お客が入ってきたのかもしれない、そろそろ昼時だし。


 あっ、そうだ、凛恵に「バイトの面接に合格してそのまま入ったから、昼飯はいらない」って連絡しないと。


 俺は上半身を裸のままスマホを取り出し、凛恵にメッセージで送ろうとしていたら……。

 ガチャっと音がして、部屋のドアが開いた。


「えっ?」

「んー?」


 店長が入ってきたのかと思ったが、そこにいたのは綺麗な女性。


 亜麻色の長い髪がふんわりと巻いてあり、どこか柔らかそうな雰囲気を醸し出している。

 顔立ちは目尻が下がっているがとても大きい目で、美人だけどクールな感じじゃなくて、優しいお姉さんタイプの美人だ。


 ん? なんか彼女の容姿がどこかで見たことがある、既視感があるんだが……。


 ……待て、こんな冷静に入ってきた女性のことを見ているが、俺、上半身裸なんだが?


 めちゃくちゃ着替えている途中なんだけど?


「あー、もしかして新しく入るっていうバイトの人―?」


 俺は内心で焦っていたが、入ってきた女性は全く気にせずにそのまま入ってきて話しかけてきた。


「え、あ、はい、そうですけど」

「やっぱりー。よろしくね、私も最近入ったから先輩って感じじゃないけどねぇ。私は十九歳の大学二年生だけど、君は何年生?」

「あ、高校二年生です」

「えー、そうなの? 大人っぽいから同い年くらいかと思ってたー」


 いや、なんか普通に喋ってるけど、まだ俺は裸のままだ。

 なんかこの人も特に気にしている様子もないから、男の上半身裸なんて別に大丈夫な人なんだろう。


 いきなりのことで固まっていたが、俺は制服のシャツを着た。


「すいません、初対面なのに着替えている途中で」

「んー? 別にここはバックヤードだし、着替えるのは当たり前じゃない? 私も今から着替えるしねー」

「そう言ってくれると嬉しいです……ん?」


 今から、着替える?

 いやここで着替えるのは当たり前だが、今からというのは?


 そう思っていたら、いきなり彼女が服を脱ぎ出した。


「な、なんで着替えてるんですか!?」


 俺は慌てて彼女と違う方向を見て視線を逸らした。

 シャツを着ていたようなので前のボタンから開け始めたから下着が見えたわけじゃないが、豊満な胸の谷間が見えてしまった。


「えっ? だってここは着替える場所でしょ?」

「男子の俺がいるんだから、待っててください!」


 なんでそんなに無警戒なんだ!?


「いや、もう俺はシャツを着終わったので、外で着替えますね!」

「いいの? 気を遣わせてごめんねー」


 俺はネクタイとエプロンを持ってバックヤードを出た。

 はぁ、なんだあの女性は……。


「あっ、久村くん。バイトの女の子と会った?」

「はい、いきなりバックヤードに入ってきてビックリしましたが」

「ごめんね、あの子に久村くんのこと説明し忘れてたよ」


 斉藤店長が申し訳なさそうに謝ってくる。


「いえ、それはいいんですが……」

「あの子が着替えて出てきたら、改めて紹介するね」


 ということで数分後、俺がネクタイとエプロンをつけて、バイトの出勤の付け方を教えてもらっている時に、彼女が来た。


「てんちょー。お待たせしましたー」

「ああ、飛世さん、ちょうどよかった」


 とびせ……?

 どこかで聞いたことある名前だ、なんだっけ?


 そういえばさっきも彼女のことを見て、どこかで見たことがあると思ったが……。


「こちら、今日からバイトに入ってもらう、久村司くん」

「は、初めまして、久村司です」


 だけどおそらく初めましてだから、しっかりと挨拶をする。


「初めましてじゃないでしょ?」

「えっ? す、すいません、どこかで会ったことが……」

「さっきバックヤードで会ったでしょー? もう忘れちゃったのー?」

「……ああ、はい」


 やっぱり会ったことあるのか? と思ったが、ただの天然の人だった。


 だけどなんか、今のも既視感があるんだよな……。


「それで久村くん、この子は一週間前から入ってくれた、飛世茉莉乃さんだよ」

「とびせ、まりの……っ!?」


 その名前を聞いて、思わず息を呑んでしまった。


 そうだ、この人は……!


 どこかで会ったことがあるとか、そういうわけじゃない。

 だけど俺はこの人のことを、知っている。


 なぜなら――。


「飛世茉莉乃です、よろしくねー」



 ――『おじょじゃま』という漫画の、登場人物だったからだ。



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